断捨離始めて九ヶ月。
少し停滞していたものの、最近また片付ける気になってきていてもりもりやっています。
もう息子の幼稚園の制服の丈詰めとかやらなきゃいけないんですが、大丈夫でしょうか・・・(((´∀`;)))
知らんがな!先にそっちやれw
ちなみに裁縫が大大大の苦手なのでバッグも上靴入れも買いました・・・ワッペン貼り付けるだけだよ。いい時代だね!
↑しかしワッペンのレイアウトが決まらないの図。
・・・というか「更新頻度を落とす」とか書いていたのは一体・・・という感じですがw(゜д゜)
いや!これでも自分では頻度というかエンジンの回転数とでもいうようなものを落としたつもりなのです。時間と手間のかかる面倒な話題は手をつけてないというね・・・。
まあそんなことはどーでもいいんですよ。
片付けに関してちょっとした嬉しいことがありました。
他人様のブログでまた素敵な片付けブログを新たに見つけたのと、以前からとても参考にさせてもらっていたミニマリストブログさんがはてなに移転され、何だか身近に!(´∀`∗)さっそく読者登録ですよ。人気ブログさんだからあまり話題にすると売名になるから言わないけど・・・。
本当に、他人様の素敵片付けブログにはいつもたくさんのモチベーションと気付きを与えてもらっています。そういう人たちのブログに出会えていなければ、私の片付けはここまで進まなかったよ。
こんなところで書いても何になるって話ですが、ありがとうございます。
私に勇気が出たらそのうち「私が参考にさせてもらったブログ」とかいう感じで紹介させて欲しい・・・。
今回は、「私が片付け・断捨離に目覚めた経緯」と「それから私自身がどう変化していったか」をざっくりまとめてみました。
これまでもちょこちょこ書いてはいるので、もし興味が湧いた人は良ければ右のサイドバーにあるカテゴリ「断捨離」を覗いてやってください。
- もともと汚部屋の主で、片付けられない女の典型だった。片付けられない歴30数年。
- どうして部屋が綺麗にならないのか、片付けられないのか、悩み続けていた。
- 結婚したり子供が生まれたりして、そのつど努力して家の中はかなりマシにはなってきたが、まだまだスッキリしない。掃除が苦手で、子供ができるまでは廊下の隅に埃が溜まってからやっと掃除機をかける、という生活。
- それでも常に「綺麗にしたい」「掃除がこまめにできるようになりたい」と願い続けていた。
- それができない自分には半端ない自己嫌悪の日々。
- とにかく必要な物が見つからない。物を探して半日潰れるなんてザラ。かなりのストレスが溜まる。
- でも、転勤族で三回引越しをしているし、それなりに持ち物は把握しているつもりだった。
- いつも「家の中を本格的に片付けなきゃ」「本当にスッキリさせたい」という思いがあって、何をしていても心からリラックスできなかった。
- でも、できない。片付けてもなぜかまたすぐ散らかった部屋に元通り。
- 「なんでうちはこんなに物があるの!」と定期的にキレる。
- 「ああ全部いらない!でも捨てられないし!あー!」と泣き喚く。
- 産後脳が働かず物を探し回る頻度が一気に増え、本当になんとかしないと(自分の精神的に)ヤバイと考え始める。
- あまりに物が見つからず「必要な時に見つからなかったらないのと同じじゃないか・・・」と薄々気付き始める。
- 物を減らした方がいいと思いつつ、でもみんな必要だから何を減らせばいのか分からない!
- モデルルームなんか幻想。あんな何もない部屋で実際の人間の生活ができるはずがない(嘲笑)。
- ゆるりまいさんの『私のウチにはなんにもない』に出会い、「何もなくても生活できる」ということを知り天地が引っくり返るほどの衝撃を受ける。
- クールに言えばコペルニクス的ユリーカなパラダイムシフトが自分の中に起きる。
- 「要らないものを捨てる」のではなく(要らないものはない!と思い込んでいたので特に)「あるから要ると思って使っているけれど、本当はなくても困らないものは思い切って捨てる」という選択肢があることを知る。
- ついに「捨てる」というところに行き着く。「とにかく捨てまくることから片付けはやっと始まる」「片付けは捨てることが一番重要、メイン」ということに開眼。整理や収納は物を減らせば自然に収まるようになる、という当たり前の真実に気付く。
- これまで意識して避けてきた「断捨離」についての本(ムック)をついに買う。
- 2014年6月、ついに断捨離着手。
物を捨て、物を少なくし、少ない物で暮らすというシンプルな方法に私が一番惹かれ、これまで何となく躊躇して手を出せなかった「断捨離」「捨てる・手放す片付け」へと重い腰を上げる大きな理由となったのは、
「物が少ないと掃除がしやすい」
という一点でした。
もともと夫婦共に軽いダニ・ハウスダストアレルギーはあったんですが、息子に結構しっかりしたダニ・ハウスダストアレルギーがあることが判明して、それが断捨離を始めた直接のきっかけだったのです。
息子の喘息症状が出ないように、ダニと埃の温床と言われる布張りソファーを捨てるところから始まりました。
実は、私自身の嗜好としては特に「何にもない部屋」に憧れはないんだよね。
そも、私の好みの部屋のコンセプトって「おじいちゃんの書斎」だから・・・w(´∀`)
もともと古い喫茶店みたいなレトロな茶色い空間が大好きで、本当はいつか自分の家もああいう感じの空間にしたかった。
まるで「おじいちゃんの書斎」(あくまでイメージです。現実には私の祖父は書斎なんかなかったよw)のように狭い空間にたくさん物があって、レトロな茶色の机に茶色の皮のソファー、古書からおもちゃからありとあらゆるものがぎっちり並んでいて、でも整然としていて懐かしく落ち着く・・・という部屋が私の理想の部屋。
でもその部屋が蓄える埃の量を想像しただけでそんな部屋は絶対無理wwww(゜д゜)
想像しただけで鼻水が出てくるw(´;;`)ズビー
なのであくまで理想。ただの好みに留めて現実には不採用だ!
影響を受けた本はたくさんあって、改めて別記まとめたいと思ってるんですが、断捨離を始めるしばらく前に出会った池田暁子さんの『片付けられない女のための~』から始まる片付け本二冊は、思い返しても自分にとても大きな影響を与えたと感じられる本です。
まず著者の汚部屋レベル、片付けられなさ、数々の失敗例が笑えないレベルで、しかも私とまったくそっくりだったw

- 作者: 池田暁子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/メディアファクトリー
- 発売日: 2008/06/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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それまでの片付け本て、ぶっちゃけ私レベルの片付けられない人間からすると「何だよ、大して散らかってないじゃん」という人がほとんどで、本当には参考にならなかったんですよ・・・・・・。
池田さんの本で初めて「片付けが苦手な人ほど、片付いている部屋にすることが必要」=片付けが苦手だからこそ「片付け」という労力が最低限で済む部屋にする、ということに実感として気付けたんだよね。
これはゆるりさんも書いてましたが、ゆるりさんは「片付けられる人から見た言葉」であるのに対して池田さんは「片付けられない人間が実際に体感して会得した感覚」だから、特に私には説得力があったんだよね。
自分のように片付けが苦手で、掃除や整理整頓が嫌いだからこそ、だからこそ最大限手抜き出来るように片付けや掃除の手間を省けるような生活空間にするべきなんだ・・・ということが心底納得できたんですよね。
- 片付かないのは物の置き場が決まっていない(or使いやすい置き場じゃない)から。
- 物の置き場が決まらないのは、管理できていないからで、管理できないのは自分の管理能力を超えているから。
- ぶっちゃけそれだけ物が多いということ。
- 物がなければ、収納に悩むこともない。
今までの片付けや収納の方法ではどこかしら引っ掛かってつまずいていたことが、何もかもすとんと腑に落ちた。
この池田さんの本と、同時期に読んだ金子由紀子さんの『持たない暮らし』という本が、その後断捨離へとスムーズに移行する心の基礎となってくれた気がします。
その後断捨離に目覚め、要らなくなっていたものをどんどん処分しました。
現在もまだまだ片付け完了には程遠く、絶賛断捨離進行中なわけですが、それでも家の中がかなり変わったと感じます。
しかし何よりは、自分の意識が大きく変わった。
今までの人生、いつも「いつかこの部屋を完全に片付けて暮らしやすくしたい」と思い続け、常に未完でした。
ただの一度も完璧に片付いたことがなく、常に頭の中に片付けをしなきゃいけないという思いが雲のように覆っていた。
私の人生は常に「部屋を片付けること」が目標というか、ゴールに置かれていたのです。
それが、実際に家の中が片付いてくるにつれて、次第に「片付けが終わったその先」の生活がイメージに上がるようになってきたのです。
常に片付けの義務感に追われる生活は異常だと気付いたんです。
休日になれば「よし、片付けなきゃ」。
せっかくの休日を本来の有意義なことには使わず、終わらない片付けに当てるのが当たり前の感覚になっていたことが、それはおかしいと、異常なんだと、気付き始めたのです。
片付けや掃除が休日の、ましてや人生の目的であるはずがない。
そんな当たり前のことに、40歳になってからようやく気付けたよ。
子育てでも感じるんだけど、自分の育った環境・特に自分の親の影響って本当に大きいなーと感じる。
最近タンスの上に物を置かなくすることに成功したんだけど、こんなこと今までは絶対できなかったからね。
「タンスの上の空間に何も置かないなんてもったいない」という思考が擦り込まれていたんだよね(゜д゜)
私の実家は、一見特に汚くは見えないんだけど、物がものすごく多い家。
ごくフツーの4LDKの建売の二階建住宅にありとあらゆる物が詰め込まれている感じで、整頓だけはされているから汚い感じには見えないんだけど、ただ整頓がされているだけ。
物が入らなければどんどん棚やケースを買ってくる「何も捨てない」がポリシーのような父・・・。
タンスの上を活用しないなんて愚の骨頂とばかりに、本来空いているはずの空間にはどっさり何かが置かれている。見上げれば部屋の上の方にまで吊り棚をつけて何か置いてある。
この「何か」というのがポイント。決して本当に必要な物が、そこが一番いい場所だから置かれている、のじゃない。置いてあるそれが一体何なのか多分父本人もよく分かっていないかすっかり忘れている物なのだ。
断捨離を始めて、私の中の「物の置かれていない空間に後ろめたさを感じる自分」の存在に気付いた。
何もない空間に罪悪感を感じていたんだよ。
全てのタンスの上から物がなくなった時、物が多くて片付けられない親の呪縛から抜け出せた瞬間かな・・・と思いました。まさに呪縛だったよw
あーまた長くなってしまった。
次こそは部屋の配置替えをした話を書くつもりー(´∀`)