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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

サイコパス夢想

キチガイ 世間話 哲学・思想

ずっと気になっていた本『良心をもたない人たち』(マーサスタウト著)を図書館で借りて読んだ。
物凄く読みやすかった。文章のレベルが高く、つっかかるところがなくサラサラと水のように分かりやすく頭に入ってくる。著者も訳者も両者が素晴らしいんだろうな。

 

良心をもたない人たち (草思社文庫)

良心をもたない人たち (草思社文庫)

 
良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

 

 ↑私が借りたのはこっち。

 

このサイコパスについて書かれた本の前書きを読んで、まず一番に感じたのは「こういうものに私はなりたい…(´д`)」という切なる願望だった(宮沢賢治を借用するには申し訳なさすぎる対象)。


つまり、「良心がなく、罪悪感を持たず、恥を感じることもない、完全に『己のため』だけに行動できる人」に、私は純粋に「そうなりたい」と切望してしまうということ。
もっとも、それこそが私がサイコパスじゃない証なんですがw(´ρ`)
だって、人間普通に生きていたら「良心、この邪魔なもの!ヽ(`Д´)ノウワーン」という感じになる時ってよくあるじゃないですか?(えっ私だけ?(゚д゜;≣; ゚д゚))。

ところで、以前、キチガイにはまともな人間は太刀打ちできないというような記事を書いたんですが。

manmaru14.hatenablog.jp


それは、この社会は "良識あるまともな人間" が前提に成り立っていて、"キチガイ" は最初から社会の構成員として設定されていないから。
明確に法を犯した(完了形)場合を除き、まだ法を犯していない(犯したとされていない)キチガイは自分の欲望のまま行動できる。キチガイが全員サイコパスなわけじゃないが、まともな人々が持つ自制心や公共心、恥などはサイコパスと同じように持たないことが多いから。
ゴミ屋敷や騒音など、一部のキチガイ住人に周囲の住民が苦しめられている話(こういうケースのキチガイは大抵中高年男性)は定期的にニュースに上がるけれど、最近だと生活道路の一部を自分の私有地だと言い張って*1植木で塞いで30cm程度しか通れないようにしていた高齢夫婦が逮捕された、というニュースがあった。
その夫の方が以前取材に応じた際の映像も見たが、その顔が完全にキチガイの顔*2だったから納得。
周囲の住民が苦情を言いに行ったら包丁を出して威嚇してきたそうで、その住民へのインタビューで「包丁持ち出してこられたらこっちは逃げるしかなくて…」と語っていたが、それを見ていて「そりゃそうだ。キチガイにはキチガイしか太刀打ちできんよ」と改めて思った。

つまり、共有道路を私有地だと主張するだけじゃなく、実際に勝手に塞ぎ始めるなんて、その時点でキチガイなのは明確なわけで、そんな相手にまともな人間に対して行う「抗議」などのまともなやり方をとることは無意味なわけで…。
まともな人間はまともであるが故にキチガイとは絶対に渡り合えない。
だから、例えば相手が包丁を出して来た日にはこっちは即座に猟銃を突きつける、というような、そういう人間がいない限りこのキチガイ夫婦の行動に一矢報いることは不可能だったはず。
或いは、道路を塞いでいる膨大なコンテナだの植木鉢だのといった、あれらを即座にひっつかんで躊躇なく目の前の川にぼんぼん投げ捨てられるような人間(基本的にキレた時の私はこういうことをしでかしかねない人間であり、うっかりやってしまいそうで恐い…)。そういう人間がいないと根本的に事態を動かすのは無理。

目には目を。キチガイにはキチガイしかない。

もちろん、実際にそれが「本当に良い方法」だとは言いませんよ…( ´_ゝ`)
大体、もしうまくキチガイキチガイをぶつけられたとしてもそれはそれで「同じ町内にキチガイが二人もいた…(゜д゜;)」という更に絶望的な状況が明らかになったことに他ならず、実際は更に悲劇という。ゴジラモスラか、みたいな(ちょっと違う)。

このニュースはその夫婦が逮捕されたというものだったわけで、要するに事件としてはとりあえず解決し(今後またその夫婦が懲りずに何かしでかす可能性は高い気はするが…)道路を塞いでいた物も撤去され、これまで不便と恐怖を強いられていた周りのまともな住民が救われて良かった。

さて、本に話を戻すと、結局私がここでよく使っている「キチガイ」というのはほとんどの場合サイコパスのことを指しているのかもしれないとこの本を読んで思った。
サイコパスの定義は「 "良心" を持たない人間」であり、その誰もが猟奇殺人鬼になるわけじゃない。ただ他人や他の生き物に愛情を感じる心がなく、自身が求める "もの" を何の躊躇も、そして自分や外界の制約も受けることなくただひたすらに追い求めることができる。金、セックス、権力、支配、自分の快楽。
サイコパスと定義される人間には特徴的な性格があるが、それは必ずしも暴力や殺人とは結びつかない。
ただ、自分の求めるものの障害だと判断すればそれを排除する意思に良心や愛情といったものの制約を一切受けないので、他人や家族の命であっても物のようにそれを扱える。その結果として傷害・殺人という行動に到ることも有り得る。

今まで私が出会った人には忘れられないくらい強烈におかしな人々もいるが、その中でも「あの人はもしかしたらサイコパスだったんじゃないか…」と疑える人間は二人いる。

その、忘れられないくらい強烈におかしかった人たちはたまたま全員女性で、その中でもサイコパスじゃないかと疑っている二人ももちろん女性だ。全員に共通して「人じゃない」と感じるほど違和感が凄かった。
当時は得体が知れない、何を考えているか分からないという表現で思っていたけれど、実際に感じるその人は穏やかで優しく楽しく、なのに私の心の奥は「何かおかしい、信用してはいけない」と感じていて、自分の感覚のそのちぐはぐさが自分自身恐かった。

彼女たちは全員が平気で嘘をつき、自分の同情を誘うのが上手だった。そして、外見は関係なくとても魅力的だった。
みんな最初はとても素敵な人に見え、親しみやすく親切で面白く、もちろん周りからも人気があり、私も一緒にいて楽しく、また一緒にいることが誇らしい気持ちになるような、特別な雰囲気を持った人たちだった。
でも、長く付き合っているとだんだん違和感を覚えるようになった。彼女がさりげなく発する言葉や話す内容が前に聞いたことと全然反対だったりして、まず発言の整合性がとれていないことが分かってくる。そして平気で嘘をついていたこともバレてくる。
何より、一番不気味だったのは、そういう嘘や彼女自身にとって都合の悪い事実が発覚した時にとる態度が普通の人と全然違ったこと。
嘘がバレてもう隠せないと悟った時、普通の人はバレたことに焦った後に過ちを認めて謝るか、逆ギレして正当性を主張しようとする。
でも彼女たちはそれとは違う二つのパターンだった。一つはこちらが何を言っているのかまったく理解できないという白痴的態度、もう一つはしおらしく落ち込んで、でも心から謝るんじゃなく自分がそれをした経緯を同情をひくように、時には泣きながら説明し出した。

それから、彼女たちはみんな生き物に冷たかった。
普段の雰囲気や言動からはそんな風に見えないから、さらっと凍えるような内容の発現が出た時のギャップが強烈だった。

自分の中で「彼女は何かが絶対におかしい」と確信すると、私は警戒してすぐに離れたから*3、大した被害に遭ったことはないと言っていい。
ただ、彼女がおかしいということは彼女を知る他の誰にも言えなかった。
私以外絶対にそんなこと思っていないと確信していたから。誰に言っても信じてもらえないだろうと思っていた。

私は長らくその人たちを心の中で「この星の人間じゃない生き物」と呼んでいた。そして認定していた。
とてもこの地球の同じ人類とは思えない感覚をしていたから。どこか違う星からやってきて人間に化けた生き物、そう思うしかなかったからだ。
彼女の行動原理が読めず、理解もできず、信用もできない。恐ろしいと感じた。
彼女たちは「25人に1人もいる」サイコパスだったんだろうか。アジアでは100人に1人以下に下がるらしいが。
実は、彼女たちをサイコパスだと疑ってみたものの、さすがに本当にサイコパスではないだろうと思っている。限りなくサイコパスに近い性質や、強力な自己愛性パーソナリティー障害者であったとしても。
何故なら、サイコパスは「愛さない」から。私が出会った彼女たちは一応誰かを愛していた。人並みに異性に恋していた。そう見せていただけなのかもしれないけどね…。

今、思い出す記憶の中の彼女たちは皆、月のような穏やかな微笑みをしている。
その柔和で優しい微笑みが彼女たちのトレードマークで魅力の一つでもあった。でも、そこに感情はなかったと今ならわかる。柔和で魅力的な微笑みだったけれど、あれは表情のない目を隠すためだったんだろう。
だから太陽じゃない、月の微笑み。熱を感じない、冷たい、心のない笑顔。
彼女たちを心のある友達や同僚だと信じていた私がどんなに感情をぶつけて怒ったり辛辣な皮肉を浴びせても、一瞬も真顔になることはなかった。困ったようなあの微笑みで何も言わず。

あー、サイコパスのように心のない人間になれたらいいだろうな。
そう思ってしまうのは、私に人並みに良心があり、スーパーエゴ*4ときたらあり過ぎるほどありまくっているからだ。モラリストだとよく書いているけれど、ぶっちゃけ身の程知らずなくらい自身に対して高い倫理感を要求しているとさえ感じることがある。本当の私はバカで怠惰で努力が嫌いで思いやりも自分勝手にしか発動しなくて出来れば他人にたかって生きていきたいのに(残念なカミングアウト)、そうであってはならない、と強力に縛られている気がする。
それに、異常なくらい感情移入してしまうから、そういう感情を引き起こしてしまいそうな内容のもの(映画や本やドラマやニュースなど全て)は極力避けて暮らしている。
雨の中ずぶ濡れの捨て猫を拾って途方に暮れる小学生だったんですよ…。実際に。

ま、どーでもいいんですが…(´ー`)


サイコパスじゃない人間にとって、社会というのは生き難い以外の何物でもないなーと感じる。
そんな話でした。




*1:法的にはそこに住む数世帯の共有道路

*2:あくまで私だけの判断基準。どういう顔か具体的に説明できないけど、例えば表情のない目、固定された視線、眉間に全くシワのない感じとか…か。

*3:これも猜疑心の強いボーダーの性質がたまたま幸いしたこと。

*4:純粋な良心とはまた別の、自制心、常識・良識といった規制心

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