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「アウト・セーフ」の境界と「ワンピース」89巻事件

「長い長い道が少しずつ上り坂になって行ったり細くなって行ったりしてとうとう崖の稜線に藪が現れて進めなくなって、そこでこれはもう明らかに「ストップ」という区切りが登場する」…何のことかというと、物事の「アウト・セーフ」の境界ってそんな感じだと思うんですよ。
「道を歩いていて突然高い壁が現れた、こっちはセーフだけどあっちはアウト」というのでは無いと思っていて、という話です。

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 私は現物を見ていないんですが、「ワンピース」89巻の表紙カバーの作者コメントが横井庄一さんを侮辱していると非難されているといういうニュースを見たのです。
横井さんというのは、太平洋戦争が終わったことを知らずに*1ジャングルの奥地で28年も生き延びてきたという伝説の人。
横井さんが帰国されたのは昭和47年なので50年代生まれの私でも生まれる前のことであり、私の横井さんに関する知識は現在の若い人たちが調べて知ることと何ら変わるものはなく、自分が物心つく前の時代には椅子に座る時に「よっこいしょーいち」と言うギャグがあったらしい…という程度です。

さて、ワンピ作者の尾田先生は、家庭内で食卓に出た大皿の唐揚げなとが一つ残ってしまうことを「横井軍曹」と呼び、「横井軍曹残ってるよ!誰か戦争を終わらせて!」などと使う、…というようなことをコミックス89巻の表紙カバー(多分表紙をめくった時に見えるカバー端の部分だねー)に、多分最近の日常というような感じで書いた、という話。*2
多分、尾田先生的には面白いことのつもりで書いたんだろうな…と思わせるのが更にムズムズするというかw(´ρ`)

この話を知った時、まず上のムズムズより先に「あーあやっちゃった」と思ったわけですが、それは冒頭に書いた物事のアウト・セーフの境界に気付かなかったんだね…という「やっちゃった」感。
これは作者が悪いというより(悪いんだけど)、それをそのまま載せた編集側が無能。
編集サイドが無能というのは何も今に始まったことではないんですが(ジャンプに限らず)。

これを横井さん側の関係者が見て不快になるのは当然。侮辱していると非難して然るべきだと思う。
また、多くの人が言っている故人を馬鹿にして不謹慎だというのもわかる。
でもあくまで第三者として、私が問題だと感じるのはそこではなくて。

家庭内や親しい仲間内では、そこの中だけで軽い感じでネタにする不謹慎なものって時々あるんですよね。それが良いというわけじゃないですよ。良くはないけど、人間だから不謹慎なネタで笑ってしまうこともあるという話で。ヒトの笑いに善悪ってなくて。そもそもヒトなんてただの動物の一種で、聖人でも何でもないわけで。
かと言って、今回の横井さんの件については私も有り得ないと思う。
でも、他のことでは私もこういう不謹慎なネタはいくらでも思いつくし(品性が下劣な人間)、若い頃なら実際に仲間内でネタとして使っていたりしたと思うわけでね(´・ω・`)ワカイッテハズカシイ

問題の本質は、それを作品の顔である表紙カバーなどに公に載せてしまったということ。
今回のような問題は個々の品性の問題じゃないということ


尾田先生の品性が下劣だったとしてもそれは本来どうでもいいことで、ぶっちゃけ物を生み出すクリエイターとして優秀ならその仕事をしている限りは何の問題もない(犯罪を犯さない限り)。まあそれで作品中に高尚な精神(正義や勇気や信じる心?)を掲げているのはどうかという意見には賛同するけど(笑)私自身は別にワンピースのファンでも何でもないのでそこを責めることはしないしできないし、それは今後読者が自由に判断すればいいことだと思う。
私の中では今回のことは「尾田先生が横井さんを不謹慎なネタにしたこと」が問題ではないんですよ。
問題は「それをコミックスの表紙カバーに載せたこと」です。だから編集が無能なわけで。

大事なことなのでしつこく書きますが、今回のネタって横井さん本人には失礼極まりない話であり、横井さんのご遺族や身内の方にも物凄く失礼で無礼だし、侮辱だし、間違いなく不快や怒り、悲しい気持ちにさせることが分かり切っていることですよね。
また、多くの読者にも不快感や拒否反応を引き起こすネタなのも当たり前で。
「せめて身内だけで楽しむ分には許される範囲の不謹慎なネタ」を載せてしまうことを看過してしまった編集側の問題とモラル意識の低さ、ひいては最近流行りの企業の危機管理能力の問題でもあるわけで。
まあ尾田先生もいい加減売れすぎてここらへんのアウト・セーフも分からない天狗になってしまってるんだろうなー(こわいなー)( ´_ゝ`)とは思うけど、それはある意味当たり前というか、尾田先生だけじゃなく誰しも成功し続けると大なり小なり周りが見えなくなっていくもので、だからこそこういう絵や文章等の作品は編集側がストッパーにならないといけないのだけれど、大手出版社なんて編集側も東大だの早慶だのの社会的殿上人*3ばかりなもんだからなんかそこら辺の感覚が違っちゃってて難しくなっているんだろうか…と ( ´_ゝ`)←こんな顔で思ったりした次第。
多くの高学歴(&高収入)のテレビマンが作るテレビが面白くなくなっているのと同じ感じで、高学歴の編集が作り出す漫画雑誌が面白くなくなっていくんだろうか…(漫画家がそうじゃなければ大丈夫か…)などとまた茫漠と( ´_ゝ`)考えたり…するのは自分が低学歴&無能無才だからなんでしょうか…(その通りです)
どうでもいいんですがw

冒頭の「アウト・セーフ」の境界の話なんですが、近年これを感じることが多くなっていて。
昔読んでいた当時の小林よしのりが「純粋まっすぐくん」と表現していたような、また少し違うかもしれないんですが、若い頃にありがちな極論主義というか、二元論主義というか、とにかく「これは絶対悪い!」「こうでなきゃ間違い!」「その考え自体が不謹慎」という潔癖主義みたいなもの…の怖さ、薄ら寒さ。もともと若い頃にありがちな性質というだけで若者に限った話じゃなく、視野が狭く「自分の知らないもの=この世に存在していない」狭窄の定理感や、「ここまでは完全な白、ここからあっちは完全に黒(=グレーがない)」という強烈なカタストロフィー二元脳みたいな意見は老若男女にあって('A`)ウヘァとなることが多くて、いやになる。

アウトとセーフ、白と黒、善悪の境界ってはっきりしているものじゃない。道を歩いていて突然ドーンとそびえる壁が現れるような感じじゃない。
藪に入ってしばらくは大丈夫なこともあるし、遠くまで平坦で歩きやすそうに見えても気付けばツルツル滑り出すこともある。
同じような事件・問題でも、それぞれの立場や状況によってこれはアウト、これはセーフだと思う、というようなことになる。
また、自分自身の独自のアウト・セーフの基準の位置も常に認識、確認しておくことが必要だと思う。例えば被DV性質の人はこれが全くできていない人。

でね、今回の尾田さんのネタに関しての結論なんですが、まず、このネタ自体に関してだけ私個人的なアウト・セーフの基準で言えば「一つ残った唐揚げを横井さんに見立てるまではまだセーフ」だけど「戦争終わらせてあげて!」はアウトかなーと。前者まではただの見立てネタだけど、後者の台詞は戦争という横井さん自身が望んだわけでもない大きな不幸(&尾田先生自身もそれを政治的に選択する立場としての当事者になりうるという重み)もひっくるめて他人面してて完全に笑いのためのネタにしているから。
…しかし、実際にネットで現物画像を目にしてみると、横井さんを模したイラストといい、一つ残った唐揚げを「あいつ」と呼んでいることといい、「あいつに名前をつけることにしました」という書き方といい、更にはダメ押しの「わからないちびっこは調べてね☆」という煽り言葉といい…文末の「恥ずかしながら89巻始まります!」に至っては恥ずかしいのは尾田先生ご自身の品性下劣のことかな?(´∀`)と素で思うくらいだった…という。

あーまあこりゃダメだw
節子、それアカンやつや( ´_ゝ`)と思いました。
想像より遥かに逝っちゃってたwてか尾田先生ってもともとこういう感じの人なんすか?何にせよこりゃファンやめたくなる人もいるだろうな。作品が作品だからね。
猟奇サイコみたいな作品ならまた別なのかもだけど。






*1:実際は日本語新聞の投下や日本語の歌などが流されるの聞いたりして戦争終結を知る機会はあったものの、敵の謀略だと思い信じることができなかったそうですね。それまでの苛烈な戦中・従軍の生活を思えば当然と言えば当然であるわけで、ただただ切ない話です(つд`)…

*2:ちなみに私の周りではこういう一つ残ってしまったようなものを「遠慮の塊(かたまり)」と言っていたような気がする(´ー`)ミナサンハ?

*3:早慶はもともと私大ですが国立東大も8割は富裕層出身て知ってました?経済格差は教育格差だよ!(o^-')b☆