願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

道を譲る人が勝ち組

ここのところ精神的にかなり不安定というかぶっちゃけ荒れていて、先日、普段本当に自戒している「公共の場で見知らぬ他人にキレる」ということをやらかしてしまい、大いに反省しています…
もうね、本当に何なんだろう私。頭おかしいんじゃないのか。いやおかしいんだと思う、実際。
あまりに情けないので事の詳細は省きますが、いくら相手の態度に直接の問題があったとしても、それに対して「キレる」という最も原初的な感情的反応を返してしまうというのは、普通の精神状態の大人じゃ有り得ないと思うんですよ。
しかも、後々冷静になればこうやって後悔することは分かっているレベルのことで。

そのキレた日の帰り道、苦い後悔と反省を噛み締めながらまだ落ち着かない心で私が思ったことは、こうやって低レベルの次元でキレる私の姿が「私という人間がいま属している階層がどれくらい下層であるのか」を表しているんだな…ということでした。(もちろん同じレベルなので相手も下層の住人です)
そういう話をします。

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普段散々キチガイだの頭がおかしい人だのという話をしていたけれど実は本当に狂っていたのは自分の方だったΣ(゚Д゚;)…というサスペンスホラーのような話です(o^-')b☆(※やや誇大広告)


さて、私は自分の「見知らぬ相手に対してもキレやすい」という異常な性格を自覚していて、だからこそ普段自戒しているのに、なぜその日はそれができなかったか。
それは、一言で言うならもともと私がイライラしていたからです。そりゃそうだ(゚д゚) もし私がイライラしていなくて、なんならとてもいいことがあって幸せな気持ちでいたなら、そもそも相手の不快な態度にあっても特に反応しようとはしなかったと思うんですよ。
でも、反応した。
実は心のどこかで「反応しちゃだめ」「気にしなくていいよ、やめよう」という声がしていたんですよね。「これは自分が後から面倒になる」「引いた方がいい」って。小さい声だったけど。
でも、私はそれを無視したんですよね。なんでかわかんないけど、敢えて無視したような気もするほどに。そして相手と言い合いになった。
相手が頭のおかしい人かもしれない可能性もあったけれど、最初にキレた相手から発された侮辱的な言葉がとても許せなくて、私も頭のおかしい人になった。

でね、これが私という人間の重要且つゲスなポイントなんですが、いざ事が過ぎ去り、こうやって今現在も結果的に苦い気持ちで後悔と反省と情けなさを噛み締めることになり、…噛み締めている間、はなぜか聖人のようになれるんです。
さっきまでイライラしていてそれで公共の場で見知らぬ他人とキレ合いを演じるまで行っていたはずの心が、しゅんと萎んで、小さく大人しくなって、前から大幅に道幅をとって歩いて来る人に進んで道も譲るし、路側帯脇を猛スピードで抜けて行く暴走車にも全然怒りがわかなくなる。まるで抜け殻のようになる。
そして、信号はそっちが赤で止まらないと行けない狭い曲がり角から突然飛び出して来た人にもなんか「あっすみません」とか言っちゃう。
なんか親切の塊のような人になる。

何となく便宜的に「ガス抜き」って呼びたくなるくらい、不定期だけど定期的に(変な表現ですがそこはニュアンスで(o^-')b☆)こういう「他人にキレる」ということをやらかすのです。(実際はガス抜きなんて気楽な言葉で言っていいことじゃないし言いたくないし、意識してやっていることでもないんですが)

少し横道にそれますが、私には「小さな苦痛はそれより大きな苦痛で隠す」というような性質が強くあって。

例えば身体の感覚で、怪我とか突然の発病などで強い痛みを感じるような状態になると、それまで(他の部位などであっても)漫然と感じていた些細な痛みや不調などはそれに比べて遥かに弱いレベルの刺激になるので相対的に気にならなくなる、みたいなことってあったりしますよね? それに近いシステムが私の脳内にある(´д`)
何か新たな問題や不快なこと、嫌なことやトラブルが起きる度に、それまで感じていたストレスや嫌なことが全然大したものに見えなくなるんですよね。
文字通り「小さな苦痛はそれより大きな苦痛で隠す」「更なる不幸でそれまでの不幸を隠す」というような、根っからの「不幸体質」とでもいうようなものがある。もともと。

だから、望んでいないはずなのにこうやってまたいつどこかで縁のあることもあるかもしれない見知らぬ他人と(世界は狭いのでどこでどう繋がっているか分からないですよね。だから普段は自戒しているのに…(゚Д゚)ホントバカ!!)バトルをしたり、過去には同じマンションの迷惑な階上の住人とバトルをしたり、してですね、今回のように後悔と反省と待ち伏せされて刺されるんじゃないか」「後をつけられて火を点けられるんじゃないか」「相手が実は地域の実力者で村八分にされるんじゃないか」…などとという「穏やかな生活が脅かされる不安」という不安妄想に取りつかれ、数日或いは数週間は本気で生きた心地がせず食欲も落ち、数カ月はフラッシュバックのように思い出して時々奇声を上げたり脳内でのた打ちまわったりして自分を責める…ということを繰り返すのです。
そうなって初めて、普段の、不満一杯の生活がいかに穏やかで安全であったか、と心から思い知り(ような気になるだけなのかもしれませんが…)、悔い改めるような気持ちになるのです。
普段の日常や周囲の人間に感謝し、もう何も不満なんて抱くまい…と思うのです。

こういうのももしかすると精神医学用語・心理学用語では何か名前がある症状だったりするのかもしれないねー。

で、結局は、キレやすい人、いつもイライラしている人は「不幸だからそうなっている」という身も蓋もない話なわけで、さっきも書いたように幸せである人は当然イライラなんてしているわけがなく、見知らぬ他人どころか身内にだってキレたりすることなどないわけで。
道を歩いているとよくいる意識的に相手を絶対に避けない人や半歩だって譲らない人、先に謝ったら死ぬ病気にかかっているような人らは、そのほとんどは恐らく私と同類の下層階の住人であって。
例えばね、預貯金1億円あって街中に持ち家の大きな戸建やタワーマンションに住んで家族にも恵まれて充実した人生を今まさに送っている間違いない「勝ち組」の人が、街中の狭い歩道を歩く時に、心の中で「前から歩いてくる奴がいるな…お前が道を譲るんだよ!その傘を畳んで半歩横にずれろ!しないってんならやるかあ?ああ!?」なんてゲスチンピラの思考になりますかね?って話ですよ。ならないですよね(´ー`)
何の苦も無くさっと軽やかに避けると思います。ちょっと肩が触れそうになったら気軽に「すみません」とか言うよ。私だって言う。もし今預貯金1億あってお金の不安が何にもない人生歩んでたら私だって心からの笑顔でそう言うね(゚Д゚)

こんなこと私が今更こんなとこで書かなくても、皆さんご存知だと思うんですが、いつもイライラしている、すぐキレる、自分以外全てが敵みたいに思って生きている、道なんて絶対譲らない、何かあったらすぐ文句やクレーム(※正当なものじゃなく)をつけるような人たちは今現在「幸せじゃない」からそうなっている=つまり不幸である人たちなんですよね。自分で自分を「幸せ」だと思っていない、という意味で
そしてそれは現代社会においてはやはり「負け組」の人々に多いわけで。
私なんて負け組の最下層ですしね(´ー`)

私は人生お金が全てだと思っていて(そりゃ実際には本当に「全て」ではないとは思うけどさ…)、イライラしている人間は皆貧乏であり、そのイライラの原因はほぼ全て金の心配であり、お金の余裕がないことは人間をここまで壊すかってところまで壊していくし、もしたった今くじに当選したとかで数千万円でも手に入ったらあっという間に自分のメンタルが激変することを知っている。
お金があってもなくても本当に変わらないでメンタルを保っていられる人は尊敬するし、心からすごいと思う。
でもそういう人は良くも悪くも特別で、ほとんどの人はそうじゃない。(注・お金のあるなしによって不安メンタルが左右されるということ。私のようにすぐキレるとか言っているわけではないのです…(´∀`))




時々、自分がここまで人格が壊れて、ストレスで喘息やら何十年振りかに顎関節症を再発させたりしつつ、それでもなぜ死にたくはならないのだろうかと考えたりするのです。
あーもー死にたい、と意図的に口に出すことはあるけれど、それもある種のガス抜きのようなもので、「本当に思っている以上の酷い言葉を外に吐き出すことで内面を保つ」という私の癖というかストレスの多い人生を歩むうちに身に付けてしまった「処世術」「やり過ごし方」のようなもので、本当に死を望んでいるわけじゃない。
私が自殺したら悲しむ人、自分が悪いのだと自身を責める人(夫など)、計り知れない影響を与えるだろう息子、に悪いと思っているからしない、ということもあるけれど、単純に私は「生き汚い」「命に汚い」というか、多分もともとゲスな性分なので「なんで私が死なにゃならんのだ、もっと死ぬべき奴らがいるだろうが(゚Д゚)」と思っていることと、「死ぬという現象自体が怖い」という死恐怖症でもあって、「最終的にどうにもならなくなったら死ねばいいし…ネ…」と思うことも確かにないこともないのだけれど、例えば一般的に鬱などの症状として見聞きするような「生きているのが申し訳ない、自分の存在が辛い」「ただただ辛い、死んで楽になりたい」もしくは「ただただひたすらに死にたい」というような気持ちになることはなくて、そここそが私が「自分の価値は何物よりも低い自己肯定感ゼロ人間でありながら(orだからこそ)自分以外は全員(自分を下に見ている)敵であり、自分の不幸は世の中のせいだしこの世に産んだ親のせいだし、とにかくこの世の全ては自分以外の何者かのせいである」と考える境界性パーソナリティー障害者である証と所以でもある気がする。

ただ、それでもやっとというか、今更そっちに行っても逆にダメだろうという状態になっていよいよというか、いい加減「心の表層部分」でも自分に嫌気が差すことが多くなり*1家族に対しても「私なんかいなくなった方が(=死んだ方が)逆にいいんだろうな( ´_ゝ`)」と思うことは近頃は多くなってきていて、いつか希死念慮にとりつかれるようになったり、本当に自ら死を選んだりした時、それはある意味ボーダーからの解放なのだろうか…と考えたりするのです。

息子に影響が…なんて言ってるけれど、いっそ死んでくれた方が結果としていい親というのも間違いなくいるからね…

でも痛かったり苦しいのはいやだな(´д`)←こんなことを言っている人間は絶対に死なない典型という話ですなw
終わりまで書いてみれば単なるグダグダした中二病的な「死にたい…(チラッチラッ」みたいな記事になりましたが、「ああなんか大変そうだなー(棒)」と脳内棒読みでさらっと読み流して下さい(ノ∀`)ハズカシイ


 

 

 

*1:ボーダーなので深層意識では自分の価値はゼロであり、いなくなって全く問題のない存在・生きている価値のない存在なんですが、自分で意識できる「心の表層部分」の感情としてはその反動で他人に対しての責任のおしつけや要求がすごいんですよね。ちょっと違うんですが分かりやすく言うと、誰もが私より価値のある「上」の存在なのだから、「下」である私に対しては上から施して当然…的な感じ…?最低最悪だね!!(o^-')b☆