願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

一日『ドラゴンボール超』を見ていた日。

先週のある休日、諸都合により予定を全キャンセルして一日Amazon プライムビデオ(以下アマプラ)で『ドラゴンボール超』を見ていたんですよね(´ρ`)

最初は息子の希望でつけ、その隣で気だるさに任せて寝転んでぼんやり画面を眺めている内に私の方がハマってしまい、息子が飽きてレゴで遊び出すのを尻目に続き!続き!と数十話見てしまった。
とにかくザマス編は冗長すぎじゃね?!ヽ(`Д´)ノネタバレ?*1

それはともかく自分がリア中だった頃に連載していた『ドラゴンボール』を、現在すっかり中年になって子持ちになって改めて読み返してみるとつくづく面白い漫画!(*゚∀゚)=3スゲー!テンサイ!と思うのと同時に、当時とは違う見方や感じ方をできて我ながら興味深いものです。
 


まずはもうね、母親となったことで一番変わったのがチチの気持ちが恐ろしいほどにわかるということw(´∀`)

リアタイで読んでいた子供の頃って、さー世界の一大事だ、みんな揃って闘いだ!って時に必ず「そんなことより勉強の方が大事だ!」「悟飯ちゃんは行かせねーだ!」なんて話の腰を折ってしつこく悟飯を連れ戻そうとしてばかりのチチに「いちいちうるせーなー(´д`)話の邪魔だなー(´д`)」と思っていたわけですよ。
しかしそれが自分が年をとって汚れつちまった大人になり、母親になってから読んでみると「チチは親として至極まともなことを言っていただけだったΣ(゚Д゚)」というのがよくわかるんですねw
というかむしろこの漫画の登場人物でチチしかまともなこと言ってる大人いなくね?Σ(゚Д゚;)っていうねw(´∀`)いやまあ漫画だからいいんですがw

母親からすると、息子である悟飯や悟天に戦いや修行なんかよりも今できる勉強をちゃんとさせてやって、将来偉くなってまともな職につけるようにしてやりたい、って当たり前の気持ちだし、しかもチチはそのためにただ喧しく言うだけじゃなく自分も身体を動かし働き、悟空がいない間の家庭を守り、家計をやりくりし、食事を作って世話をして…割とちゃんと良い母親なんですよね。かなり偉い方だと思う。

そしてその反面、単なる気のいいスーパーヒーローとしか見ていなかった主人公・悟空は、中年子持ちになった今の私から見ると結構困った人というか、ある意味頭のおかしい人であってねw( ´_ゝ`)
冷静に見てみると、いくら戦いの好きなサイヤ人だとしても悟空の性質ってかなり特殊に見えてくるんですよ。
自分の命はもちろん、全世界の人間の命がかかっている時ですら、「相手の本気が見たい」「強い相手と闘いたい」という超個人的な自分の欲求と好奇心を優先させずにいられない。悪びれた様子もなく、ただ純粋に「オメーつえーなー!」「オラわくわくしてきたぞ!」(野沢雅子ボイスで再生して下さい)という屈託のない笑顔で。
…狂人かな?(゚д゚)

いつでも強い相手と闘ってワクワクしたい、相手に絶対負けたくない、というそれもかなり純粋な行動理念しかない悟空を冷静に見てみると、かっこいいというより、うんむしろもうね、こわいw((((´ー`;))) ニコニコしてるけど絶対的に話が通じない人みたい(((´ー`;;)))*2
どんなに邪悪で最悪な敵が現れて「絶対に手を抜かずに早く倒してくれ!」と念を押して頼んでも結局「悪ィ…オラどうしてもあいつの本気と闘ってみてーんだ…(口元に笑み)」とか言い出すでしょ(((゚д゚;)))wキャー親分ーーーこいつ頭おかしいですぜーーーーーーーー!!!!!

悟空の無邪気な狂人具合を見ていると、ただただ悟空に勝ちたいがために執念を燃やすベジータなんかの方がよほど人間らしく見えてくる奇跡w
命への執着が薄いというか。他人や自分の命だっておかまいなし。自分が死んだら残された人間が悲しむとかあんまり真剣に考えてないよね。まぁそもそも結構色んな手で簡単に生き返るし、そういう世界観だからいいんですがw

いやもちろん悟空は間違いなく「ジャンプ的主人公」だし、普通に仲間想いではあるし大好きなんですけどね(´∀`)
まあチチは大変な男を選んでしまったなーと。チチほんま偉いよチチ。

また、キャラとしては大大好きなブルマも、チチと同じ一般人の目線に下りて見ると結局は「闘いに疑問を持たない」という悟空やベジータと同じ側の人間であり、チチら一般人からするといわば「異常者」であってw

そんな風に単に「そっち側」の人たちだけで作品を作ることもできるし、こういう「ジャンプ的・闘い漫画」では実際にそういう作品が普通である中、敢えてチチという第四の壁のこちら側の体現者を身内に置いたり、サタンみたいな小物一般人(だけど本当はいい奴)をブウ編みたいな最重要キーパーソンにしてしまったり、読む分には何の違和感もなく普通に面白いだけだけれど、実際に高レベルの作品として作り上げるのは実は結構すごいことだと思っていて。

鳥山先生という人は本当にすごいんだなー。

などと今更何を言ってるんだ?というようなことを書いてしまうのは、これは私だけかもしれないんですが、鳥山明先生という人の作品はその絵が完成されていて、しかもその完璧な作画が一切ブレないため、作品自体のすごさにかえって気付きにくい。すごく遠回しに例えるなら、趣味でお菓子作りをする人があまりに上手くなり過ぎて作ったお菓子がただの市販品に見えるので、上手さが逆に伝わらない…みたいな感じ。伝わるだろうかwえっ伝わらない?(´∀`)
よく考えたらものすごいアイディアですっごく面白い作品なのに、それはもう当たり前のこと、みたいに思わせられてしまうのだよね。

何より、当時の自分がそうだった。
リアルタイムでジャンプを買っていた当時も「ドラゴンボール」は普通に面白いのが当たり前で、取り立ててファンではなかった。
どちらかというと「ファン」という言葉を使うなら幽白なんかはファンであり、今も富樫先生はファンである。

しかし鳥山明はやはり天才だった。

多くの人が知っている事実であるし、私も頭では分かっていたことなのだけれど、中年になって改めて感覚として本当にそう感じましたよ(´∀`)スゴイ…





*1:というか「超」(アニメ)は全体的に冗長だなー。確かに丁寧に作品を作っているというところは評価できるんですが( ´_ゝ`)←と偉そうに

*2:ちょっと違うけどたけしの映画に出てくるヤクザなんかもこのタイプでこわい。いつリリーさん出てくるんだろうw