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「呪い」

親からの呪いというのは本当になかなか気付けない…と実感したという話です。

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綺麗な画像なのにタイトルがタイトルだと一気に怖く感じる、という人間の感覚の不思議(´∀`)(※内容に関係はありまてん)

 
私が子供の頃の何気ない時分に父親からよく言われていた言葉で「お前は男だったら良かったのになぁ」と「お前をもらってくれるような人がいたら父さんは頭を下げて頼んでやる」というものがある。
私は自分の育った家しか分からないんですが、こういうことを普段の会話として(喧嘩や言い争いをした時の罵声とかではなくて)幼い娘に対して言ってくる父親ってよくいるんですかね?(´∀`)

グタグダしたことは省きますが、私が「自分に女としての魅力や価値がない」こと、「私には自分で結婚相手を選ぶような価値はない」ことを子供の頃から自分の当然の仕様だと思い込んでいたきっかけは実は父のそれらの言葉だったんじゃないか、という可能性につい最近気が付いた、という話です。
えっ今更?
そもそも女性としてどころか人として存在価値がない…という自己肯定感の恐ろしい低さは他ならぬこの両親によってもたらされたものであり、私のボーダー人格を形成する巨大な原因になった、ということは既に分かっていることであって。
それなのに、明らかに存在としては「人」より後に来る属性であるはずの「性別」に係わるところの否定に気付いたことにショックを受けたのです。



父のそれらの言葉は、そこまで責められるようなものではないのかもしれない。

他愛もない冗談というか、軽口のようなものだったと思うのですよ。父は後述しますが決して悪い人じゃないながらかなり偏屈でひねくれた露悪的な人で、他人に対するプラスな感情は素直に口に出せないようなところがあった。
事実、私はこれまで何十年もずっとそう思い込んでいたのです。時には会話のネタとして使ったりもしてたくらいで。

けれど、ずっと自分の心の問題とその原因に向き合い続けて、心の底にあるものを探り出す作業をしてきて、ここに辿り着いた時、その言葉を言われた時の幼い私自身の気持ちが「悲しかった」ということに初めて気が付いたのです。

小さい私は悲しかったのです。
そして、多分、「どうしてパパはそんな風に言うんだろう」と思った。幼くてまだ論理的な言葉として認識できなかったにしろ、「自分は普通に相手を選んで結婚できないんだ」と思った。なぜなのかわからないけれどそうなんだ、と。
自分の娘に、そう言い聞かせて娘から自信と肯定感を根底から奪い去った父…。

たった今、過去のその出来事の真の意味に気付いたのです。それって「呪い」だろうと
おとぎ話で悪い魔女が「この赤ん坊は不幸になる!」と呪いの言葉を吐く。呪いをかける。その「呪い」とどう違うんだろう、と思ったのです。

私は自分の父親から呪いを受けていた。…(゚д゚)

父の呪いはうまくいった。私は自分を大切にされるべき存在だと思えず、それで他人のことも大切にできないで今も苦しんでいる。境界性パーソナリティー障害とパニック障害を持ち、対人関係に苦しみ、自分自身の軸がなく自分が本当は何を望んでいるのかすら分からず苦しみ、心の中は憎しみと怒りと悲しみで常に満たされている。
男性恐怖症を克服するために私は水商売に入ったんだった。
自分が異性を愛せることを私は今も信用できない。
愛することがどういうことか、頭ではよく分かっている。でも私にはできないだろうとも思う。
夫のことも愛せてはいない。そして多分、息子のことも。

見ろ!!お前の娘はお前が呪った通りになった!!喜べ!!…と言いたい。



あの人たち(※両親のことです)は一体何だったのだろうと思う。
子供への余剰投資よりも自分たちの娯楽に払うコストが大事な人たちだとは思っていたが(これ自体は私個人の恨みとは別にそこまで問題になることじゃないのかもしれないと思う)、それだけじゃなかった。呪いまでかけていた(゚д゚) 呪っていたんだ、自分の子供が幸せにならないように。
父親が、自分の娘に。

これがショックであるというのは、最低限まともに愛されていたと考えていたことがあって、父親は性格がちょっとアレなことは私も分かっていて、もともと偏屈で変わり者な人物像がある。感情的で、気分屋で、シビリアンコントロール下の仕事をしていたこともあって自分が守るべき家族にも支配的だった。
本当に偏屈で気難しいところがあって、常に自分の弱い本心を出さない(出せない)人で、愛情を素直に出せない人だった。
でも、最低限愛してくれていると思っていて、それはある意味では真実なのだけれど、あんなに幼い頃、しかも第一子の娘に対してああいう言葉を発するほど壊れていたのか…というか、そういう人間であったのか、というショックであるような気もする。

誰しも子供の頃は自分の親は完璧で良い親で良い人間だと信じていて、それが大なり小なり幻想であるということを成長しながら知っていくものだ。
完璧じゃない、親も自分と同じ人間であり、欠点だってある一人の個人だと。
私は大人になってカウンセリングを受けたこと、息子を授かったこと、などを大きな契機にしてそのことに向き合ってきたわけだけれど、それがここへきてまた新たなものがでてきてしまった…という
ようやく辿り着きそうだと思っていた底が、更に蓋だった…というような。

私がおかしくなったのがどんなに親のせいだったとしても、それは結果としてそうなってしまったものだと思っていた。親は親なりに私を精一杯大切にしてくれだのだと。そのやり方が私とは合わなかったというだけで。私がこれまで父に言われた言葉で一番憎んでいた「子供は動物と一緒で叩かないと分からない」ですら父の教育方針の違いだと思っていた。
でも、あの言葉はそうじゃない。
娘を愛しているなら出てくる言葉じゃない。
心で思っていたとしても。
はっきり本人に向かって、幼い子供の私に向かって、何度も何度も言い聞かせていい言葉じゃない。

そのことに気付いた時、ショックというか、恐怖だろうか。もう。

怒られた時に発された言葉ならまだいい。動物と同じと言われて叩かれたことも憎んではきたけれど、それは私の中の明確な怒りだった。もっと言うなら、私はその言葉がただの怒りに任せた言葉であることをちゃんと分かっていた。

だけどあの言葉はそうじゃない。
穏やかに、笑いながら言われた。
だから呪いなのだ。それと気付かれないよう、不幸になるようにかけるのが呪いだ。



最初から誰が見てもろくでもない親であればまだ良かったのに…とまで思ってしまった。もうね。ここまでくると。
結婚して、子供も一人生んで、40を過ぎて、ここでこの真実ですよ。

おかしな人たちだともう分かってはいたけれど、人間としてクズだろう。自分の娘にさぁ、お前は普通の結婚なんかできないよ、って。お前は女として生まれちゃだめだったよ、って。せいぜい小学低学年くらいの自分の娘にさぁ。死ねよ。クズが

そう思ってしまいました。

私が今息子を育てていて悩んでいるのは、父と全く同じことをしてしまうということ。
私は自分がかけられたように、息子に呪いをかけようとしていることがあるのだ。
そのことに気付いて恐怖で愕然とする。

両親を「毒親」と表現するのは気が引けるが、「毒になる親」という意味なら間違いなくそうなのでもう毒親と言ってしまってもいいのかもしれないと思う。
ちなみに書籍になっているレベルの毒親はあれはもうはっきり「虐待親」だと思っている。毒ってじわじわ効いてくるというか、後から効いてくるというか、そういうイメージ。



最後に、父は自分の孫である息子にまで呪いの言葉を吐いている。
それは少し前、実家に遊びに行った時の第一声で、息子がおじいちゃんに会えて嬉しそうな笑顔を見せた時だった。「幼稚園でいじめてないかい?」と言ったのだ。「いじめられてないかい?」じゃなく。

父が露悪的で少しおかしい人間であることが伝わってくれるだろうか。

息子はすぐにはよく意味が分からないようだったが、私は当然すぐに分かったので怒りが血反吐のように沸き上がり、即座に息子に「幼稚園でいじめてもいじめられてもいないよねー。楽しいよね。幼稚園ねー」と言って気をそらせた。

伝わってくれるだろうか。
もちろん実際に父を知らなければ文章で書いただけでは伝わらなくても当然かとも思う。
正直私も何と書いたらいいものか、書きようがない。
まだ自分の思考も善悪の倫理もはっきり認識できない幼稚園児に、会ってすぐ開口一番「おまえは幼稚園で誰かをいじめているんじゃないのか」という疑いの言葉を浴びせたのだ。
いやこの人、キチガイなんじゃないの?(゚д゚)

親だと思わなければ普通にキチガイという言葉が出てくることに今更思い至った(´ー`)

二度と息子に対してそんな言葉を吐かせないと思っている。
そのためにもし実家と縁を切らなければいけないならそうしても仕方がないと思う。


 


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