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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「私の人生」

世迷い言ですw(´∀`)

 
今まで「死ぬのが怖くて生きることができない」(by「愛は花、君はその種」より)と思っていたのだけれど、今日ひとと話していて気付いた。「生きていないから死ぬのが怖い」んだと。

私には「自分の人生を生きている感」が全くありません。
それは生まれて良かったと思うことがなかったこと、親との相性が悪かったこと、自他様々な要因により幸福な子供時代じゃなかったこと、などと密接な関係があるのだろうけれど、その感情のはっきりした正体や明確な原因は自分でも分からないまま。
ただ死なないために生きている、死なないように(生きるための)努力をしている、という状態でいる自覚だけがある。
死がこんなにも私の(精神にとって)近くにあるのは、私が「生きて」いないからなんじゃないだろうか。

そんなことをふと思いました。

私は本当は死にたいんじゃないか。
死にたくないから、死にたいと思うことで死への恐怖をなくそうとしているんじゃないか。…

私が私の人生を生きていないのなら、私が生きるはずだった「私の人生」は今はどこに…? どこかにあるのだろうか。
私は私の人生を生きておらず(じゃあ誰の人生!?Σ(゚д゚;)←何か補助シートとか予備のものな気がするのですよ…何となく…)、「私の人生」は主のないままどこかにあるのかもしれない。
歩く人のいない道だけがただぽっかりとどこかに浮かんでいるのかもしれない。

私は自分のことをナチュラルに「もともと生まれるはずじゃなかった魂」だと思っていて。それは生きるのに向いていない度があまりにひどすぎるからなんですが。
生まれるはずじゃなかった魂の中ではたまたま一番マシな方だったから何とか瀬戸際で生きていられている、今も、と思っている。思っている、というか、そう。そうだからそうなのだ、というレベルでナチュラルに真実で。
もともとこの世に生まれるはずじゃなかった魂が何かの手違いで生まれてしまったもんだから、予備の人生の器に入ったんだろうね。「私」の人生はたぶん用意されていなかったんですよ。
最初からなかった( ´_ゝ`)


↑こういうことを、私は普段から無条件でそう思っているのですね。思っているというか、そうである、というか。
感情的に思うのじゃなくて、私の感情とか関係なく、そうだからそうなのだ、というレベルで。

客観的に見たら自己肯定感の低さが病的異常なレベルだと感じる。どういう生育環境に置かれたらここまでのことになってしまうのか、他人だったら興味深いほどw('A`)
でも実際は私はナチュラルにそうで、そうじゃない自分なんて考えられないというか、そうじゃない自分は自分ではないとすら感じる。それはもはや「私」じゃない。別の魂を持った別の違う誰かだ(゚д゚)ダレダ!

何もかもが間違い。最初の最初から間違いで。私の存在の前提からして間違っていたのだから、私が生きている間に起こることは何もかも「間違って」いて、うまくいかないのは当たり前なのかもしれない。
それならば、一見普通に「うまくいかない」ように見えるけれど、それは「(仮にうまくいっていればうまくいっていたはずのものが)うまくいかない」のではなくて、もともとうまくいかないものが正しくうまくいっていない、という状態なんだろう。

私が存在していること自体がもともと間違いなのだから、私が「ここ」で何をしようとどんな行動をとろうと、何も変わったりはしないんだろう。
私はもともと「ここ」で生きるはずじゃなかったのだから。「ここ」で生きられるようにできた魂じゃないのだから。

だから私はこの(本来は自分のものじゃない)「予備の人生」が終わるまで、ただこの間違った器の中で過ごす( ´_ゝ`)

決してどこにも合うことがない。
魂も、器も、全てが間違った「人生」、それが「私の人生」。


…( ´_ゝ`)オワリDEATH!






 

 

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