願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「生きている限り忘れない」

震災のことは、生きてる限り忘れないと思うんですよね

津波のことを語り継ぐ活動をしている方が、インタビューをこう締めくくっていた。
今年もニュースで3.11の少し前から震災特集が始まり、「その日」を過ぎると一気になくなりました。
被災地から「遠く離れた」東京に住んでいると、普段震災の話題に触れることはほとんどなく、その温度差に気付いてハッとする日。
実際は遠くなんてなく、ほんの数十キロの距離であり、しかもあの汚い事故を起こした発電所で作っていた電気の恩恵を受けていた地域なのに、だ(´ρ`)*1
この国の愚かさと、この国の汚い大人どもの醜さに、私はこの五年の間に腸が煮えくり返り過ぎてもう滓しか残っていない感じになっている。

最近、高浜原発の運転差し止め仮処分という英断を耳にした地元の高齢男性がテレビのインタビューで「信じられない」と憤っている様子を見たが、その老醜さも私は一生忘れない。

お前の子供が、孫が、被曝しろ(゚д゚)

そう思いましたよね。

お前が生まれた時から親しんだ里山が汚い雪で汚され、何十年(何百年か)も立ち入り禁止になればいいのに(゚д゚)

そうならなければ、ああいった迷惑な「自分たちは事故による損害の経験がなく、原発立地と稼働で恩恵しか受けていない、しかも放射能の影響が受けにくい老人」は、福島の人たちの苦しみ悲しみや今回の滋賀の人たちの懸命な憂慮を死んでも理解できないと思うから。

人間には他の動物にはない巨大な脳があり、そこには「自分自身に起こった体験ではないことからも学ぶことができる」という大事な機能がある。
自身が直接経験しなくても、他人の経験を自身に置き換えて考えることができるはずなのだ。本来。
単純に考えれば本来年をとればとるほど人生経験は増すわけで、他者への共感というその機能も向上していくような気がするのだが、現実にはその機能は落ちていくことが多く、それがああいった厄介で迷惑な「老害」という人種になる。「無知な若者」よりも罪は深刻だ。

あれだけの事故があって、一切収束していないのに、この国はまだ原発を動かそうとする。

このことの恐ろしさを、あの事故が起きた直後はきっと誰もが感じた原発への恐怖を、忘れてしまうことが理解できない。
原発の亡霊にとりつかれたこの国の現政府の妄執とは一体何であるのか。
あの原発事故でまだ6万人近くの人々が故郷を追われ避難生活を強いられたままで、肝心の原発自体も五年経って未だ廃炉どころか汚染水漏洩終息の目処すらついていないというのに、未だに原発を動かそうとする、この国の腐った大人たちは一体何であるのか。本当に私と同じ「人間」なのか。





*1:こういう書き方をするが私は「事故自体」を責める気持ちは実はあまりない(自然災害を想定し尽すことは不可能だから)。「想定できない災害が起こり得るということ」を「想定」することをせず、実際に事故が起きてからそれらの責任を認めなかったこと・被災者への不誠意な態度において責めている方が大きい。

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