表面的な会話が好き。
表面的な会話が好きです。
私は対人コミュニケーションに難のある人間ですが、意外にもいわゆる表面的な会話というのは好きなんですね。好きだし、得意です。
たまたまスーパーで居合わせたおばちゃんとか(自分もおばちゃんだが)、混んでいる病院の待合室で隣に座ったおばちゃんとか。・・・つかこの例だとおばちゃんばかりだがw
「混んでますねー」
「今日は暑いですね」
等の、その場限りの何の生産性もない会話が私は結構、いやかなり好きなのです。
雰囲気を壊さないよう、温かい穏やかな空気を作るように心がけます。
こういう会話はどちらかといえば嫌だ、苦手、という意見の人は割と見かけますが、好きと言ってしまう人は少ないんじゃないかと思います。
嫌だという人の気持ちの方が理解出来ます。
「知らない人とあまり話したくない」「面倒くさい」、顔見知り程度に知っている相手でも「中身のない会話が嫌い」という意見はリアルでもネット上でも結構聞きます。
どれも、私自身そりゃそうだよね・・・と思う。
でも、私は好き。
なぜなんだろうと考えたら、それはやっぱり対人コミュニケーションに難があるからこそでした。
- その場限りでもう会うことはないし、どこの誰だかも分からない
→「その後の付き合い」への影響を考慮しなくていいので気楽に話せる - 他人と会話をすることの人間的な満足感
→真性引きこもり体質なので「他人」と口を利く機会自体が極めて少ない - 見知らぬ他人と世間話できちゃう俺!というドヤ感
→まともな人間として社会生活を営めているのだという自己確認・承認の気持ち
特に知らない人とのその場限りの会話ではこれら三つが大きいと思いました。ツッコミどころはあるでしょうがそこはスルーでひとつw(´ρ`)
何というか、表面的な会話って「確認」だと思うんですよね。
動物ならお尻を嗅ぎ合う、あれ。
人間同士なら「私は敵ではありませんよ」「まともな人間ですよ」「危険な狂人じゃありませんよ」ということを相手や周囲に伝える相互アピールの一種だと考えます。
それは顔見知りでも同じです。
以前の記事でも書きましたが、人はいつでも中身が変わります。昨日までは穏やかで無害だった人物が明日突然豹変する可能性のある生き物なのです。
「おはようございます」
「おはようございますー」
「いいお天気ですね」
「ねー、ほんと、晴れて良かったですよね。今日も暑くなるのかな」
「あ、暑くなりそう!」
「ですよね。でも洗濯物が乾くから助かるー」
「そうそう。それは助かる」
これはもうお互いが主婦なら定型文みたいな感じですよね。
ぐずついた天気が続いていたら洗濯物が大変、晴れたら洗濯物が乾いて助かる。
お互いに相手の言った言葉を後の会話のどこかで肯定しているのがポイントです。上の会話だと三行目「いいお天気ですね」を四行目で肯定しつつ「今日も暑くなるのかな」と少しネガティブな感じにしてしまったため、六行目で「洗濯物が乾くから助かる」と再度ポジティブに持ち上げています。
更に言えばそれを受けた最後の行は「それ『は』助かる」と、相手が言った「暑くなるのかな」(というネガティブな気持ち)に共感の印象を入れています。「暑いのはイヤなのは私も同感」というメッセージが込もっています。
でも上記のような会話って意識しているわけじゃない、無意識にそうしているんですよね。
女性は全員こういう会話が無意識にできるんじゃないかと思う。
さて。
表面的な会話が好きで得意ということは、私は初対面の相手に悪い印象を抱かせないことはできます。
言葉を交わす第一印象は好ましく印象付けることはできる。
・・・しかし、本来の私は真性引きこもり体質であり、対人関係の苦手なボーダーなわけです(´д`)
一人が好きだけど嫌われるのはいや。
他人が気になるけど集団でつるむのは好きじゃない。
猜疑心が強いけどボーダーだからぶっちゃけ体質。
・・・なんかうまく言えませんが、よーするにめんどくさい人間ってことですねw
なので、よく知ると、「明るくて穏やかでポジティブでよく笑う」第一印象と全然違う、となってしまう場合が多いのです。
悩みです(´д`;)
知らんがな・・・( ´_ゝ`)
笑わないでいられる人っていいなーと思います。
私が不必要なほど笑うのは、「本来ネガティブな自分」というものを見せて嫌われたくないからですね。
一見(いちげん)さんに見せる必要はないと考えているのかも。
でも不必要に笑っている人って気味悪いですよね。
なんか怖い。中身が見えなくて。
自分の本質を見破られないために笑顔で防御している、って感じがして。
つまり私のことなんですけどねorz
・・・これがねー。分かっていてもなかなか「常時笑顔」の解除はできないんだよねー・・・(T_T) 心、弱い。
あ、でも最後ですが、表面的な言葉には「表面的な言葉を使って本当はもっと深く思っていることを伝える」という側面もありますよね。
例えば、身内を亡くしたばかりの親しい間柄の人にかけられる言葉というのは限りがある。
「お辛いですね・・・」「何か力になれることがあったら言ってね」等々の言葉は、誰もが表面的な言葉として使えるから、純粋な言葉の力としては意味がない。
でも、敢えてその言葉を使うことにやはり意味があるんじゃないか。
少なくとも「あなたが辛いことを理解しています、早くその辛さがなくなることを私は望んでいます」という意思表示になる。イコール相手を思っている、という気持ちを伝えることはできるわけです。
「表面的な会話」は悪者扱いされやすいですが、優しいです。
とりあえず「相手と会話したい」という気持ちは伝わるわけですから。
・・・あれ?それだけで十分じゃない?
うまく話せなくたって、表面的な中身のない会話だなーって思われたって、少なくとも自分が「相手を嫌な気持ちにさせずに、会話したい」と思っている、ということは伝わるんだから。
・・・うん、もうそれで自分よしとしようw(´ρ`)
・・・
実は、本当は「いつか表面的な会話は好きじゃない、となればいいな(´∀`)」的な締めになる予定だったんですが、まさかの「表面的な会話だっていいじゃない(´∀`)」の方の結論になるとは自分自身書いていて予想しませんでしたw
これは、自分自身を肯定しボーダーからの脱却と心の回復を目指している私にとってはいい傾向だと思うことにしますw(´∀`)