願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

年をとる恐ろしさ

ちょっと思ったことです。

意見は違う時もあるけれど聡明で冷静な文章でよく読みに行っている年上の女性のブログがあるのだけれど、最近Twitterで話題になった赤ちゃんの「ガス抜きチューブ」に端を発する夜泣きやコリックの話題について「親が泣かなければ子供は泣かないんじゃないか」などと抒情的なことを書かれていてひいてしまった。
この方のお子さんはもう成人済みで女の子。ブログによると全員手のかからないとても優秀で異性にも同性にもモテモテな人望溢れる人間的にも文句のつけようのないお嬢さんとのことで、自分が苦労されていないからなのか、それともあまりに昔すぎて苦労したことなどすっかり忘れているのか、…とにかく人って年を取るとどんなに聡明でもこうなってしまうのだよな…とまた切なくなった、という話。

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今回の記事内容と見つけたこの↑画像からふと「空に吸はれし15の心…」という一文が心に浮かびました(´ー`)イシカワタクボク?


何件か目にしてきたけれど、私がその発言から「認識への違和感」を感じるようになるケースは相手の年齢が50~60代という場合が多い。相手が何気なく、当然のように書いた内容の文章に「えっ…?どうしてそういう結論になるの?」「えっ?そうじゃないと思うけど…」という懐疑的感想がすっと出てきてしまうことが多くなること。
40代で起こる「若者から中年へ」の転換点に続き「中年から年寄りへ」という一つの転換点なのだろうな。
そういうのが積み重なって、いつか「老害」と言われるような立派な偏見と思い込みと自身の美化された記憶に凝り固められた頭の持ち主になってしまうのだよね…。
私はまさに今進化の過程を見ているのだろうか、そうでなければいいのだけど…とご本人にとっては余計でしかない心配な気持ち。
ああ怖い…他山の石他山の石…

ここだけの話だけれど、私はそれがどんなに本心であっても、他人に対して自分の子供を手放しでべた褒めする親とは仲良くなれない自信がある。この方にもいつもそこだけがものすごい違和感だったのだけれど、別に誰に批判されることでもないし、本当に非の打ちどころのないパーフェクトなお子さんなのかもしれないし、はたまた年をとると立派に育った子に対しては孫に対するような慈愛だけの気持ちになるものか…と思って見ていた。
実際に自分の子供に対して愛情や信頼を口に出して表現するのはどれだけやっても良いことだと思うけれど、他人に対して子供の話をする時は「自分は子供の全てを知っているわけではない」ことを心に留め置いて話すなら、手放しで誉めそやすような内容には決してならないんじゃないか。
それがどうした、と言われると何もないのだれどw(´ー`) 強いて言えば矜持の問題というか、「口をつぐむ美学」の話である気もする。
海外にお住いの日本人セレブ奥様のセレブログ(こちらも後述する同じ理由で残念ながら最近ブックマークから削除)もそうだったのだけれど、自分の子供を手放しでベタ褒め&自慢するのは50~60代の裕福な奥様にはもう共通なのかもしれない。
というか、子育てに十分お金も時間も労力もかけられる余裕があって子供を育てながら生きてきた時間はもうその方々の人生そのものなのだろうから、その成果を誇らしく語るのは当たり前の日常の一部というか、当然の心理なのだろうなという気もする。
でも、悲しいかな私のような品性の卑しい他人からすると鼻につくのだよね…( ´_ゝ`)

さて。と言っても大事な本質からずれてはいけない。この記事で書きたいところはそこじゃない。
子供をベタ褒めするのも自慢するのも別にいい。それが苦手だと感じるのは私の品性と嗜好の問題ですw( ´_ゝ`)
私が恐ろしいと感じるのは決してそこじゃないのですよ。

私が恐ろしいと思ったのは、そういう属性を一つの要素として、他の人の今現在の苦しみや問題をはき違えてしまうこと
年寄りが自分の記憶を美化してところどころ捏造までし始めるのは人間の脳の宿命だし、本人が幸せなのが一番なのだからそれはいい。でも、その個人の中のしかも美化された記憶を根拠に今現在の問題に口を出してこられるとそれは大問題。一気に害悪になる。

特に妊娠・出産・子育てといった子供に関する記憶は母親にとってかなり容易に塗り替えられやすいものですよね。これは自分についてもつくづく思うという話で。
つい3~6年前のことなんですが、私は出産から息子が3歳を過ぎて幼稚園に入るくらいまで育児では本当に追い詰められましてね…。中でも特に半年続いた夜泣きで発狂していた時期、2~3歳で縁もゆかりもない東京に引っ越した時期などは息子をうっかり殺してしまうんじゃないか?と思うほど追い詰められたのに、無事成長して6歳となった今ではやはりすっかり思い出となってしまっているわけで…。
で、例えば、そんなあれこれを都合よく思い出して、今現在そういう悩みでボロボロになっているお母さんに「親が不安でイライラするのが伝わって泣いちゃうんじゃなぁい?(´д`∗)ドーントカマエテ」或は「いっそ親も一緒に泣いちゃえばいいのよ~(´∀`∗)ウフフ」なんて脳が腐って溶けたようなお花畑全開なアドバイスを自分がもししたとしたら…と考えたらね、自分を全力でぶん殴りたいマジで(゚Д゚;)シネジブン!となるわけで。(もっとも今の私はこういう心境なので絶対にそんなこと言いませんが…)
本当にね、そういう「抒情的なだけでアドバイスとしても慰めとしてもただのクソ(≒クソバイス)」な言葉掛けって、暴力ですからね。ほんと。

育児じゃなくても、例えばブラック職場でパワハラモラハラで自殺したいほど思い詰めている若手新入社員に、彼の置かれている状況も詳しい事情もよく知らない(←※ここ重要)年配上司や先輩が「懐かしいなあ、俺も昔は先輩にいびられたよ~(´∀`)」「うまく息抜きしてうまくやり過ごせな(´∀`)ナッ」「相手にはこちらの苦手意識が伝わるもんだ、こっちが心を開いて接すれば魚心に水心ってなもんさ(´∀`)」なんてしたり顔&懐かしさに頬を緩めた表情で言われた日にゃ猟銃で撃ち殺してやろうか?(゚Д゚)ってなるじゃないですか(たまたま猟銃を所持&撃ち殺す元気があれば、の話ですがー)。そういうことです。

辛い記憶がお花畑に変わるのは本人にとっては良いことなのだけれど、それをリアルソースにして他人に語られてしまうと有益じゃないばかりか、全く知らない人や経験がない人に誤解や間違った認識を植え付ける被害が起こり得るのだよね。
特に、知名度のある人に発言の自重を求められるのはそういうことであって。専門家が言うならいざ知らず、ただの個人が自分の美化されているかもしれない記憶をエビデンスに何かを評するのは怖いことだなーと思った次第です。

もちろん、個人のブログなのでそのブログ主は何をどう書いてもいい、というのは大前提であって、だから私にはその方を批判する権利もなければ、批判したい気持ちもないのです。ここは大事なので主張しておきますよ。そもそも私自身が常日頃から国家検閲されたらちょっと危ういような頭のおかしい暴論をベラベラ好き勝手に書き散らかしているわけでね…(´ー`)スマンコッテス…
ただ、年を取って視野が狭くなる、思い込みが強くなる、ということはこういうことかとまた例を見たような気がして、聡明な方だと思っていた(いえ本当に聡明な方なのはその通りなのですよ)方までもそういう老いによる認知の歪み」みたいなものから逃げられないのだなぁと勝手に感じたことで、心から自分について恐ろしくなった…(((('A`;)))ワタシナンテモットヤバスという話です。保険じゃないよ、ほんとだよ!(´∀`;)