願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「自己責任論」の根底にある国民感情とその背景にある深刻な問題

シリアで武装組織に3年以上拘束されていたジャーナリストの安田純平氏が無事解放された件。
このことでさかんに見聞きするようになったのが「『自己責任という論調(以下「自己責任論」と同義)』について」の議論です。

全然よく見ていないし調べてもいないので超個人的な印象なんですが、やはり同じ立場のジャーナリストたちは安田氏擁護派(=「自己責任論」否定派)、文化人的芸能人たちはできるだけ中道に寄せつつも自己責任を問う一般人(ここでは主にネット民)の感覚を支持しているように思えました(´ー`)
皆さんの考えはどうでしょうか。

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この「自己責任」という考え方自体は以前から普通にあるものですが、昔はどちらかと言えばそういう論調は少数派だったと思うんですよね(そういうことを言おうもんなら「冷たい人間」「人でなし」と批判される空気が当たり前だった時代( ´_ゝ`))。
ネットやSNSの拡大で匿名で腹の底の本音が吐露しやすくなってから市民権を得てきた感じがあり、近年は更にその主張がより強い口調・過激な表現でされるようになってきた印象があります。
ただ、(何の話題でも炎上関係はそうですが)「自分が個人的に日々抱えている鬱屈した思いをただぶつけているだけ」という印象になってしまっているものがとても多いのも事実。

ところで、私は、この手の国民(特にネット民)に巻き起こる「自己責任論」についてはある視点を持っていて、いつもテレビの中の誰かがそれに言及してくれないだろうか…と思いながら見ているんですが、メディアに出ている著名な人たちは頭の良い人たちばかりなはずなのに全然出て来ないんですよね┐(´ー`)┌ヤレヤレ←
…って、単に「私のその視点自体がバカだから、もしくは的外れだから」という大きな可能性wがあるもののww

いつものように自分のバカさを晒すリスクを冒してここに書いておこうと思いますよ…という記事なのでした(´∀`)オレハヤルゼオレハヤルゼ

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↑いつものみんな大好きやる気満々シーザーを貼っておきますね(´∀`)

その視点というのは何かというと、「自己責任だと責める人たちの置かれている日常的環境」です。

つまり、「具体的にどういった人たちが」そういう激しい自己責任論を主張しているのか、或いは心に強く秘めているのか、ということ(゚Д゚)

結論をあっさり書くと、他人に対してそういう「自己責任」を強く押し付けたい、つまり「他人に対して異常に厳しい人たち」には2種類いると私は考えていて

1つは生涯まだ自身で稼いで生活するという生きる苦労を経験していない「子供」であり、ネットで暴走しがちな若者=学生なんかはここに当てはまるんじゃないかなあと。
この人たちの特徴は「自身で手に入れたわけではない、一定の水準の生活が保障された人生しか知らない」ということ。
いわば「金持ちの世間知らず」とよく似た精神構造なので与党支持の保守派になりがち。ネット若者民に自民党や安倍さんの支持者が多いのもよく分かります。要するに現状支持。思考停止した(というよりまだ「思考以前」というべきかも)政府の味方。

もう1つは、逆に自身が現在生活に困窮している、もしくは生活はできているが余裕がなく常に周囲や政治に対して不満を抱えている人たち
この人たちは「自分だって満足に助けてなんてもらえないでその中で必死でやってる。どうして渡航禁止されている危険地域に自ら出向いて案の定捕まった奴を税金で助けてやらなきゃいけないんだ!」と思っている。自分たちには満足に払った分の税金の恩恵なんか回ってきてないのに!ヽ(`Д´)ノという感じ。私はどちらかというとこっち(*´艸`)キャッ☆

…などというどうでもいい自己紹介は後に回すとして、ここではまず子供は省いておきます。自分で働いて自活するようになってから過激な他人批判や社会問題提起はやるべき(o^-')b☆

で、核となるのは2つ目の「自分たち自身が満たされていない生活環境にある人たち」です

これは上でちらっと書いたように私自身がこの要素プンプンな人間であってw(´ー`)
まぁこのブログを以前から読んで下さっている方にはお分かりだと思うんですが、ぶっちゃけ安定的に「金持ち爆発しろ」的な黒い思いを抱えている私ですよ( ´_ゝ`)
普段から、例えば「死刑判決が確定したら即時執行!こっちが血と涙を涸らして収めた税金使って生かしておくな!ヽ(`Д´)ノカネノムダ!」という価値観であったりする私が、繰り返しになりますが自分から渡航禁止されている危険地帯に政府のお達しをブッチして行っておいてね、捕まってから「殺されそうです助けてください」はないんじゃない?(゚Д゚)ハア?…って思わないわけないじゃないですか(゚Д゚)

うん、そう。
私自身ずっと「勝手に行ったあなたが悪い」って思ってた。殺されるかもしれないと分かっているところに行くのは自殺願望がある以外ないでしょ、って思ってた。
そう「自己責任」だと思ってた昔は

というか、割と世の中のいろんなことに対して「自分で選んだんだろ、自分で何とかしろよ」って思ってた。昔は。(あ、DV夫とかは今も自分で選んだんだから自分で何とかしようとしないとだめだと思う(o^-')b☆)

でも、ある時にまた別の話で自分の中の「ある傾向」にはっきり気付いたことがあって。
それは「自分が幸福な時は身近な他人に対してはもちろん、一般的な事件や話題を見聞きした時にも普段なら脊髄反射で湧いてくるはずの『他人に厳しい感情』や『ネガティブな思い』は湧いてこない」ということ。
私は容姿も健康も経済環境も恵まれてはおらず、そういうものが本来の内向的性質や引きこもり性質と相まってぶっちゃけ「他人の(軽い)不幸は蜜の味」というゲスの極みみたいな性格になってしまっているため、基本的に僻み・妬み感情が強く、それゆえ世間や他人様に対しては常にネガティブで厳しい見方をしてしまうんですが(最低な人間の文章)、そんな私でもね、たまたま自分自身にゆとりがあり、心が穏やかで満たされている時(もちろんそうそうないんですがw(´∀`;))は、あまりそういうことを思わないんですよ。

身も蓋もない話ですが、そもそも自分が幸福じゃないと他人の幸福なんて願えないどころか喜べないじゃないですか。私だけ?∑(゚Д゚;≡;゚Д゚)
皆さん、自分が不幸な時に他人だけ幸せな状況って本当に喜べます?

私は無理です(´・ω・`)マヂムリ。。。

自分のおかれた現状に不満がなければ、自分以外の「外」にもフラットな視点で向かえたり、優しい気持ちで見ることができますが、そうでない限り「自分は恵まれていない」「不幸だ」「なんで私だけこんな目に」という思いが多少なりともあると、他人に対して厳しい見方が基準になりがちです。

なんというか…「不公平感」

  • 「自分は~やっている、あいつは~やっていない、だから自分より恵まれるのはおかしい」
  • 「自分は~やっていない、あいつは~やっている、だからあいつが責められないのはおかしい」


要するに、異常なほど厳しい「自己責任論」が台頭するのは、その前提というか社会背景として、「自分は『自己責任』を負い、幸せじゃないし辛いけれどその中で生きている」「自分は不条理な現実にこんなに我慢して生きている、耐えて努力している」と感じている人間の多さ(=「自分はきちんと自分で選んだ人生を満足して生きている」と感じている人間の少なさ)という深刻な問題があるのではないか。

それはそういう生きにくい、辛い社会になってしまっているという事実、困った時・苦しい状況になった時に容易に他人や制度に助けてもらえない「弱者切り捨て」の社会になってしまっているということの証であるのではないか。

要するに日本社会全体が深刻に病んでいる、或いはこの先病魔はもっと酷くなることの表れではないか。

そう思うのです。

近年の日本、どこか全体的に固くこわばってきていると感じますよね?
「思いやり」とか「ゆとり(※教育ではない)」とかいう言葉から最も離れたところに向かいつつある…というか、もう来てしまった、そう感じていますよね?

子供に冷たく厳しい社会、当然出生率は下がり続けている、なのに女性の社会進出は先進国最低レベル、おまけに政権閣僚に女性はたった一人(しかもかなりの急拵えw(´∀`))、公共の場所では静かに、いかに他人に迷惑をかけないかかが厳しく判断され、バスでも電車でも化粧や食事はもちろんお喋りも赤ん坊の泣き声も厳禁、所得は上がらないのに物価と税金だけは上がり続け、なのに国会議員の数は3人も増やされ、公務員が楽で安心で高給ともてはやされ、小学生のランドセルは1年生でも重いと10kgにもなり、「障碍者は世の中に不要」と殺戮され、LGBTは生産性がないと現役国会議員が寄稿し(その後随分期間が経ってから撤回しましたがw)寄稿先の言論雑誌は休刊し、16歳のアイドルはパワハラと過労で自殺。
JK風俗・制服スカートビジネスに代表される子供の性搾取嵐が巷でも芸能界でも吹き荒れ続け、幼稚なロリコン大国という恥にもほどがある評価を他国からは受けており、なのに保育園や幼稚園はうるさいからと反対する。強硬していく社会状況に匿名ネットでウサを晴らせば監視が厳しくなってすぐ特定されて捕まり(これ自体はいいことですけど。)せいぜい気に入らない発信を批判という名目で叩き潰し燃やし尽くすだけ。

…なんだこの恐慌時代のような閉塞感に満ちた社会は。

いやほんと、これだけの鬱屈した閉塞状態はどこに向かうのでしょうかね…?((((´д`;)))まずいと思う…
しかも絶望するのが、少なくともあと3年はこのまま行くことが決定しているということ(∵安倍さんが続投するから)。怖い。ほんと怖い。*1

という話はまた別に回すとして、つまり台頭してくる「自己責任論」=過剰なほどの「自己責任を問う」感情というのは、それを感じている人自身が誰の助けも受けていないと感じていて、尚且つ「そのことに納得していない」、という状態が意識の根底にあると思うのです。
「俺は自己責任だと思っているから禁止されている危険なところには行かない、お前もそうしろ!自分の意思でそれを破るなら俺は絶対に手を貸さないし誰かが手を貸そうとすることも認めない、許さない!(゚Д゚)」という感じ。強硬な感じしますよね(´ー`)

上の方で、私自身そうだったと書きながら「昔は」と断っているのは、今は多少変化しているからです。
かといって完全に擁護したいわけではなくて。

それはこれまでも色々な記事中で書いてきたことなんですが、私の中で年を取るごとに「白か黒か」ではないという気持が強くなってきたことが大きくて。
「白か黒か」「善か悪か」「正か誤か」という、日本人は特に二元論が大好きですよね。対人コミュニケーションでは曖昧ではっきりしないものを好むくせに、こと内面の価値観ではわびさびや粋みたいな「竹を割ったよう」なスパーンとしたものを好む、かっこいいと感じるようなところがある。楽だからなんでしょうかね。楽しいから?勧善懲悪はすっきりする。それもわかる。
私もそうで(´ρ`)テヘペロ

しかし、今のこの日本の強硬・恐慌という閉塞状態を表しているような気もしてくるこの二元論。
結局は「自己責任論」もそれであって。

今回の安田さん事件において最終的に私が思ったのは、どちらが正しい、間違っている、とは言えないということでした。

政府が国民の安全保護のために渡航禁止の設定をし、退避勧告を出す危険な地域・国がある。それは国が我々国民のためにしてくれることです。情報を集め、精査し、自国民の命と安全を守る義務を果たす。
それを無視することは絶対良くないわけでね。だって危険なんだから。
しかも、一応民主主義国家の日本では政府が無理矢理拘束して現地に行かせないという手段はとれない。「政府勧告を無視する自由」も日本人にはきちんとあるわけですね。
それで、自分の意思でもって現地へ行った。で、武装組織に捕まった。身代金を払わないという決断を日本政府は最初から公にしている。

でも、助ける努力はする。これは当然だろうと。

これを否定している人たちは、あれかね。入っちゃだめだよって禁止されているところに入った人はどうなってもいい、助けなくていい、っていかなる状況においても思ってるんですかね。そんなわけないよね。線路に入った人は轢いていい、危ないよって言われてる雪山に登山して遭難した人は助けなくていい、避難指示が出ているのに自分の意思で避難せず家屋倒壊・浸水等してしまった人は救助しなくていい。

…そんなわけないよね?(゚Д゚)

うん、そんなわけないんですよ( ´_ゝ`)

助けるよ。助けようよ。できる限り。

そして、安田氏軒並み擁護のジャーナリストたちの肩を持つわけじゃないんですが(これはこれで気持ち悪い。青木理さんなんかちょっとしっかりして!って感じ(゚Д゚;)キモチハワカルケド…)、ジャーナリストということは大きいです。
やっぱりね、生身の人間がそこへ入って誰かが伝えないと全く知ることができないということは絶対にあると思うんですよ。
どなたかがTwitter「日本で大変な危機的状況が起きた時、誰も他国へその実状を正しく伝えてくれなかったらどうしますか?」というようなことを発信されていたんですが、まさにその通りだと思うんですよね。
鎖国なんつって我が国には長くそういう時代があったわけですが、たまたまそういう壊滅的事態が起きなかったから運よく日本はまだ存在している。でもこれからもそうなのか?と言ったらそれは違う。
今やバカな大人の代表である政治家や官僚&自分たちの利益しか頭にない鬼畜な電力会社のお偉いさんたち(失礼ですが敢えて書かせてもらいますよ)が性懲りもなく原発をまた動かしてですね、また何やら「想定外」なことになって爆発したとしましょうよ(´∀`)ポポポポーン
そして今度こそフクイチどころじゃない事態になったとしましょうよ。
で、海外各国政府が「危険だから日本には取材に行くな」ってお達しを出して、みんなそれに正しく従ってだーれも来なかったら?ねえどんな気持ち?ねえねえどんな気持ち?(・∀・)…なんてニヤニヤしている場合じゃなくて。
助けにも来てもらえるどころじゃないわけですよね。

原発じゃなくたってどこかの国や団体が秘密裏に攻撃を仕掛けてきたり、オウムのような化学兵器バイオテロが大々的に起こったり、太陽フレアの何かとか他の何かとかで一時的に何らかの大規模なシステム障害が発生して国内の飛行機が空中衝突しまくる大惨事になったり、する危険は可能性としてこの日本にもいつだってあるわけです。この先武力による内紛だってないとは言い切れない。北海道独立とか沖縄独立とか。栃木を取り合って東北と関東の争い勃発とか(新潟をめぐって東北と北陸と関東の三竦みとか)。未来は誰にも分からない。

私は失礼ながらジャーナリストとしても安田さんをよく知らないし、もちろん好きでも嫌いでもないし(今のところそんなに好きな感じもしない…(´∀`)という超個人的感想)、そもそもジャーナリズムの旗の下にならどんな規制も指示も無視していいとは全く思わない
でも、「ジャーナリズムの自由がなくなることは私たち一般市民の自由も終わるということ」だとも思っているわけで。
現在の日本のジャーナリズムにその思いに値するほどの価値があるのか、というのは確かにあると思うけれど、それはまた別の話で。
少なくとも、何がしか窮状・惨状に陥っている国や地域の真実を、多くの人に知らせるという意志と使命を持って危険地域に赴くジャーナリストに対しては、敬意とまでは言わないまでも、同胞への労いくらいの感情は持ってもいいんじゃないかと、そう思う。
蛇足だけど医師や看護師、ボランティアなんかももちろん同じであって。

ただまぁ観光客はなぁ…。別だよね。一応助けるけど…(←助けるのは私じゃないけど)









*1:安倍さんについての話はまた別に書きたいところ。私は安倍政権不支持だけれど安倍さん個人を特に嫌っているわけじゃないのです。私からすると彼は本当に不思議な人だと感じる。