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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

芸能界のあれこれ、つれづれ。

世間話 テレビ

芸能界のあれやこれやにネットやテレビで見る意見に対して日々色々思う、そんな話です。
※今回の記事は不倫賛成派、今井美樹ベッキー・ゲス川谷・ウーマン村本・槇原敬之のファンの方(そして泉ピン子のファンの方も多少)は不快になる要素が山盛りなので読まない方がいいです(o^-')b☆

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私は自分で望んだわけではないのになぜかモラリストという気質で、そのデメリットの中でも一番大きいと感じているのが自然と世の中の出来事に批判的になることが多くなってしまう、ということなんですが。
もちろん不倫なんかも絶対ダメ派でしてね…。どうして不倫はダメだと私が考えるかはまた別の機会にくどくど話すとしてですね(めんどくさそうな人物像( ´_ゝ`))、以前テレビでミッツ(マングローブ)が

「芸能人の不倫略奪愛をその時は叩くくせに、それがすっかり過去のことになるとみんなすっかり忘れていい夫婦とか持ち上げるようになるのが嫌」

みたいなことを言っていてですね、「なるほど気持ちは分かる」と思いながらテレビに向かって「でも少なくとも私にはそれないから!(゚д゚)」って突っ込んだんですよね。
どんなに今はいい夫婦だとしても、不倫略奪はダメ絶対派。
だから、今井美樹なんかも個人的に大嫌いのまま。ずっと。
不倫略奪しておいてなんで温かい励ましソングとか歌ってんの?(゚д゚)って思うから、「わたしはいま~♪」とかの歌もすごく嫌いで耳に入るとペッペッっていう気持ちになる。
今はおかしくなってしまって遠のいてしまった作家・銀色夏生も『つれづれノート』で昔揶揄していたけど。

これは大事なことだと思うんだけど、「心が勝手に動いて他人の配偶者を好きになってしまうこと・配偶者がいるのに他人に恋愛感情を抱いてしまうこと」と、「実際に思いを遂げる(肉体関係を結ぶ)こと」は全然違うわけでね。
それは、誰かを「殺したいと思うこと」と「本当に殺してしまうこと」くらいに違うわけで。
心で思う分にはどんなことだって自由で、恋愛は感情だから理性では抑えられないというのも分かる。
でも、実際に行動してしまうのは理性で抑えられること。普通の人間なら。それができない理由として「心だから~」「気持ちは理性では抑えられない~」とかいうのはものすごく稚拙な言い訳で、甘えている。
人間というものをバカにしている。
同じようにどんなに心が動いたとしても人を殺さない人がほとんどだし、不貞をしない人はしないのだから。

また、これも大事なことだと思うんだけど、「芸能人だからって、プライベートな恋愛問題で謝罪とか謹慎とかはおかしい」という意見もどこかおかしい。
なぜなら「芸能人」と「一般人」は、上記のような所でも違うから。
もちろん不倫は犯罪じゃないから、芸能人であっても裏切られた配偶者側やそのことで直接迷惑や損害を被った人たちが許せば一件落着だし、視聴者が支持すれば何の問題もないと思う。
でも、視聴者が支持しない・許さない、という場合には復帰できなくても致し方ない。

なぜなら、「タレント」の「商品」て「好感度」だと思うんですよ。
言い換えると「視聴者の目に入るところの自分自身のイメージすべて」がタレントの「商品」なわけです。
不倫によって好感度が下がったということは、そのタレントの商品の価値が落ちたということです。比喩表現じゃなくそのまんまの意味だよね。
例えばベッキーは自分で自分の「商品」を汚してしまったんですよね。
今までの価値ではなくなった商品を買わなくなるのは「消費者」としては当たり前だし、自由。
「一生懸命作ったのだから、傷んでるけど買って!」と言われて、傷んで腐ってしまったキャベツを買いますかね(´ρ`)?一生懸命作ったことは理解してあげたくても、そんなキャベツは誰も今までの定価では買いたくないし、食べたくない。

と言って、実はベッキーを批判する気はあまりなく(個人的には別にファンじゃないのでこのまま消えても構わないと思いつつ)、ただ、今のこうなってしまった状態は必然だと私は思うので、過剰なベッキー擁護派やベッキー批判を何でも批判派にはモヤモヤする、という感じです。
人間には裏表があるわけで、それはベッキーだって同じで、腹黒いところはあって仕方ないというか人間なんだからそれが普通だと思うんですよ。そういう意味では可哀想というのは分かる。
ただ、彼女はこれまで「職業」として「清純で明るくて元気で裏表のないベッキー」を「商品」として売ってお金を稼ぎ、それで飯を食ってきたわけで、提供してきたその「商品」に対しての責任はあるだろう、という話なんですよね。
よく「なんでプライベートなことで視聴者に謝罪しなきゃいけないの?」って言ってる人がいますけど、する義務はないですよね別に。犯罪じゃないんだし。
ただ、うまく謝罪することでイメージを良くできれば、その「商品価値」を少しでも回復できるかもしれないですよね。「これまでと同じ商品」として、もしくは「また別の商品」を売って仕事にできるかもしれないじゃないですか。ただそのためにやったらどうよ、ってな話じゃないですかね?
商売の世界の仁義、もしくは建前ってだけの話だと思うんですよね。
「一度離れた顧客は取り戻せない」「商売は信用がすべて」とか言いますよね。そういう話だと思います。

ちなみに、夢を売る仕事ならその夢っていう商品に責任持ちなさいよ、それで高い金稼いでんだから、って私は思う方です(´ρ`)

芸能人、特にタレントや芸人気取りに時々疑問に思うのは、一般人と違うからこその対価で高い報酬を得ているのに、都合が悪い時だけ一般人と同じ扱いを求めること。
例えば私は芸人のウーマン(ラッシュアワー)村本が大嫌いなんですが、嫌いになった大きなきっかけが、彼が外で一般人に気付かれるのが嫌だ、みたいなことを言っていた時。それが嫌なら芸人なんかになるんじゃないよって思った。
自分は全く望んでなかったけど才能が見出された、とかならまだ理解できるとして、彼の場合は多少は「名を上げたい」「有名になりたい」「金を稼ぎたい」「女にモテたい」と願って自分でこの世界に入ったわけですよね。
もちろん、店員に個人情報をツイートされたり、しつこくつきまとわれたりするのは別ですよ。芸能人・有名人だからって常識的に許されないことはたくさんある。そういうのは声を大にして怒ったっていいし、訴えるべきだとも思う。
だけど、ただ電車に乗っているのを見かけたことをツイートされるのも嫌がるって、頭おかしいんじゃないかと。
さんまくらいになれとは言わないけど(あの人始め昔の芸人はそもそもケタが違うから単純に比べるのはさすがにかわいそうだと思う)、自分で選んだ職業である有名人としての恩恵だけは受け取って、多少の不便やデメリットは完全拒否、ってそれはおかしいわけで。
嫌だったらそれこそ芸能界という職場を辞めて一般人になればいいわけで。
まあ村本はもしかしたらゲスな芸人というキャラ作りなのかもしれないけど、それならそれで大成功だからいいんじゃないでしょうか(´ρ`)

ところで、ベッキーの不倫騒動では大前提として相手側・既婚者であるゲス川谷の方がよりゲスで卑怯で悪いのはもちのろんです。
ただ、ほんと胸糞悪いけど、ずるいけど、あっちがダメージ少ないのはあっちの商品が「歌」だということなんだよねー。

実際にどっちの方が悪いのかは関係なく、プライベートの問題がどれだけ仕事へ影響するかという話になると、「タレント」や「芸のない芸人」と違って「(芸のある)芸人」「歌手」「俳優」の方が圧倒的にダメージは少なくなっちゃうんだよね。

「好感度」が商品のタレントたちと違って、芸人の商品は「芸」、歌手の商品は「歌」、俳優の商品は「演技」だから。
「商品」が「その個人自体」とは切り離されている。

プライベートがどうであれ、それらの「商品」自体の質が落ちていないなら、ぶっちゃけ仕事にはほとんど全く関係しないんだよね。
それを作っている人間がゲスでもクズでも、提供される「商品」が変わらず良ければ買う人は買う。
物を作って売るアーティストはそれがあるから仕方ないよね。人間性、関係ないもんね。

そういう話でいつも思うんだけど槇原敬之。あの人ってブサイクだし人間性もちょっと…だしどうなの?と思うんだけど、歌を聴くと「なんだかんだ言っていい歌歌うんだよな~(´д`∗)」って思ってしまうくらい、歌(と歌声)はいいわけでね。くやしい!
人間性やイメージと商品が関係しないと言えば泉ピン子もそうで。ほんと好きになれないんだけど、やっぱり演技は上手い。ピン子だって分かっているのに「幸楽」の五月が赤木春恵にいじめられていたり、切ない女囚役なんかをやっていたりするとつい感情移入しちゃって泣いたりもしちゃうわけで…。凄い女優だと思う。ピン子…恐ろしい子!(゚д゚;)

というわけで、「タレント」「芸のない芸人」は「好感度」だけが商品なわけで、それを自分で汚したらもう需要はないでしょ、ってのは仕方ないというか当然だと思う、という話でした。
相変わらずどーでもいい話ですね!(´∀`)




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