願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

水の中から見上げる世界(世迷い言)

世迷い言です。



気持ちが荒んだ日の夜、気が付くとグーグルアースを開いて記憶の旅をしている。

 
子供の頃に住んでいた場所、通っていた幼稚園、習い事の教室、自転車の後ろに乗って連れて行ってもらったちょっと遠い大きな公園などなど。
時々視点を上にして空の色を眺める。
つくづく不思議だが、この小さな国でも緯度によって空の色が違うように感じられる。私の故郷は北の町で、青空の色は薄い。東京の青空は青の色が濃くて時々少し怖くなることがあった。
でも、離れた今はその東京の空も懐かしく切ない記憶の仲間入り。

つくづく私が転勤族に向かないと思うのはこんな時。

自分がかつて住んだことのある街、よく訪れた馴染みの場所、が、全部重ねられて心の「もう戻れない悲しみを持って思い返す景色」になる。
移り住んだ土地の数に比例して悲しみが増えていく。
そこに確かに暮らしていた時代があった…という、もう決して戻れないあの日、という、深い悲しみ。

私はいつまで記憶に囚われ続けるのだろう。

いつまで「あの場所」に心を残したままなのだろう。

「あの場所」などと濁した遠回りな言い方をして、どんどん神聖化してしまっている。
なんてことはない、そこにあったのは今は亡き祖父母の家だ。
祖父母の思い出、祖父母の家で過ごした自分の思い出。
私の人生で一番良かった時代である幼稚園時代とそれが重なって、それ以降の人生はただただあそこに戻りたいと願い続けてきた。

戻れるわけもない。

薄れていく記憶を補修するように、グーグルアースを開く。

あの窓からいつも身を乗り出し、遠くの山を眺めていた。
この道をまっすぐ行くとあの公園に続いていた。
ここにはスーパーがあった。

今はもうない。建物自体が残っていても、それはもう「あの時代」のものではない。別のものなのに。
もう「あの場所」も「あの時代」もどこにもないのに。
この世のどこにも。

かつて在って今はもうこの世のどこにもないもの、をこれからも一生求め続けて生きていくのだろうか。
これまで何十年もそうだったのだから、きっとこれからもそうなんだろう。

いっそ死ねばあそこへ帰れるだろうか。(いやきっとそんなことはないのだけれど)

f:id:manmaru14:20140721171746j:plain

 
もがくのに疲れて水底に沈んで行きながら太陽を眺めている。

そんな感じなのです。

 

 

 

● 関連記事