願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「大きな便利」と降り積もる「些細な不快」の行き先は…

Twitterの話から(´ー`)
スマホではDMが重すぎて開けなくなったこともあってpcブラウザで開くことが多いのだけれど、本当に開く度にイラッとする仕様が増えていて驚く。

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  •  心底ウザい「おすすめユーザー」
    「×」で一つ一つ消すしかないが、一定数消すと「今日はこれ以上のおすすめはありません」と出してこなくなるので一気に消すことができない(まぁ一気に表示されたとしても人口的に不可能だと思いますがーw)
  • 自分がフォローしている相手が「いいね」したツイートが強制的にタイムラインに表示される 
    以前は「同じような表示を減らす」が選択できたができなくなった。
  • 見たくないのに隠しても隠してもすぐ出てくる「隠す」しかなく非表示にできない「ライブ動画」


検索すると↑のことに不満を抱いているユーザーは私以外にも少なくない印象(´・ω・`)
疑問なのは、こういう「強制的に表示されて選択できない、全く求められていない機能」は、発祥国のユーザーには需要があって支持されているものなんだろうか?ということ。
もしそうなら国民性の違いに単純に驚くと同時に、使用される国の国民性と需要にもう少し合わせてくれるべきなんじゃないか?と大企業の驕りの匂いを嗅いで胸がムカムカする。

また、ネットをしていて不快になると言えばやはり広告。特にスマホブラウザ。
最近はほんの少し減ったような気もするものの、強制的にエロやグロ、子供の虐待などの漫画のエグいシーンがバーンと表示される。ぶっちゃけ一時期話題になったコンビニのエロ本なんかよりもずっと問題だと思うわけですが、何せ日本のお年寄り政治家たちはトランプさんなんかと違ってネットやIT関係には疎いわけで。全く分からないんだろうなぁ…(´д`)

ネット広告は内容自体が不快という以外にそもそも表示方法が不快なことが多いです。
pcブラウザの場合はそのサイトの本記事のような感じで並んで興味を引いてクリックを誘うタイプだったり、スクロールすると突然大きな画面が現れて勝手に動画を再生し始めたりするタイプ。前者には失望感、後者には積極的な嫌悪を抱きます(重くなるし!ヽ(`Д´)ノ)
スマホでイライラするのは断然上からスーッと半透明な広告バナーが下りてくるタイプじゃないですか?(゚д゚) また、エロサイトなんかで多用されている「広告を一旦タップしない限り目的ページが開けない」なんていう「そこまでやるのか…(゚д゚;)ヌヌウ」とこっちが呆れるくらい「広告をクリックさせること」に鬼気迫る勢いの情熱タイプもある。
ていうか、こういう「うっかり」を狙ったり強制的にクリックさせるタイプの広告って、あれですよね、エロサイトにあるならまだ分かる(゚д゚)シカタナシ! という気になるものの(苦笑)、たまに一般の普通のブログなんかでもこのタイプ(特にスーッと下りてくるタイプが多い)が置いてあるのは客避けにしかならないと思うから管理者の思惑に不思議な気持ちになるわけで。どんなに興味が惹かれたページであっても広告がウザいと即引き返すか閉じるからね…(´・д・`)ネー

スマホには広告ブロックしてくれるブラウザをインストールして、広告がうざそうなところを見る時にはそっちを使っているんですが(pcにも入れればいいんだけどもともと既に挙動不審で寿命間近になっている機体なので余計な負荷をかけたくないのです(´д`))、使い分けが面倒だと感じることもたまにある(←別タブの開き方が違っていたり機能の仕様が若干違うのでそれで使い分けることもあるんですが)

私は昭和生まれで平成に変わった時が青春時代の走りという世代なんですが、世の中がデジタル的に進化して加速度的に便利になっていくのに相反して、それによって新たに生じた「些細な不便・些細な不快」とでもいうようなものがどうにもとても気に障るようになってきた。
例えばそれは、主にデジタル家電説明書がネットで見られることを前提に紙のものが簡略化されていたりなくなったりしていることもその一つだし、企業のカスタマーセンターがメールやチャットだけで電話窓口を敢えて知らせていないことが多くなってきたことだったりもする。
だけれど、もっと重要な問題に感じるのは、上の方で書いた「(主にSNSなどネットサービスの)ユーザーの本質的希望への耳の傾けなさ」や「法制度を作る側の無知によりいつまでもきちんとした規制ができないデジタル広告から受ける不快感」などに日々無意識に晒され続けていることで無自覚に生じている「慢性的・潜在的な不快ストレス」、そしてネット上の他人の意見、主に匿名で思いやりや礼儀の欠片もない感情的な批判や煽りに出会って感じる「憤り」「怒り」「憎悪」といった「負の感情」の方じゃないか…と感じる。

「ネットストレス」という話題で割と問題にされやすい後者については、昔なら自分からわざわざそういう場所に行かない限りは出会うことのなかったそれらの「不快要素」が、今は簡単に目に入るようになっているなーと感じるのですね。
何と言ってもニックネーム・ハンドルネームの要らない完全匿名での意見は攻撃性が高いわけで、少し前までは2ちゃんがその代名詞だったはずが、派生のまとめサイトをはじめ匿名で簡単に(=よく考えず刹那の感情に任せて)意見を書き込めてしまう場所が現在はものすごくたくさんあって(というかそれが普通になってきていて)そっちがほとんどルールがなく殺伐混沌としているために、逆に「ルール的なもの」があることの多い2ちゃんの方が全然安全…というか、「きちんとしている(自治的な意味で)」ような空気になってしまったように感じるわけで(´ー`)

便利になったことで新たに生まれる不快、というものの存在が無視できなくなっていると感じます。

それは、例えば「携帯電話が普及したせいで公衆電話が減らされ、携帯を持って出るのを忘れて何かトラブルに遭遇した時に電話ができなくてとても困ることになる」…というような話とも似ている。
例えば「まず携帯を忘れない」という最大の「自衛」「予防」を講じる必要があるが、それは個人一人ひとりの自由意思による責任で行われるべきものになっていて、「密に簡単に連絡がつくのが前提になってしまった社会」(※これは個人の意思によってそういう社会になったわけではないことに注意!)側の責任は完全にスルーされている。
意識してみれば甚だ不条理に感じる「社会と個人のねじれ」というか、前提の社会とそこで果たすべき個人の責任が対等じゃないというか納得のいくフェアなものになっていない…という感じがする。
この辺りは頭の良くない私には文章にするのが難しい種類のモヤモヤ話( ´_ゝ`)

難しいながらも敢えてするのは特に最近よく感じる話だからであって、「政治と民の意思」なんかはもうこれが普通。私は原発なんか全く望んでいないけれど「便利を求めたんだから原発は国民であるあなたが選んだものだ」と言ってくる論理というか(´д`)
暴力的論理というか、論理のすり替えだと思うけれど、これを世間の圧力として押し通そうとしてくるのがこの国の恐ろしい現状…

現代社会にうっすらと、でも重く底の方に立ち込めている汚れた暗い霧のようなものがあって、それらの根本のところに今回書いたようなものが影響しているんじゃないかと感じるわけです。
まずは個々人が自分の中に積み重なっている「些細な不快」無自覚に受け続けている慢性的なストレス、それらに「気付く」ことが一番大事なんじゃないか…と思った、という話でした。

行き先は暗い未来しか浮かばないよね…(´д`)

 

 



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