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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

子供のこと、私のこと、親と子のこと色々。

聞きたくも見たくもないニュースばかりが相変わらず耳や視界に入り込んでくる。
嫌な時代だなーと思うけれど、いつの時代もそういうもんかもしれない。メディアはいつだって「今の出来事」のうち、相対的に大きな事件・人々の関心が集まりやすい話題を扱うだけ。必然的にどちらかと言えば陰惨で暗い話、不快、怒りを覚えるようなニュースばかりになってしまうんでしょうねー。

最近世間を騒がせた、家族と離れてから一週間振りに無事保護された、山の中に置き去りにされた北海道の男の子のニュース。
当初は虐待・子捨てだと思い込んで、その事件のニュースを初めて耳にした時には思わず大声を出して耳を塞ぎ、山中に置き去りにされた男の子の恐怖を想像すると胸が潰れるような思いで脳が考え続けることを拒否したが、無事に保護されることを心の奥でずっと祈り続けていた。
その祈りはそのままに、しかしどうやら虐待・子捨てではないらしい…という雰囲気を、日々溜飲を下げながら拝読しているブログの一つで知り、そして無事に、そして奇跡的に元気で見つかった後に知った真相は本当にそうだったわけで、今度は別の意味で胸が苦しくなった。

 

人の親と子はどちらも感情と個性のある不完全な「人間」で、子育てはそんな「人間」を先輩と言えども同じ「人間」が育てることである以上、どうしたって理想や一般論通りにはいかないと思う。いかないのが当然だと思うんですよ。
親が親に徹しよう、大人に徹しようと日々いくら自分自身を戒め努力していても、「人間」である限り、子供に対して大人に徹しきれない感情が湧くこともよくある。
そういうものを全てひっくるめて「子育て」であり、子育ての難しさ、親になることの大変さ、という話だと思うんですよね。
私は自分に子供のいない時から当たり前にそう思っていた。
実際子供ができてからは、それらに付け加えて育児というのは子供じゃなく自分自身との戦いだと思い知りましたが…(´ー`)テキハジブンノミノウチニ…

あと、時代や土地や地域によって教育や躾の「当たり前」の感覚って全然違いますよね。
例えば、私の実家の両親は虐待親では決してなかったけれど、私の子供の頃、昭和50~60年代くらいは、子供に対するげんこつやお尻叩きなどのそこそこの体罰は結構普通に当たり前で、言うことを聞かなかったり悪いことをしたりするとおしおきとして押し入れに閉じ込められたり、外に閉め出されたり、ということは日常的に普通でした。
だからこそ絵本『おしいれのぼうけん』はとても真に迫ったわけでね!

おしいれのぼうけん (絵本ぼくたちこどもだ 1)

おしいれのぼうけん (絵本ぼくたちこどもだ 1)

 

↑わー私が生まれる三ヶ月前に発売されてたのねー(´∀`) …というどーでもいい文章。


くだらないいたずらをしたり注意されてもやめなかったりしては怒鳴られたりぶたれたりは子供の日常。冬の北海道でアパートのベランダに閉め出されるなんてことも異常じゃなかった。
大人になってから同世代の友人とそんな話をすると、誰もが似たり寄ったりの思い出を持っていて、「あの頃はみんなそれが当たり前だったよね…今の時代なら通報されてるよね」と頷き合ったもんです。私とは別の雪国育ちの友人に到っては夜中に雪の積もった庭に放り投げられた、なんて逸話もあり(※女性です)。雪国あるある(o^-')b☆ですね!

冬の北海道でアパートのベランダに閉め出され、泣きながらすぐに「ごめんなさいぃ!」と謝って入れてもらった姉であるところの私もいれば、外に向かって「誰か助けてくださーい!ころされるー」と叫んで別の意味で速攻部屋の中に連れ戻された私の妹のような生まれつきのツワモノもいるわけで(どちらも4~5歳頃でしょうかね…(´ー`))、兄弟姉妹でも子供の性格や気質もそれぞれなんですよね。

もちろん、叩くことやおしおきと称して閉め出したり閉じ込めたりすること、それが「躾として良い方法だ」と言いたいわけじゃないんですよ、もちろん
それをしないで解決できれば一番いいわけで。そして何より、当の親たち自身が一番それを願っていると思うんですよ。
子育ての大変さって、そういう「理想」通りに育ててあげたいと日々思っているからこそぶつかる壁、が具体的に一番大きいものだと思うんですが、どうでしょうか。
理想と、現実の自分や子供とのギャップに日々直面し、それを何とかしようともがいて、苦悩する。だから「子育て」って結局は「自分との戦い」だと私は思ったわけでね…。言い回し的には普通だし私も使うけれど、実際は「子供との戦い」じゃないんだなーと。

今は私の子供の頃と時代は変わって、とにかく体罰に対する目が厳しくなりました。
それは悪いことじゃないと思うのです。昔だって、躾の範囲を超えた暴力で傷ついていた子供たちが少なくなくいたはずで、そういう風に過剰に暴力をふるうような親に対しては、「暴力を用いることが普通」という世間の感覚が変わることで手を出しにくい圧力になるのは悪いことじゃないと思うんですよ。(…と言いつつ諸手を挙げて歓迎していない風なのは、虐待である本当に酷い暴力はいつの時代も家の中、密室という世間から見えないところでされていると私は思っているからです。世間の風当たりが強くなるほどそれは奥へ隠れ、見えない場所での子供への暴力が逆に強まるのは自明であってね…残念な話ですが。そしてじゃあどうしたらいいのかと言われても何も言えないわけですが(´・ω・`))

でも、ここが子育ての難しいところで、そして実際に経験がないと感覚的に納得しにくいのも当然だと思うところなんですが、叩いたり恫喝したり、閉めだしたり閉じ込めたり、(今回のように)置き去りにしたり、しないとどうにもならない状況というものは、あるのです…(´д`;)

あるからどうしようもないんですよね。
そうしないと収拾がつかない、という場面が、特に男の子の方が割合が多い気がします。自分だけじゃなく周りの話を聞いても。神みたいなスーパー母親☆なら他の素晴らしい方法があるかも分かりませんが、でも特に私のような凡人(以下)の親だから毎日がエブリデイ☆しょっちゅうなのかもしれませんが(´д`;)、今の私の手持ちにはこれしかない!っていうような場面があるんですよね。
それは子供自身が危ないことだったり、周りに危険や損害が及ぶことだったり、マナーやモラルの問題だったりしますが、子供というまだ一人前の人間未満の生き物を、最低限周囲に迷惑や危害を与えず、社会の中でバランスを保って生かしていこうとするなら、悔しいけれど綺麗ごとじゃ全く済まない場面は多々ある。
うちの息子はそれでもまだ育てにくい部類には入らないと思うんですが、例えばもっと聞き分けのない個性の子や、そういう時期みたいなのもありますよね。たまたま色んな諸事情が重なってもうどうにも手がつけられない、みたいな状況があったりするわけですよね。
そうすると、過剰でない限り、一般的に「それは育児のやり方として推奨できない」というようなやり方でも、それを否定するのは机上の理想論であって、現実には最小限うまく使って最大限の効果を発揮させるしかない、というようなことがあるわけです。
正直、そこの手腕こそが親としての能力の真価を問われる部分じゃないのかと日々感じるくらいでして。

今回の男の子も、ちらっと耳にしただけですが、父親に怒られたきっかけは家族で遊びに来ていて石を車や他人に向かって投げた、という話ですよね。それは7歳の男の子の他愛もない遊びだったと思います。些細なきっかけだったかもしれない。調子に乗ったのかもしれないし、北海道弁で言えばおだっていたのかもしれない。そもそも男児ってなんであんなに石が好きなんだw(´ー`)
でも、何もないところじゃない限り石を投げるのはやっちゃいけない危ない行為じゃないですか。車に投げつけたら器物損壊、人に当たれば傷害、ヘタすりゃ殺人。世間からしてもかなりの悪行であり、そんなことをするのはクソガキであり、もし親が見ているのにそれを咎めなければ「躾がなっていない!クソ甘やかしの放置親!(゚д゚)クソガ!」つって叩かれまくって大炎上するケースじゃないですか?
子を思う親としてもしっかり叱らなきゃいけない場面ですよね。

ここからは想像なので違っていたら申し訳ないんですが、最初は軽く注意して、それでもたまたま止めなかったのかもしれない。更に強く咎めて叱って怒ったとしても、でもなんか口答えとかして素直に悪かったと認めない、そういうことってあるじゃないですか。子供だから。小学生で、特に男の子。
でも、親としては悪いことをそのまま放っておくわけにはいかないんですよね、特に、愛情持って、きちんと育てようと思っている親であればあるほど、尚の事そうなわけですよ。
私なら叩いたかもしれない。でも、この父親は叩かなかったのかもしれない。暴力のかわりに、お灸を据える方法として山にちょっと置き去りにして怖がらせた。実際、すぐ泣いて追いかけてきたので一度は子供を車に乗せたそうですよね。で、多分車中に戻ったら素直じゃなくなって、また反抗的な態度を取ったのかもしれない。で、怒った父親に再び車から下ろされた。

もし私がこの通りのシチュエーションで、しかも自然が身近すぎる北海道という土地にもともと住んでいて、家族で遊びにでも来ていた時にそうなったとしたら、私も同じことをしていた可能性が大です…。
下に詳しく書きますが、言うことを聞かない子供に腹を立てて怒りのまま「置いていくからね!!」となってしまうのはよく分かるから!(TДT)

もちろん、どんなに怒っていてもやっちゃいけないこと・超えちゃいけないラインがあるなんてことは、私ごときがこんなところで書くまでもなく大抵の親はもちろん、もちろん分かっているわけでね…(大事なことなので二回強調しました(o^-')b☆)、無意識にストッパーが働くことがほとんどのはずなんですよ。
例えばそれは、思わず頭を叩く時でも手加減をしていたりといったような、そんなこと。自分の大切な家族である、子供なわけだから。基本愛情を持って日々接しているわけですから。
そもそも、大事じゃなかったら悪いことしたってそこまで腹も立たないはずなんですよね。どーでもいい。

でも、何事にも「たまたま」そして「不運」という可能性があって(´д`;)

二度目に車から降ろした後、やっぱりすぐ戻って様子を見に行ったんでしょうが、たまたま子供の姿はなかった。見失ってしまったわけです。
このご両親はどんなに自分たちのその一瞬の怒りを責め、苦しんだだろうと。

そう思ったのは、私が似たようなことがあったからなんですよね。

少し前、息子と二人で近くの公園に行った時の話なんですが、私はそもそもちょっとイライラしていて。もう夕方で時間がなくて買い物だけに行くつもりだったのに、どうしても遊びたいと言うから「ちょっとだけだよ。ちょっと遊んだらすぐ買い物に行くからね」と約束させていたわけです。
で、ちょっと遊んでキリも良かったのでそう言って促すと、息子は抵抗して言うことを聞かない。
しばらく公園の散歩コースを歩きながら押し問答をしてたんですが、私がキレてしまい「じゃあもういい!お母さんだけ行くからあんたは一人で遊んでな!」って言ってどんどん歩いて行ったんですよね。時々こっそり確認しつつ、基本的に一本道なので油断していたとこがあった。
で、結構歩いて振り返ったら、着いて来ているはずの息子がいない。
少し戻ってみても一本道上に姿が見えない。どこにもいない。

一瞬でザッと血の気が引いた(゚д゚;)

そして、次の瞬間一気に湧いたのは自分への怒りと罵倒。どうしてあんな些細なことで目を離して、こんなバカな行動とってしまったんだろうって。
バカか!私はバカか!!
まさか家へ向かったんじゃ…と、公園入口から少し園外へ出て、家の方向へ向かう道を見てみても、いない。
バクバクする胸を押さえてもう一度園内へとって返し、遊具方面の道へ足を向けたところで、泣きそうな顔でこっちに来た息子とちょうど出会えました。遊具の方へ向かう道と二股に分かれているところまで来て、そっちに行ってしまったようでした。ちょっと泣いた(´;ω;`)

↑この話は、何てことなく出会えたからこそ「子育てヒヤッとあるある☆的な話」で済んだものの、本質的にははただたまたま幸運だっただけですよね。
もしかしたら、その一瞬の状況を衝いて誰かに連れ去られていたかもしれない。或いは、私を探そうとした息子が公園の外の道に飛び出して車にはねられていたかもしれない。或いは、目を離していたばかりに何かが起こって取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
深く反省しました。

ちなみに、息子が本当に言うことを聞かない時、言い聞かせや無言の圧力なんかの他の努力が一切功を奏しない場合、私はまずヤクザまがいのドスの利いた声でゆっくり「お前、"いい加減に" しろよ?」と脅すんですが(普段が早口でまくしたてる系の叱り方なので)、書いてみると特攻の拓』のキレたマー坊くんみたいだなーと思った(´∀`)☆(マー坊くんファンに申し訳ない文章)

 …というこれまたどーでもいい文章と名作紹介の無駄遣い(´ρ`)


だから、この事件はもう「不運だった」としか私には言いようがないと思ったのです。
父親のやり方は「白い」方法ではないけれど、「黒」でもないんだということは同じように子供を育てている人間にはよく分かるんじゃないかなと。「グレー」が子育てのほとんどなんじゃないかと…。

でも、男の子は助かったわけで、それは本当に本当に不運中の幸運だったよね。
無事で本当に本当に本当に良かったし、保護の一報をテレビで知った瞬間は本当に泣いたし、リアルで神様に手を合わせて感謝した。
彼がどんなに怖かったか、不安だったか、悲しかったか、辛かったか…それを思うと胸が潰れる、ほんとに。寒かったたろう。お腹が空いただろう。何より、家族に本当に捨てられたと思ったんじゃないか。
よく頑張ったと思う。
本当に良かった。

世間的には父親が「悪かった」けれど、それは父親自身が重々感じていることだと思うし、実際報道された姿からも私はそれを感じたし、世間様と捜索に関わった沢山の人達に対しては「ご迷惑とご心配をおかけしました」だけれど、あとは家族の問題だから、個人的にはもうそっとしといてあげて欲しいなと。


ここからはちょっと愚痴愚痴したことを吐き出しますが。
今の子育て環境って本当に厳しくて、保育園が少ないとか制度の問題とかのいわばハード的な面での問題だけじゃなく、周りの目とか意識とかのソフト的な面でも相当厳しいんですよね。
「子供を叱れば虐待を疑われ、叱らなければ無責任の放置親だと思われる」というような感じで、常に減点方式で見られている。どこにいても。そういう時代の空気のようなものをつくづく感じます。
例えば、私自身は批判されたことはないんですが、子供を連れてファミレスやファーストフードに来た親がスマホをいじっているだけで「子供をほったらかしで可哀想」「家族のあり方とは何なのか」とか批判される風潮。最近の『週刊新潮』か何かで後者を愚痴っていた五木寛之もありきたりなただの老害になったんだなーと思ったよ。

その時しかスマホをいじる時間なんてないのかもしれない、って、どうしてその可能性を思ってあげられないんだろう。

最初から厳しい目で見ているからだよね。
特に小さい乳幼児なんかがいると、家では24時間子供のためにしか動けないから、たまにお店なんかで食べさせている時だけが唯一自分のために使える時間だったりするんですよね。他のお母さんとコミュニケーション取ったりすることで精神的な支えになったり気分転換になったり、生活の色んな必要なことを調べたり(乳幼児がいると電話でやりとりするのが難しいことも多い)、現代のスマホ(携帯)をゲーム機としか思っていない老害老害的感覚が跋扈し過ぎているなーと感じることも多い。年寄りに限らないけど。いや、そしてゲームしたっていいんだけれども(´∀`)

乳幼児じゃなくたって、小学生とか、黙ってじっとしていなきゃならない場所(乗り物や病院、親の用事など)で、ゲーム機なんかを与えておかなきゃならないことってありますよね。飲食禁止じゃなければお菓子を食べさせて間を持たせたりとか。
何も与えずに騒いだら「うるせー!躾のなってないガキ!(゚д゚)クソガ!」って叩くくせに、例えばゲームをさせていれば「小さな子供にゲーム与えて…外でもゲーム漬けですか┐(´ー`)┌ヤレヤレ」、お菓子をやれば「身体に良くないあんなものばかり食べさせて…ヒソ( ´д)ヒソ(´д`)」的な、何をしても批判という感じの風潮にもうなってしまっていると感じます。周りが実際に体験した話を色々聞いても。

本当に、本っ当に、子育てしにくい国だと思う。親にも子供にも冷たい国だよ。親は一生懸命何をしても周りから疑いの目で見られる。やってらんねーよ("゚д゚)、ペッという気持ちになるし、少子化少子化って、当たり前じゃん、こんな社会で子供生みたいと思う親がいるんですかね┐(´ー`)┌ヤレヤレというね。

冒頭のブログで、少子化ということは子供が少なくなるだけじゃなく、子供を育てた経験のある人間が少なくなるということ、と書かれてあって、目から鱗でした。それはその通りで、だからますます子育てしにくくなるんだなと。

実際に自分がその状況になって初めて、理想と現実の違いを思い知るというのは普通によくあることですよね。

そういえば、高嶋ちさ子のゲーム機バキバキ事件?でしたっけ?あれが虐待だーなんだーと叩かれていましたが、「虐待」ってそういうことを言うんじゃないよって思った。安く使うんじゃないよって腹が立った。

ほとんどの親が、未熟でもうまくなくても、子供のことを大切に思っていて、愛しているわけですよ。愛してれば何をしてもいいのかってのは別ですよ。毒親は悪ですよ。
でも、大抵の親はさ…一生懸命、悩んで、もがいて、子供を良く育てようと奮闘していると思うんですよ…自分擁護ウザーですがー(´ー`)
それをあまりに疑って、潰してしまうことの弊害も多くなっていくような気がします。

うちも過去に一度通報されましたしね…(´ー`)

 

↑「荒み寄り」の通りだいぶ鼻息が荒いので閲覧注意(o^-')b☆


しかし、大事なのは、子供のいない人が子供や子育て中の親の敵では決してない、ということ。

子育てがしにくい社会の問題というのは、「子供がいない人には子育てしている人の気持ちや苦労は分からない」とかいう短絡的な話じゃないと思うのです。
子育て経験のある人だって自分たちの子育てと違っていたらもう分からないわけでね。現役子育て中だって親も家庭も子供もそれぞれで全く違うし。老害にだって大抵は子供がいるわけでね(まあ高齢男性だと時代背景的に育児に関わっていない割合も多いと思いますが)。

子供を育てやすい、ひいては誰もが生きやすい社会に必要なのは、普遍的な「思いやり」なんだろうなーとまた思いました。ありきたりだけれど、やっぱり人間の世にはこれが一番大事なんだと改めてひしひしと感じているわけで。
相手の立場に自分を置き換えて考えてみる、意識を相手のために少しだけ譲ってみる、というようなことですよね。
ACのCMで「柔らかい心でいることも立派な公共心」てあったけれど、これは本当にその通りだとしみじみ思った次第です(自分への反省を込めて)。


随分長くなってしまいました。あともう少し書きたいことがあるのですが、続きにしようと思います。
今回は以上ですよ。相変わらずだらだら長くてすまんこってす(´ρ`)ゞ

 

 ●続き的記事はこちら↓

manmaru14.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

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