願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

私の「超・不安気質」の真相

不安の多い生涯を送って来ました…。(『人間失格』っぽい書き出し)
多いというより、不安があるのが普通の状態。
子供の頃からそうだった。
むしろ子供の頃の方が自分の意思で生活を変えられないので根本的に逃げようがなく、日々のほとんどは不安との戦いであり、そのストレスに押し潰されそうな日常をおくっていた。
 

人間失格 (HOME COMICS 青い文学シリーズアニメコミックス 1)

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  • 先生が「来週の図工では絵具を使うので持ってきてください」と言うと家に絵具がちゃんとあったか不安でいられなくなる(血の気が引き腹がキューッと冷たくなるくらいの不安)。
  • 遠足や校外学習などでバスを使うことが分かると「一緒に隣に座ってくれる友達がいなかったらどうしよう」と不安でお腹が痛くなる
  • 基本的に食べることが苦手だったので常に給食が不安(午前授業で給食がないとホッとする)
  • 毎日「今日は学校で無事に過ごせるか」が不安で、基本的に常にストレスと緊張状態で登校している


などの具体例がデフォルトで、大なり小なり他のみんなもそうだと思い込んでいたので、純粋に「学校が楽しい」などという感覚は都市伝説やフィクションの中だけの設定だと思っていた。
私が唯一幸せだったと思う人生の中の時代である幼稚園時代すら、行けばそれなりに楽しめたけれど行かないでいいならずっと家にいる方が良かった。

大人になってそう振り返ると、「私はよくここまで生きて来られた…(゜д゜;)」と、思い出し寒気に身を震わせずにいられない。*1

振り返って初めて分かるその "綱渡りの精神状態" に鳥肌が立つ。
自分(の子供時代)を褒めてあげたい…という気持ちが湧いて堪らなくなる。
子供時代の私を抱きしめてあげたい…(つд`)(傍から冷静に見ると気持ちの悪い文章)

よく頑張って、耐えて、自殺したい気持ちに負けずに(まあビビリだったからだけど)学校に通い、生き延びてきたと思う。本当に。
自画自賛で気持ち悪いかもしれないんですが、そのくらい当時の自分の「常に追い詰められた心理状態」が異常だったということが今の自分には理解できるから、そう感じる。
ただ、じゃあ一体「何が・何故そんなに」不安だったのか、怖かったのか、ということになると、今の私にもよく分からない。
それについて最近考えたのは、もうそれは「私の生まれつきの性質」なんじゃないだろうか、ということだ。

自分が幼少期から不安だらけの精神状態で生きてきたことはずっと自覚していて、連続意識としても幼稚園の頃からあるのではっきり分かっていたんだけど、最近「私のスーパーネガティブさは生まれ持った性質であり、それは幼少期からの不安気質が表していた」ということに初めて思い至ったんですね。

自分が「ネガティブ気質を更に上回った "スーパーネガティブ気質" である」ことと「不安感情が強くて精神不安定である」こと、そのどちらも自覚していたものの、なぜかその二つが "直接結びついているもの" だとは思っていなかった。
前者は私の性格が大きい分野かもしれないが、しかし後者はどちらかと言うと生まれ育った環境(病気も含めて)や経験によるものが大きいと勝手に思い込んでいた気がする。

今4歳で幼稚園年少の息子は基本外に出かけるのが大好きで、「幼稚園が楽しい」という感情をしょっちゅう表明するんですよね。
幼稚園で何かちょっとした予定がある日の朝は「きょう楽しみ!(´∀`∗)」とワクワクして待ちきれない様子になり、「楽しかった!(´∀`∗)」と帰って来る。
風邪などで幼稚園を休むことになるとギャンギャン泣いて抵抗し、「幼稚園行きたいー!(´;д;`)」と主張する。…

ぶっちゃけ、私からすると有り得ない(゜д゜)というか。

「本当に心から純粋に幼稚園(や行事やイベント)に行くことが楽しいと思って行っているんだ…Σ(゜д゜)」と驚いてしまうんですよ。
「(幼稚園や学校的な所が本気で楽しいと思っている)そんな子供」が(大人の作ったフィクションの世界じゃなく)現実にいた*2、ということにプチ・ユリーカレベルの驚きと衝撃を感じたんですよね。
私自身がとにかく子供の頃から幼稚園も学校も苦手で、イベントも行事も嫌いで(いつも不安の方が沢山出てくるから)、そもそも家の外に出ること自体が嫌で(不安の方が~以下略)、できればずっと家にいて本だけ読んでいたいという子供だったので(異常)、

「幼稚園楽しい!(´∀`∗)」
「どこかへ行くの楽しい!(´∀`∗)」
「お外行くの楽しい!(´∀`∗)」

…と、満面の笑顔で「家の外に出る」行動に対して喜びを全身で表明、主張する息子がどうしても信じられないというか、「何て素直に楽しいことを楽しめる明るさを持ったいい子なんだろう…(´;ω;`)」と自分の息子ながら感動するというか、嬉しくて眩しくて目の前が霞んで胸がキュッとしてしまう。

そして、結果的にそんな息子と対照的である自分の異常性が改めて際立ち、この「私の超・不安気質、真性引きこもり体質は生まれ持った資質だった」という真相に気付かされたというね…(´ー`)



「誰のせいでもない、私がもともと異常だったんだ!Σ( ゚Д゚ )」と。



そう…最近ちょっとまた落ちる出来事があったことをきっかけに、私が異常だったんだなあ…(やっぱり)と、つくづくね…(´д`;)
いや異常というか、多少人と違うのはずっと昔から分かっていたんだけど(ボーダーだしorz)、なんか、先程も書いたけど、それは生きているうちに色々あって、心も疲れたりなんだりしてそうなっていった部分が大きいのかなあって思っていた部分が大きかったというか。
でもそうではなく、先天的なものだったという可能性に考えが到って。そして「それこそが一番大きな理由なんじゃないの?」ってところに行き着いてしまった。

私のこの「スーパーネガティブ思考」と「超・不安気質」は実は同じもので、それこそが私が自分をして「真性引きこもり体質」と呼んでいたものの恐らく真相であり、そしてそれはもう生まれついたものだったんだ…とはっきり分かってしまった、というか(冗長な文章)。

私の「スーパーネガティブ気質」については何度か書いてますが、ここでも分かりやすく例を挙げると、例えば結婚式や披露宴。
私自身は結婚式も披露宴もしておらず、挙げたい・したいと思う気持ちも一切なかったんですが、その理由は「離婚するかもしれないのにそんなことできないから」です。
子供の頃から「みんなよく結婚式や披露宴なんかできるなー(゜д゜)人生どうなるかわからないのに、もしいつか離婚することになったらどうするんだろ…」とナチュラルに疑問に思っていた。
本当に結果的に離婚することになってしまってもそれはその時の話というか、通常、結婚する前から離婚することを前提で結婚する人なんて普通いないじゃないですか。
そもそもそんな「この先の未来に起こり得る全ての可能性」まで考えてそれを恐れていたら一切何にもできないわけで、普通はみんなそこまで考えて生きていないようなんだけれど、私は違って、「何もかもを恐れて何にもできない」人間だった(´д`;)
単純に言えば「失敗することを恐れて何もできない、しない」という人間なんてすが、それがずっと幼い子供の頃からそうだった、というのがやっぱり異常だと感じる。

…とここまで書いてどう考えてもそんな子供はどこか心理的にイレギュラーな子供であり、「なんで専門機関に相談したり適切な治療なり対策なりとってあげなかったの(゜д゜;)?!」と、その子供は自分だということを忘れて周りの大人を糾弾したくなってしまったんですが(モチケツ←死語(゜д゜)!)…。うちの両親はそういう心理学だの精神医学だのといった「心」の方面の分野は全く信じていない(信じる信じないという表現がおかしいのはわかってるんですがそうとしか言い表せない感じw(´ー`))何と言うか「超リア充側の人間」といった感じの人たちなので、私は「ちょっと変わった子供」「なんか面倒くさいところのある子供」*3いう扱いで処理されて終わってきたんですよね。
そして今に至る(´ー`)

そして「超・不安気質」の方の具体例としては、家にいる時は

  • いつ強盗が窓ガラスを割って飛び込んでくるか
  • いつ誰かが窓ガラスを割って何かを投げ込んでくるか

外に出た時は

  • 向こうから歩いてくる人が擦れ違いざまに息子の頭を殴るかもしれない・突然ナイフを出して突進してくるかもしれない
  • 電車やバスの中でキチガイが暴れ出すかもしれない

などがあり、それに対して大体常に心理的な警戒態勢を取っている、ということがある。
「空が落ちてくるかもしれないから」と不安がっている故事の男と変わらない精神状態で生きている。冗談でもネタでもない。

日常において、普通の人が考えないところまで普通に考えて不安になって対策を立てたり恐怖に怯えたりするのが私にとっては「当たり前の状態」。


だから毎日が不安でストレスフルで精神のコップは常に一杯で表面張力が絶望するわけw(´ー`)


大体その「不安」という "心の警戒" の対象は「自分以外の他人」「外界」なので、私が下痢恐怖症なのもパニック障害なのも自明の理というか。
他人の気持ちを考えられないアスペルガー症候群や他人の気持ちなんてどーでもいいサイコパスに実は私は内心憧れていたりするのも(さりげないカミングアウト)、ここまで異常だと致し方ないんではないでしょうか…(唐突な同意要求)。

どちらかというと自己愛性(パーソナリティー障害)気味の私の妹は、「自分自身」の中だけで全てが完結する*4んですが、それと違って私は他人との関わりを捨てきれない境界性。
他者を嫌い恐れ、常に不安とストレスの対象でありながら、他人との良い関係を一番に渇望している。
妹のように最初から切り捨てられないのが自分の中でも面倒くさくて、それがまたストレス。

もうね…「お前それ楽しくてやってない?(´ー`)」と言われてしまっても仕方がないような対人思考ぐるぐるスパイラル、自縄自縛状態(本人は本当に必死なんですがー)。

ずっと思ってたんですよね。
絶対、自分が将来女の子を産んだら絶対に私のような苦しい気持ちは味あわせまい、って。思ってた。
長女の苦しみも、病気を持って生まれた苦しみも、他人よりも不安や心配が強い苦しみも、私なら理解できる!絶対に理解して支えてやるんだ!…と決意してたんだけど、生まれたのは健康で明るくて楽しいこと好きでお外も大好きな男の子だった…というね…人生ってうまくできてますよね…(´ー`)うん…。

息子の単純に物事を楽しめる "陽" の性質は夫譲りだなーと思うと、夫には感謝しなきゃいけない。
夫は仕事はあまりできない人ですが(ひどい)、「内面で私にないものを全て持っている」という点で私にとってはパーフェクトな人なんだなあ…と実感せざるを得ません。何も考えていない(ひどくない←自他共に認めている)おかげか大抵のことが起きてもほとんど動じず、感情が大きく動くことも滅多にないので、その部分には安心して頼れるというのは大きい。
破れ鍋に綴蓋とは本当によく言ったもんだなー。その他のことは一切合わない(趣味も性格も笑いのツボも哲学の話もー)んですが*5、精神的な面だけではこの人で良かったというかこの人以外では無理だったろうなーと日々実感する。
…と、こんなところで夫への感謝の吐露をしても本人に言わなきゃ何も分からないんだけどw(´ρ`)

 


●関連(する記事はたくさんあるのでこんな記事もいかがでしょう?という)記事

manmaru14.hatenablog.jp

 

 

*1:徹底的に不安のもとになりそうな事象を避けて生きてきたから、生き延びて来られたのは当然という逆の見方もできるね…

*2:いや、普通はそれが普通だということは頭では分かってるんですよ( ´_ゝ`)…私も。

*3:普通の子供が喜ぶことをしても思いのほか喜ばなかったりといった感じ。私にはその理由はあったのだが話して理解されたことは一度もない。

*4:自分自身の感情が一番大事で「自分がどう思っているか」が最優先するので「他人の気持ちを計りかねて苦悩する」ということがほとんどない。結果的に対人関係の悩み(と交流人数もだけど)は少ない。

*5:だから夫は「友達」にはなれない人。出会いも友達として始まったわけじゃなかった。「配偶者」だからこそ私は一緒にいられるんだと思う。