願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

きっとぼくは誤解した世界のまま(世界を誤解したまま)終わっていくのだろう。

まるで秋元某氏の歌のタイトルかしら(´∀`)
と自分で軽く処理し終えてから本題へw

私はもともと思い込みが強い性格をしていて、もうそれは自覚しているので頑張って矯正フィルター的なものをかけるようにして日々生きているのですが、それでも無意識に思い込んでいるようなことはなかなかそこから抜け出せなかったりします。

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この世界の美しさをきっとぼくはまだ知らない。(またw)

過去、私が思い込んでいて「そうではない」と知った時に驚いたものの簡単な例を挙げると、子供の頃にテレビ番組を見ていてよく「応募はハガキで☆」と、何かの抽選を募るようなコーナーで「郵便番号+テレビ局と番組名」を書くだけで本当に宛先に届いて抽選に応募できる、というのがあります。
なぜか私は、画面のハガキ画像は省略された記載例であって、あくまでテレビ局の住所をこちらできちんと調べて書かなくてはならないと思い込んでいたので、いつも「応募したいけどテレビ局の住所をわざわざ調べるのめんどくさいなー」と思っていたのです(´ρ`) 要は「郵便番号だけで届くわけがない」「住所を書かなければ届くはずがない」と、心の底から思い込んでいたということですね(´∀`)
なんかこういうことが多い。
「こうあるべきだ」「俺の妹がこんな便利で簡単なはずがない」という「世の中はこうであるはず」というなんか変な思い込みがなぜか子供の頃から私の頭にあるというか。
偏屈な公務員の家庭に生まれ育ったからでしょうか…

まぁこういう例はまだほのぼのというか、ネタにもなる笑い話で終わるからいいのですが、笑っている場合じゃない例もあって。

例えば私は子供の頃からいわゆる会社勤めのいわゆるOLというものが「一体何の仕事をしているのか」分からず、自分はその仕事は絶対できないだろうと思っていました。
昔の女子社員の仕事の大半であったであろう「事務や経理」といった職業の内容が全く想像できなかったのです。
それは割と大きくなってからもそうで、そしてその通り、自分は普通の会社勤めのOLをしたことがありません。(「したことがない」じゃなく「できなかった」という表現が世間的には正しいw(´ρ`))
さすがに今はもう理解はしていますが…と言いつつ、実は今でも私のどこかで、漫画やテレビでよく見るアイコン化された「普通のOL」が何をしているのか、本当にはよく分かっていないところがある。
なぜならそこにはきっと、もし私自身が「本当にその作品内のOLの仕事描写として描写or匂わされているような内容(=新規顧客開拓やら商品開発プレゼンやら会議やら他社との競合やら…)に毎日従事していたら、とても終業後に同僚と気楽に飲みに行ったり休日に旅行や買い物に出かけたりなどできない(※そんな心身の余裕などない)はずだから」という自分ソースがある。
私がしてきた労働というのは、感覚として一言で表すと「日銭稼ぎ」であり(実際は月給であって本当には「日銭」ではなくてもー)、食うため生きるために必要だからしょうがなく、稼ぐ、働く、というものなだけであって、「その仕事を発展させていくために自分ができること」やら「自分の中での課題成長、成果を積んでいく」やらの意識が皆無。といってもやる気がないとかではなくて、私はものすごく真摯に仕事をするのだけれど、根本のところで例えば「常に前進と改革を意識してなるべく業務プログラムを改善していこう」とか「常にこの会社がもっと発展していくためにどうしたらいいか、自分がどのように貢献できるか考えよう」とかの「変革・発展の意識」的なものが全く存在しておらず、というかむしろそういうことを上から言われるとしたら面倒で仕方なく、「今の仕事のまま永遠に変わらず、でも一生懸命働いて、それだけでお金をもらいたい…システムとか頻繁に変わったりアップデートとかしなくていいまじで。まじで面倒(´д`)」と思っている、要は「仕事なんて金を稼ぐためのもの」でしかない、という意識が私にはあって、なんだかビジネスの話題でよく目にする「会社にとって一番要らない社員はコレだ」みたいな見出しに出てくるダメ社員の典型なんじゃないか…という気がする。要は自分で考えて変革や発展したくない、与えられた仕事しかしたくない、っていうねw(´ρ`)
しかし、かといって、じゃあ「仕事は仕事、人生を楽しむための糧(o^-')b☆タダソレダケ」と完全に割り切るようなことも全然できなくて、働いている以上はそこそこ熱意を注いで仕事をするタイプなので、大体日常の心身のエネルギーはそこに費やされ、家では何もしたくない&休日はただ寝ていたい、という、見た目やメンタル的には完全に典型的「社畜になるのです。
もちろん、先ほども書いたようにそれだけ働くのにしかし、「クリエイティブなエネルギーも注いで「趣味は仕事!仕事が楽しい」(´∀`)ワタシカガヤク☆」なんていう意識はほぼ異次元のもの。私にはない。*1

何も考えないで指示通り体を動かす仕事が一番楽、という、蟹工船にでも乗っていた方がいい人間なのです。本来。

また、私はここでもリアルでも金カネ金カネうるさく、世の中で一番大事なものはカネであると思っていながら、その実そんなに大好きなお金なのに「所詮カネ(゚⊿゚)」としか思っていない部分が根本にあるので、何と言うか、カネを稼ぐことに対してプライドがほとんどないんですよね。 
どんな仕事をして得た金であってもカネはカネなので、全くどうでもいい。カネに色はない、と言いますが、心の底からその通り。
たまに「こんなことで稼いだ金なんかいらない」とか「正当な対価じゃないものは受け取れない」とかいう台詞が「さも良い意味で」使われているシーンを見たりすると、全然理解できない。バカかと思っちゃう(゚д゚) カネはカネだろう。もらっとけよ、と思っちゃう。
私にとっては、労働で得た1万円も、たまたま拾った1万円も、はたまた仮に上級国民様のお金持ち様が気まぐれの施しで恵んでくれたとするチップの1万円(´∀`)だったとしても、全く同じ1万円でしかない。どんな理由であっても(倫理や法律に反しない限りは)お金がもらえるなら貰った方がいいのは当然だと思う。「施しは受けない!ヽ(`Д´)ノキリリッ!」なんていう矜持は私にはない。与えられた施しは余程じゃない限り受ける。頂けるものは頂く。
それが生きるということだ。(←となぜかかっこよさげな雰囲気でw( ´_ゝ`))

話が横道にそれましたが(ノ∀`)

えーとなんでしたっけね…

思い込みで笑えないと言えば、実はこれが今回一番書きたかった一番重要なことだったのですが、「年齢や属性」に関しての思い込みと「自分自身のカテゴライズ」です。
その二つは問題によっては一つに合わさるくらい、私の人生において密接に関係しています。
文字通り「もう○歳だから~、まだ○歳なのに~」的な年齢差別的なものや「女だから、男だから」というジェンダー的なものも無意識の思い込みとして分かりやすいものですよね。あとは「デブだから~」「美人だから~」的なものもあります。
実は私の中で「デブで容姿も良くないのに幸せ(そう)である」というのはユリーカレベルなことだったりします(´∀`) なぜなら私が自分自身がデブでブスで不幸せだから、ですわw

これは、人生において重要なのは「幸福か、否か」である、ということがあって。

私がカネカネうるさいのも、お金がないよりはあった方が幸福感への近道だから、に他なりませんし、デブよりはスタイルが良い方が、ブスよりは美人の方が幸福感を感じるに違いないから、であって。
何と言うか、そもそも自分自身の思考について悩みや問題といったものは全て、全てが「自分が幸福かどうか」「幸福になるにはどうするのがよいか」という観点から来ている感覚ではないかと思うのですよ。

幸福そうな人がいて、その人が「私の思う幸福者の条件」から大きく外れていればいるほど、自分の思い込みに気付く…ということを繰り返してきました。
恵まれて幸せそうな状況にある人が、一転して私がトラブルだと感じるような状況に陥った時にてっきり辛い事態になるかと思っていたら全然平気で、どうしてだろうと首を捻った…というようなことは子供の頃からありました。

大層な人間失格者のように見えるかもしれませんが、多分人間失格者なのですw

長年生きてきて気付いたことは、「明日幸せになる人とは、今日が幸せな人である」ということ。「今日が不幸だと思っている」人には結局ずっと(その人が定義する)幸せは来ない。*2
これは「今が幸せであればこれからも幸せ、明日も幸せ、ずっと幸せ。」という類の真理なのですが、例えば20代の「いま」をしっかり充実して、刹那的でなくきちんと地に足をつけて楽しく過ごせている人は、30代になっても、50代になっても、80代のお年寄りになったとしても、ちゃんと自分軸でそれなりにきちんと人生を楽しめ幸福でいられる…ということです。
逆に、「いま」が楽しめていない、「なんでこんな人生なんだろう、宝くじでも当たらないと逆転なんて無理だよあーくそくそみんなしね」と思って生きている人(例えば私とか(´∀`))なんかは、例え年を重ねて50歳になっても多分心境は変わらず、というか年をとるだけ心身は衰えてくるわけで尚更ネガティブな思いは強くなる一方だろうし、結果的に80歳まで生きても「あーなんで体動かないんだ痛いわ苦しいわ年なんてとりたくねーわ、若いってだけで羨ましーわくそくそみんなしね」と思っていると思うんですよ。やだただの最低な人間w( ´_ゝ`)
いや最低は最低なんですが、まあ実際はここまでいかなくても、私は20歳くらいの時に「人生なんて毎日楽しくないと!楽しいことだけやって生きて行くよ!たーのしー☆(´∀`)」ってやっている人を見ていて、「バカじゃねーのか。いつまでも楽しくいられるわけねーだろ。年取ったらどうすんだ(゚⊿゚)」と思っていたんですが、違ってた(ノ∀`)
確かに年をとってからしっぺ返しをくらったような感じの人もいたけれど(でもその人だって本人が不幸だと思っているかは謎であって(˘ω˘)b)、自分の人生をなるべく楽しもうと思って生きている人が年をとっても同じように楽しんで生きていられるのはそりゃそうだ、というか。
「いま」を楽しんでいる人にとって、つねに今は「いま」であるわけで、つまりずーっと楽しい、ということなんですよね。
もちろん年齢と共に趣味嗜好の変化があったり、それこそ心身の変化等でできることが減ったりと楽しい「事自体」は変わっていくでしょうが、本人が「楽しい」と感じていれば、本人にとって人生が楽しいということや幸福感は何ら変わらないわけですよ。



で、なんでしたっけね…(´ー`)

本来書きたかった主旨をぼんやりと忘れてしまいましたw 認知機能も順調に衰えてきている(゚д゚)

まぁ何となく伝わって下さったであろうとは思うのですがw、こう、思い込み、いや既に偏見、といったものの力って本当に強いよね、という話で。
もうすぐアラフォーとも言えなくなる年齢になってようやく「ああ…そういうことだったのか…世界は…。これが若さか…(←ちがう)」と手持ちのシャアのLINEスタンプのシャアのような(二重表現)顔で目覚めていくことも多い現在、このまま死ぬまで解けないものもきっと多かろう…とほんのりと絶望したりもしているのでした。
まぁ、気付かないなら気付かないまま死んでいく方が幸せだよね…
一番怖いのは死ぬ間際に気付いてしまうことだよね…それって自分の人生に対する最大の罰だよね…( ´_ゝ`)ワラエナイ❤

笑えない夢想家。


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↑こんな顔(˘ω˘)

 

 

*1:ここ面倒なんですが、逆に「クリエイティブな感性や情熱そのものを職業にした仕事」=「画家・作家・漫画家・デザイナー・イラストレーター等々…」は理解できるし自分もなりたかったのです(´∀`)ナレナカッタ…

*2:※ただし前提として病気や災害などの「非日常の不幸」や自分自身の努力では本当にどうにもならない「理不尽の不幸」ではないこと