願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

友人に求めるものは人生に求めるものと似ている。

ここ最近の時間がなくてPCを開けなかった間(まだ続いてますがーorz)、空き時間には本を読んでいました。
好きな作家である西原理恵子の人生相談本を読んでいてすごく腑に落ちたことがあったので、その話を。

 

生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント (文春新書 868)

生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント (文春新書 868)

 

 

↑この本の中で、サイバラ「人を見る優先順位は『面白い』というのが何よりも上にくる」というようなことを書いているのを読んで、軽くハッとしたというか、すごく納得できたことがあるのです。
いえ、サイバラさんが「そういう人」であるのは著書をみてきていればとっくにわかっているので、そこに納得したという意味ではなく、この間たまたま妹と話していて、
「人間としてすごい好きだなーと惹かれる相手はどこか壊れていたりぶっ飛んでいたりするほど『面白い人』なんだけど、良し悪し両方の意味で普通じゃないから実際に付き合うのはとても難しい(だろう)から、困る」
ということを言っていて、それとサイバラのその言葉とがリンクして、「なるほどなー…( ´_ゝ`)」と、主に自分自身について腑に落ちたというね(冗長な文章)。

極端な言い方をすると、
「そうか、付き合う人間の基準を『面白さ』で決めてしまえる人間がいるのだな…( ´_ゝ`)」というような。
そういう、軽い眩しさも感じてしまうような驚き( ´_ゝ`)

そして、実はそれはひいてはその人自身の人生の行動指針に深く結びついているんじゃないか…と感じたんですよね。

それは、私がサイバラや妹とは違うから( ´_ゝ`)
例えば、いくら面白かろうと手癖の悪い人とは友達になれないし、いくら面白かろうとマナーを破って平気な人とは友達になれないし、いくら面白かろうと他人をイジメる人は絶対に友人と呼びたくない、というような。
いくら「それ以外」のところでは人間としてはちゃめちゃに面白くても、そして自分がめゃくちゃ相手のその面白さに心酔していたとしても。「友達」という位置には置きたくない。
言い方を変えると、私は「面白さ」で他の何もかもがチャラになるタイプの人間じゃない、ということになる。

私にとっては、「面白さ」は人を見る優先基準じゃ全くないわけですね。

じゃあ、私の基準は何か、何がその人と付き合いたいと思う第一優先条件なのか? と考えてみたら、「人として良識と良心があること」じゃないかと思ったわけです。

…何のひねりもなけりゃ面白みもクソもないですね…( ´_ゝ`)

…そう、それは「面白さ」とは真逆にあるというか、そこで、そりゃ自分は面白さとは無縁の人生を送っているはずだ!Σ(゚д゚)ソウダッタノカ と気付いたというw( ´_ゝ`)

今更何を言ってるんだ(´ー`)バカナノカオレハ と自分でも思ったんですが、どうして私の人生はこんなにつまらないものなのかしら…と思うことってたまにあるじゃないですか( ´_ゝ`)
そもそも、生まれつき病気があって見た目に健常者に死ぬほど憧れ続けてきた(現在では言われなければ特に分からない程度のものなので大袈裟かもしれませんが、幼少期やそもそも女としてはデカいハンデ…という冗長な説明)ボーダーで視線恐怖症気味の私、「普通」に心底憧れてきて、石ころのように気にかけられず素通りされるのをずっと夢見てきて、奇特な人(夫)を見つけて結婚してありふれた苗字になって更に年をとっておばさんになったことでそれが少しずつ叶い始めてきて、そんな現在にホッとしまくっている私、なわけですよ?( ´_ゝ`)(冗長な自己紹介)
そんな「平々凡々、大衆に紛れることが何よりも夢だった」私が、それでも「なんかつまらない…(´・ω・`)」(現在は貧乏が悪化して経済的な意味では全く平凡でいられなくなってきたわけですがw)なんてアンニュイに思う時はあるわけです。
それはやはり私の昔からの性格であって、今でも悪い癖のようなものとして根強くあるもので、「全く手の届くはずもない(そしてそもそもそうなれる努力もしてこなかった)夢の世界の空想」を思い描くだけは思い描いてしまう、というもともと夢見がちなりぼんっ子☆だった頃から脳内がまだ抜けていないからでしょうかね(※この文章は41歳女性が書いています)。

 

↑りぼんの中の一番のバイブルは『ときめきトゥナイト』でも『星の瞳のシルエット』でも『月の夜星の朝』でも、もちろん『ホットロード』でもなく、いるかちゃんヨロシク』です( ´_ゝ`)今読んでも萌えるー。

…まあそれは置いといてですね、要するに、つまらなくない人生を送りたければつまらなくない要素を追い求めていなければならないわけで、常に選択の基準はそこにシフトしていなければならないはず。
これは「つまらなくない」をずばり「面白い」に置き換えてみれば、もっと明快。
面白い人生を送りたければ面白さを基準に物事を選択していかなけりゃならないわけで、ズバリ!交友関係などはその最たるものじゃないのか。

と、こう思って一人腑に落ちていた…という話なのでした。

友人に求めるものはその人が自分の人生に求めるものと似ているというか、共通していると。
よく「その人を知りたければその人の友人を見よ」と言ったりしますが、自分自身を知りたい時についても同じだと思ったわけでね…。自分自身(の人生)を知りたければ自分の友人(&自身が友人になりたいと思う相手のタイプ)を見よ、ということだなあ、としみじみ。

個人的には真面目だけど面白くない、より、不真面目だけど面白い、方が何となくいいような気がしてしまう。
自分はそうできないけどね。いや、むしろ自分ができないからこそ良く思えてしまうのかな。

余談ですが、マウンティングってあるじゃないですか。女子同士の。あれ、感覚としてものすごくよく分かるんだけど、実際リアル友人にあんなことされたら私はさっさと関係を切るから、現実にああいうことが友人同士で起こることはもうないなーと思いました。
もう、というのは、確かに若い頃はあった気がするから。交遊関係が浅く広い、若い年代限定じゃないかなー。マウンティング理論は。
マウンティング自体はいくつになってもあると思うんですが、友人にモヤッとする、というようなことは。それとももっと年をとったら逆にまた出てくるのかもしれないね…年寄りサークル仲間同士とかで。
そんなにもう若くないけどあるある!って思う人はそもそも心が広いんだと思う。ちょっとでも不快に感じるような相手と友人として付き合いたくないもん、私なら。
まあ、だから友達がほとんどいないんですがー( ´_ゝ`)

 
…と思いがけず切ない感じの終わり方になりましたが、今回はこれで(T_T)