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有名ジャズ演奏家が中学生に公開暴力をふるったことには納得できない

詳細を調べ込んだわけではないのですが。
ニュース報道とその時に流れた動画&ネット情報と世の中の反応、をざっくり見聞きした上での一部外者の意見です。

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まず、演奏家を擁護する意見が最初に一気に盛り上がったのにはかなりの違和感でした。
なぜなら、「いやいやあんたら、これ親が自分の子供に同じことをした話なら鬼の首を取ったように叩くでしょ!?(゚д゚;)」と思ったから。
愛情を持って叱るということにおいては実の親に他人なんか適わないはずですよ。
でも、どんなに愛情を持っていようと、根性を叩き直してやろうと思っていようと、子供に暴力を加えるのは許されないとされていますよね?
なんで他人だと許されるの?(゚д゚;)

有名演奏家だから許される、というなら完璧なパワハラ
高嶋ちさ子さんのゲーム機バキバキ事件の時は親をあれだけ叩いておいて、今回は親でもない日野氏は擁護なのか?とモヤりました。
子供を大切にしない&妊婦や子連れにとことん冷たいこの国では、結局親子関係というものすらこんなにも下に見られるようになってしまったのだなーという思いを禁じ得なかった。

具体的な感想としては、ニュースで流れた動画を見た限り日野氏は最初の罵声以外、暴力以外の行動で中学生を止める努力をとっていないように見えるのだよね。
映っていないシーンで色々手を尽くしたのかもしれないけれど、もし何をどう説得しても中学生が問題行動を止めず物理的に止めさせる必要があったなら、まず「抱えて連れ出す」という方法があったと思うんですよ。
なのに敢えて叩いているように見える(´・ω・`)

動画でその時の流れを見た限り、あれ明らかに「鬱憤晴らしの暴力」なんだよなぁ…(´д`)と。一旦落ち着く時間はあった、なのにそこから改めて叩いている。
どうみても、その意図はどうあれ「叩こうという意思をもって改めて叩いた」図なんですよね。「思わず反射的に手が出て叩いた」よりも罪が重い

つまり「叩く必要があって冷静にそうした」か、「自分の中の我慢できない衝動を相手に見せつける&ぶつけるためにした」か、そのどちらか。

前者については後述するけれど、後者は「物に当たる」とかと同じ「自己満足のための暴力」であって。
後者に関しては私は自分がそのタイプで、私の周囲の大人もそのタイプが多かったから、あの流れというかあそこで一呼吸置いて手が出るに到った日野氏の心理過程はすごく理解できる気がする。
だからそういう意味でも日野氏の心情はとても理解できるのだけれど、あそこで手を出してしまったら変な言い方ですが思うつぼというか、大人を放棄していることと同じだと思うのですよ(´・ω・`)

どうしても「中学生のためを思って仕方なく暴力を用いた」のではなく、「自分を舐めた態度を取ったから制裁を加えた」図にしか見えない。

私は「教育・指導における体罰」はやはり許されないものだと思っていて、個人的な感情以外での理由はやはり「基本的にパワハラだから」になるんですが、つまり「体罰」という言葉が使われる関係性が重要であって。
「罰」を下す側というのは必ず受ける側より立場が上(だからこそ「罰」という言葉が使えるわけで…)
教育・指導における体罰を行使するのは必ず教育者・指導者側ですよね。そもそも力関係が不公平。そして、指導を受ける側は立場的に抵抗する方法を与えられていないことがほとんどです(※「もし指導者から体罰を受けてそれに不服な場合にはどういう方法が取れるか」を指導される側が事前に教えられることなんてないですよね?)
今回の中学の場合もそうですよね。中学生は日野氏に叩かれても日野氏を叩き返せる立場にない。しかもコンサート中だから乱闘騒ぎなんか起こす気もなかったはず。

中学生は自分の持ち時間を超えて演奏した。
それがわざとなのか夢中になりすぎて分からなくなったのかわからないけれど、どちらにせよ指導者にとって咎める事態だったのは間違いない。このコンサートは彼一人のものじゃない。他の生徒にとっても同じように大切な場だったのだから。
理由によってはかなりきつく叱責しなければいけないと思うし、重いペナルティを課すことも必要な状況だったと思う。なんならコンサートが終わった後での話し合いの場で中学生の態度次第では手を上げる、ということは100歩譲ってそういうこともあるだろうと思える。
でも、あそこで手を上げたのはダメ、絶対。
手を上げる以外の手段はあったのだから
あの動画を見て日野氏を即座に批判できない人間はマヒしていると思う。

大切なコンサートをダメにしてしまった犯人は件の中学生だけじゃない、日野氏もその一人になってしまった(´・ω・`)

ところで、育児において暴力が許され得るシーンは基本的に2つだけだと思っている。

  • 本人に命の危険があること
  • 他人に命の危険・健康被害が及ぶこと

私はできた親じゃないのでそれ以外でも息子に対して結構手が出ているし(←)、上記以外だと他人の心を卑劣に傷つけた場合なんかも叩くと思うけれど、他人の心を思いやれない心は叩いたって矯正できるわけじゃないからあまり意味がないことは分かっている。意味があるとすれば(親が子供を叩くのはほぼこの理由しかないとも思うけれど)「私はこんなに怒っている」という意思表示くらいだろう。
つまり、記事中盤で後述すると書いた「叩く必要があって冷静にそうした」という可能性については意思表示くらいの効果しかないから容認できない。

中学生の行動は常軌を逸しているからやむを得ない、という意見を見かけました。常軌を逸していたら暴力をふるっていいのだろうか?と問いたい。
もし発達障害などがあったら体罰は何の解決にもならないし、一切障害がなくそれであのような態度をとったというならやっぱり体罰は解決策にならないと思うのだよね(´・ω・`)
また、どんな時であっても子供に手を上げてはならぬという風潮はどうかと思う、というような意見も見かけたんですが、この意見自体には私は心底賛同するのだよね。手を上げて然るべき状況はあるし、さっきも書いたように現実の私には息子に手を上げてしまう状況なんていくらでもあるわけでね…(´ー`)
それに、教育に体罰は許されないと書いたけれど、本当に間違いがないなら、先生の愛のムチみたいなことはあったっていいとは思っているわけで。*1いわゆる「親にも叩かれたことないのに先生は本気で俺を殴ってくれた…(´;ω;`)オレタチナオルヨ!」みたいなことが絶対ないとは言い切れない。けれど、今回の状況はその状況には当てはまらないと思うわけで。

愛情を持って指導していたゆえに怒りが高じて手が出てしまった、というのが本当なら、日野氏の気持ちはよく分かるのです。でも、それを許したらダメだという話で。

まぁ、親ですら子供への接し方について厳しい批判にさらされる世の中だというのに(※おかしな親も多くいるのだからこれは当然だと思う)、反面、他人が子供に暴力をふるうことが状況によってはこんなに簡単に容認されてしまうのか…(((゚д゚;)))オソロシイと思った、ということを書きたかったのでした。
今はただ件の中学生が「叩くほど彼を怒らせたなんて自分は余程のことをしたんだな…(´;ω;`)オレガワルカッタヨ」と素直に反省して、日野氏が込めた思いを理解してくれていることを願うばかりです(´д`)




*1:教師・指導者による体罰が許されないと思っているのは「本当に間違いがないか」現実には確かめる術が難しいから。信頼していた先生に叩かれて(先生自身は愛のムチのつもりでいたとしても)人間不信になった…という話もあるわけで。