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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

戦後最悪規模のシリアルキラーに~何かに特別激しい感情がある時は一旦自分自身の心を見返してみる。

哲学・思想 キチガイ

世界中でテロ事件が相次ぎ不穏な空気の中、相模原市で起こった戦後最悪レベルの大量殺人事件の報に言葉を失くしました。
もう本当に終わるんじゃないかね、世界は…

しかし失くしたままではいられないのでここは敢えてベラベラ書いてこうぜ!(´∀`)という記事です。
例によって私が個人的にこう思う、という話なので不快になったらその時点でそっ閉じして頂ければこれ幸いです。
意見や主張なんて本来個人的なもんですがー(と皮肉めいた口調で)

 

まず事件の表面について。
ほとんどのシリアルキラーの例に漏れずこの犯人も反撃される可能性のない、自分よりも明らかに弱い人たちを狙っている。
クズって皆そうなんですよね
無差別テロは卑劣で憎むべき犯行ですが、今回のように弱者のみを意図して狙った事件はクズ度においては更に上がる気がします。

 


この事件の概要を知った時に恐らくほとんどの人が思ったと思うんですが(という根拠のない前提(o^-')b☆)、「(知的)障碍者は不必要だから死んだ方がいい」という思想(恐らく)で大量殺人を行ったこのシリアルキラーは、それで言うなら自分自身がまず真っ先にそうされるべき人間だったーーー というね。まあこれは概要を知った直後に沸いた感情的感情で、あくまで私の個人的な感覚においてなんですが。
一番最初に思ったことがそれだった私はそこからずっと心の胃がムカムカしっ放しです。
この犯人、自分の言っている排除対象が自分自身を指している可能性には全く気付いていない。お前に知的障碍者を憐れむ資格なんかない。お前の心に障害があるだろと。そして結局こんな蛮行を起こしただろうと。
たかだか26年しか生きていない*1中途半端に頭でっかちの厨二男がこの自己撞着に意識を向けるわけもなく犯した不愉快極まりない犯行に反吐が出ますよ( ゚д゚)、ペッ!

このシリアルキラーは元この施設の職員だったということで、元々は思いやりや共感から憐憫へ移り、最終的に安楽死思想に到ったとすればその心理的経緯は分からなくもありません(実際は刺し殺しているし安楽死には程遠いし、もしそうだったならという仮定ですが…)。

以前から書いているのですが、私は「心や思想はどんなことでも自由」という信念です。

 

manmaru14.hatenablog.jp

 

例えば「重い障碍や病気のある者は生きているよりも死なせてやるべきだ」という主張や信念があったとしても、その思想を持っていること自体は自由だということ(個人的にはこの意見には吐き気がしますよ)。
もちろん周りがそれを批判するのも自由。ただし批判された思想や信念自体に非はない。その思想を持っている自由だけは尊重されなくてはならない。それが心の自由、「精神の自由」というものです。
心で思うだけ、頭で考えるだけならどんなことだって自由であるべきだということです。

しかし、実際にそれを実行するのはまったく別の話

言うまでもなく、実際に実行してはいけない。社会的生物である人間には「精神の自由」はあっても「実行の自由」はないのです。
なぜなら、自分の思考がどんなに残虐非道なものでも許されるなら、他人だって同じ。
真っ向から対立する極端な残虐非道思想をどちらも実行したらどうなるよ?って話です。逆説的な表現ですが「誰の自由もが尊重されるために、誰もが平等に不自由の義務を負う」のです。
「精神の自由は行動の不自由によって保障される」と言い換えておきます。
ここ大事。
「精神の自由は行動の不自由によって保障される」。大事なことなので二回強調文字で書いておきますよ(´∀`)
実行することだけはあらゆる手段によって厳しく制限されるべきだし、自分自身でも厳しく戒めていなければならない。

私が宗教嫌いなのもここが肝でして。
宗教は精神の範疇にあるべきはずのものなのに、一部の宗教は行動も厳しく縛りますよね…。「実践・実行」です。それが多少であれば周りとの摩擦も生まれにくく融通も利きますが、度が過ぎると周囲の多様な価値観と共存できず、危険な存在となる。イスラム教なんかは私の考えでは完全にこれで(一部過激派がーとかいう主張は眉唾。イスラムは教義自体に他価値観を認めない問題があると私は思っています)、論理的にはムスリムオンリーの惑星を作らない限り存在できない。他の価値観と共存できないわけですから。

ところで話は少し逸れるんですが、何かに対する異常なほど激しい感情というのは、実は本当に問題なのはその対象自体じゃなくて「自分自身」に問題があることがほとんどだと思うんですよ。
同性愛者を激しく嫌い攻撃する人間は実は自分にも意識していない同性愛の傾向がある場合が多い、というのは割と知られている話ですよね。『glee』でゲイのカートを執拗に虐めていたカロフスキーは後になって実は彼自身もゲイであることに気付く。
要するに無意識の同族嫌悪なんですよね。
オタクを嫌う人も実はオタクっていうw(´∀`)
人って、自分の中に共通するものがある時にそれをより嫌ったり憎んだりする、ということが往々にしてあります。
子供の頃よく母親に怒られていた私がそのことを母に言った時に彼女が言ったのが、「(悪いところが)自分にそっくりだからなおさら腹が立つのよね」と。それを聞いてなるほどなーと何故か腑に落ちたというねw(そして自分も実際子供を持ってなんかすごくよく分かる…と思うのですorz)

人は、他人の中に無意識に自分を見ているんですよね。
特に自分の中にある「自分が嫌いだと思っている部分」を発見すると嫌悪・憎悪の対象になってしまう。
というか、暴力的な言い方をすると「嫌いなものは全部自分の中にある」と言ってしまってもいいのかもしれません。
直接自分や自分側の人間がそれによって明らかに被害を受けたとかの経験がない限り、少なくとも法を犯したり周りに非常識な迷惑を撒き散らすこともしていない、そして他の価値観を認めているという「他者(※人以外も含む)」に対して、特別に激しい憎悪感情が出てくることはそもそもないんじゃないかと思うんですよ…。

私は人が「何を好きか」よりも「何が嫌いか」に興味があって、嫌いなものの方がその人を理解する要素になると思っています。なぜか説明できないけど嫌いだと感じるのにはそこには本人も気付いていない理由が、それをもたらす「何か」が必ずあると。

事件に話を戻すと、迂闊なことは言えないのは承知の上ですが、この犯人はもともと自分自身の中に根深い問題を抱えていて、自分は価値のない人間だという恐怖や絶望や諦めが潜在的にあったんじゃないか、という考えが私の中にはあって。
こういったいわゆる "死の天使" 系のシリアルキラーって生死を支配する対象に対しては神であるかのような意識や幻想を抱いていると思われがちですが(デスノート夜神月のような)、そして実際そういうことが多いんでしょうが、その元にある意識は何なのかというと、本当の意味では自分に自信がないんだろうと私には思えるんですよ。
自信というか、自分自身の存在への絶対的な「肯定感」とでもいうようなもの、がない、もしくは以前はあったけれど失くなってしまった。
だから、そこを埋めるために他者へ力をふるう。他者への影響力でもって自分自身の力の確認、ひいては存在価値の認識にしている…と感じるのです。

自分自身という人間の価値を無条件で信じ、自分自身という人間の存在意義をきちんと肯定できる人間は、他人の問題を自分の問題として同一視したりしないのです

この犯人はそれができていなかったから、障碍を持って「苦しそう・生き辛そうである(※と見える)」他人のその「苦痛(※犯人の思い込み)」を勝手に "自分のもの" にしてしまった。
自分の感覚と他人の感覚をすり替えているというか、自分が勝手に感じているだけの「苦痛」を相手に押し付けているんですよ、この犯人は。その上で更に、その「苦痛(※犯人の思い込み)」を自分の一存で処理していいと錯覚し、実行した。書いていても反吐が出ます。

で、今回の酷い事件を無理矢理私の日常へ落とし込んで考えてみた時に出てきたのが、何か特定の対象に特別強い感情がある時は、一見何も関係がないように思えても一旦自分自身の心を見返してみることが必要だと思う、という話でした。「人間」でいたいなら。
まあそうできる理性があれば、という話ですけどね…。
この犯人なんかはもう理性がないわけだから、キチガイですよね。抹殺されなきゃいけなかったのはお前自身だよと。

それにしてもこの犯人は思考における一番大事なところがぽっかり抜けていて、本当に身勝手です。
犯人が死なせてあげた方がいいと考えた対象の障碍者が本当に苦痛を感じているか、生きるのが辛いと思っているか、生きる意味がないと思っているのか、お前には絶対に知る術なんかないんだよ!ばーか!他人の人生よりお前の無駄な人生真剣に後悔しろ!!(※特別激しい感情に任せた極めて頭の悪いバカの文章(´∀`))ハアハア…ということ。*2
当たり前の平たい言葉で言えばお前に他人の人生を決める権利なんかない、という一言に尽きるわけですが。

この時点でこの犯人は自他の境界が確立できていない、人として欠陥のある存在だということの証明になります。私は自分自身がボーダーで自他の境界がゆらゆらしている欠陥人間なので、その辺りの匂いには敏感なんですよ…という残念なソース(´д`;)

犯人には、お前の方がよほど世の中に必要のない、生きるに値しない存在、自分の主張を通したければ自分で自分を始末してくれ、と思うのみです。
犠牲になられた方や遺族の方には私ごときが言葉もない。せめて安らかに眠れますように。どうかいつか悲しみが癒えますように…

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しかし、このブログにはこれまでもちょこちょこ書いてますが、私も実はこの犯人と一部同じ信条を持っていて。それは、生きるに値しない人間は確かにいるということ。
そして、そういう人間はできればすぐに死んで欲しいと思っているし、できなければ24時間監視をつけて欲しい。
その人間というのは、サイコパスシリアルキラー、そして特に幼児への性犯罪者です。

なぜ死んで欲しいかというと、この三つの人種は原則更生が不可能だから。もちろん今回の事件の犯人もここに入ります。でも最後のに限っては去勢手術で手を打ってもいいよ!(偉そうだけどこれに関しては謝らないよ!)
サイコパスに関してはその診断を国民の義務にして、著しく異常な結果が出た人には監視をつけるとかして欲しいですよ…あと成人無職男性も24時間監視な!(゚д゚)ワリトホンキ



 

 

 ●(文中に貼った以外の)関連すると思しき記事は山と出てきてどうしようか…


 

 

*1:生きてきた年数を問題にするのはこの犯人に限っての話。世の26歳やそれ以下の年齢の若者を年齢だけで批判したい気持ちも、ましてや皆こうだと言う意図も当然全くないので誤解しないで!

*2:本当は「障碍者が苦痛を感じているか、生きるのが辛いと思っているか、お前には関係ない」という方がより正確なんですが、これは自我・他我の境界がきちんと確立されている極めて健康な精神で自立している人じゃないとなかなかピンとこない表現なのでこっちに。

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