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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「二回目ならうまくいく」。(最近の世迷い言2)

前回の続きというかこれが本来前回の記事で書きたかった内容ですがw

 

 

もう一回生きられたら今度はそこそこうまくやれるのになー、とは最近思う戯言。
私という人間にとって「40歳(過ぎ)=生まれて40年経った」というのはとてもキリのいい節目だったようで、ここを越えて大きく変わったこと・この年になって初めて知ったことや分かったこと、が思考や価値観や自分の肉体などあらゆる面に渡ってたくさんある。
この40歳という区切りは一般的にも実質的にも自分の感覚的にも、「若者」から「年寄り」に区分が変わる節目だと感じている。

そんな「年寄り」の世界に住まいを移した私がつくづく感じることは、どうか「好きなこと」を大切に、ということだ。

というのも、40を越えて最近悟ったのが、好きなものって実は変わらないんだよね、ということだから。
子供の頃、もしくは若い頃に心を動かされるほど好きになったものというのは、実は一生好きでいるものだったりする。
そしてすごく頭の悪い発言をしますが、40を過ぎてやっとはっきり確信したんですが人生ってほんと短いんですよね(´∀`)(ものすごく頭の悪い発言)
単に時間が経つのが速いというより、中身が止まる。若い頃は中身の変化と時間の流れるスピードが釣り合ってるんだけど、年をとると中身はそうそう変わらない(成長しない)から、相対的に時間のスピードが一気に上がる。
大体30代で終わると思った方がいいんじゃないかと(実際は違うけれど、ただ何もしないと本当に実質的には終了するので若い内はそう思っておいた方がいいんじゃないかという感じの意味です)。

特に女性は初産が実質30代までということもあって、一般寿命は男性より長くても「生き急ぐ感」はより強くなる。

「魂が『好きだ』と感じるもの」がある人は幸いで、それはずっと続けて行った方がいい。
何であっても。
別にクリエイティブでなくても、実利が全くなくてもいい。ただ好きなことを続けていると、40になった時にその真価が花開く。
そんな気がするんですよ。

私自身かなり若い時に「魂が『好きだ』と感じるもの」に出会っているのだけど、それを一生続けていくことなんてできないと思い込んだんですね。
そして実際に一度離れた。
でも、やっぱり好きなのです。何十年を経てもきっかけを許したら一気に再燃するものだった。
私は自分に自分で規制をかけていただけで、誰にも咎められたり禁止されたりしていない。ただ自分で「これをずっと好きでいてもこれで食べていくことなんて自分には無理だし、一生これ中心で生きていくことなどできない」とネガティブに思い込んでいただけでした。

確かに、その「好きなもの」と離れた道を歩いてきたことで得られたものもある。あのまま好きなものに打ち込んでいたら多分出会えなかったものたちに(今ある家族や息子も)。

でも、それらはどの道を選んだとしてもあるだろうと。どの道を行っても自分が「それを得た」と思いさえすれば得るものは必ずある。
反面、得られなかったものの大きさは現在の「漠然とした喪失感」として分かる。

一度離れてしまった道に戻ることはできない。
戻れなくても、また始めることはできる。
好きなものを好きな気持ちを取り戻して、また。

でも、離れてしまっていた間に世界は変わっている。私も変わっている。
かつて好きだったからこそ知っているその世界の変化を分かっているからこそ、何も考えずに飛び込んだりはできないわけで…。

 


人生って、難しいなあ…(´ー`)




なかなか書けないんですが最近色々あって、そのせいか普段以上に昔のことばかり考えます。
つーか私は若い時からもともと懐古主義者なのに、更に年寄りになったらどうなるのか怖いw/(^o^)\

 

 

 

 

 ↓続きです


 

 

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