願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

少女の置かれたディストピア

「この国では成長途中の女性のことを『少女』って呼ぶんだろう?だったら、やがて魔女になる君たちのことは『魔法少女』と呼ぶべきだよね」ーーーーーby.インキュベーター魔法少女まどか☆マギカ』より

 

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(↑某霧雨さんぽいシルエット)

 姉さん、(少年&)少女たちが受難です(´д`)

…と、高嶋政伸主演のドラマ「ホテル」調で語り出したくなるほど(古い(o^-')b☆)、この国の子供たちの保護政策はどうなってんだ。腹の底が絶望と憤りと砂を噛むような苦い諦めで満たされていく。そんな心から滲み出た独り言。

近年の流行りは「ディストピア現代少女」だろうか。
そしてその象徴は「制服」だろうという気がする。

AKBや坂道グループを例に出すまでもなく、制服の少女が「そこ」から抜け出そうともがく、闘う、というモチーフは古来(?)より日本では大変気に入られている。
制服が象徴する「大人」「組織」「拘束」「自由を縛るもの」からの離脱の闘いを演じる可憐な少女たちがまとうのが彼女たちのために美しくデザインされた他ならぬ「制服」なのだから、思わず片頬が上がる。それを仕組む側の大人の「汚さ」と言ったらねえw(´ー`)

若者に人気の音楽に触れてみようとふと思いついて、CMで流れているAlexandrosの「ワタリドリ」(好き(´∀`))のMVを見てみた。
可愛らしい女子高生らしき少女が二人、学校らしき屋上に上ったりしながら、田園を駆け抜けながら、海辺に佇みながら、まるで滅びゆく地上に二人きりのようなセカイ系な雰囲気を醸し出しつつ、最後は車から都会のネオンへ紙飛行機を掲げる…という岡崎京子ちっくな感じで終わっていた。

最近たまたま最終巻だけ読んだ漫画「五時間目の戦争」(著者・優)や、最近のダンス甲子園(という言い方はもちろんしないのです…(´ρ`))もとい高校生のハイクオリティーな部活ダンスなどの下地もあって、「制服の『少女(≒戦闘美少女)』」についてモヤモヤとした思いが浮かんだのは、私が「元・少女」であって「今・少女」ではなく、「今・母」だからなのだろうという気がする。

あ、ダンス女子高生や上で書いたMVなど自体はすごく素敵でいいと思う(´∀`∗)

というか、すごく素敵だからこそ、うまく言えないが、その純粋な「魅力」自体にすらもう今の日本の歪んだ「少女(≒子供、若く美しい存在)に対する価値観」が蝕んでいるような気がするモヤモヤ。

消費される子供たち、搾取される少女、というものの醜悪さと悲劇。
そして、それらの抗いがたい魅力、儚い美しさ…も、年を取った私にはよく分かる。

よく分かるからこそ、この国の「それを止められない自制のない醜い大人(主に男性)」への怒りが収まらない。

荒廃したディストピアに制服*1の美少女というフィクション設定は、かようによく見かける。
だが、この国の現実の制服少女*2たちが置かれているのは実際のディストピアなのだろうという気がしてきた。
下がり続ける出生率、生まれないからこそ貴重な子供、なのに子供に冷たく、そして年々貴重さが上がっていく未成熟な十代の少女を(それを巧妙に隠しつつも、実はただ)「性」の対象として加速度的に消費し続けるこの現代の日本社会そのものが、そこに生きる子供たちにとっては「完全な終わりの始まり」=ディストピアでなくて何なのだろう。

16歳で自殺するまでアイドルとして搾取され続けた少女は、本当に世界の終わりじゃない、21世紀の民主主義の先進国に生きていたのだろうか。







*1:私服通学であっても女子中高生だと何となく分かる服装込みの意味なのです。

*2:上の脚注同様、これはほぼイコール女子中高生という意味です。