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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

私の育児観には震災が大きく関わっている。

育児 東日本大震災 世間話

カテゴリー(東日本大震災 カテゴリーの記事一覧 )もあるように、私は仙台在住の妊娠中に震災に遭い、その数か月後に息子を出産しました。
震災の体験が私の育児に大きく影響していることは自分でもよく認識しているんだけれど、最近他人と比べることでそれをまたはっきり感じることがあった。

それは、今回の連休の話(前回の記事参照)で、息子が夫と二人きりで帰省した、と他のお母さんに話した時の反応

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↑息子は今回の帰省で念願のかがやきデビュー(´∀`)
私は乗り慣れたはやぶさこまち。行きははやて。

 

他のお母さんと言っても(そもそも友達がいないのでw)まだ二人にしか話していないんだけど、二人はそれぞれ同じ反応をした。つまり「えっ?!そんなことできるの?!」という驚きと、「うちは絶対無理だわー!」という反応。
ちなみに、その裏に「そこまでできるお父さんいいなー(´ρ`∗)ウラヤマ」という羨望があるのか、「息子くんよほどお母さんが嫌いなのね・・・(´д`)アラアラ」という私の母親としての資質への懐疑(これについては私自身すら同感)があるのかどうかまでは読み取れないYO(´∀`)w

一人目は女の子のお母さんだったので「女の子ならお母さんべったりとかお父さんには扱いが難しいというのもきっとあるのかもなー」と思って何も感じなかったんだけど、二人目話したお母さんは男の子二人のお母さんだったので「あれ?これはもしや普遍の反応だったりするのでは・・・?(゜д゜;)」と思い到ったというね・・・。

我が家が夫と息子だけで帰省をするというのは去年のGW(息子2歳11ヶ月)が初めてで(※関連記事は下部)、今回はもう三回目なんだけど、そんなこともう言えなかったよね・・・(((´ー`)))

「ああ、4歳の今ですらこういう反応なのだから、一般的には2歳かそこらで父親だけが遠距離を連れて行く、というのは難しい、不可能な、ほぼレアなケースなのだろうな・・・」と感じて。

ただ、その感情は「知らなかったことを初めて気付いた」というものじゃなくて、自然にしっくりきたというか、何もなく「当たり前」の頃の感覚を思い出したというか、そんな感じのものだった。
要するに、もし自分が通常の状態で妊娠・出産を経ていたら、つまりあの経験をしていなければ、私だって「えっ!?」と驚いた二人のお母さんたちと同じような反応をしていたんじゃないだろうか、そういう風に「当たり前」の母親の感覚になっていたんじゃないだろうか、・・・と思ったのです。

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私は出産後、強力なマタニティブルーが長く続きました。
その原因には予期していなかった緊急帝王切開になったということもあるものの、でも一番大きかったのはやはり震災関連だったと断言できる。
これも何度か書いているけれど、特に放射能の影響を考えると気が狂いそうだった。実際精神は多少狂ってたw(´∀`)

そして、当時私の心を強固に覆い尽くしていた感情は「自分もいつ死ぬか分からない」という切迫した恐怖だったんですよね。
あの未曾有の揺れ方、死を覚悟した一瞬、リアルに目の前にある被災した街の状況・・・などにより "命の危機" という感覚をダイレクトに体感したことで、ただの定義上のものだったぼんやりとした「自分もいつか死ぬ」という事実が、現実の今そこにある危機に当時変わっていたんですね。
更に初めての子供、そして目の前にいるのはただでさえ脆く、すぐ死にそうな新生児ですよ・・・。頭がおかしくなるのも当然だと思いませんか(無意味な同意要求)。

「今私という母親が死んだらこの子供はどうなってしまうのだろう?」という具体的な根拠のない底知れぬ恐怖感は、もしかしたら一般的なマタニティブルー、特に初児の場合はその範疇にあるのかもしれない。
それくらい子供の生命と安全が母親にとって大切で、その命を預かる重責を感じていることの表れかもしれない。

ただ、私の場合はそこにやはり、直前に経験した震災の影響がかなり濃厚に重なっていたわけで。
母親がいなくなったその後、具体的に何が起こるか、残された家族が現実にどういう過程を辿るのか、実際に当時仙台という "被災地" で過ごしていたことによりそこに現実的な思いを馳せたことがその顕著なところだったという気がする。

結果、私は当然それらのリスクを軽減させるように行動を起こし、そこで最も重要だったものが「夫にも私の替わりができるようになってもらうこと」だったわけです。

もちろん母乳は無理だけれど、その他は「万一」が起きた時に最低限困らない程度に慣れていてもらわねばならない、と当時の私は心に強く思っていた。
だから夫にはかなりスパルタで当たった(゜д゜)
「私が死んだらどうすんの!あなたにやってもらわなきゃならないんだよヽ(`Д´)ノウワーン!」と何度も泣き叫んだですね・・・(近所迷惑)。
私の頭もおかしかったが、夫もかなりやられていたはずです。

しかし、その甲斐あってか、一年も経つと晴れて夫は息子に関するほとんど全てのことを一人でこなせるようになっていました。・・・料理はできないので食事以外(´∀`)

オムツ替え、着替え、お風呂、泣いている時にあやす、抱っこする、ご飯(離乳食から)をあげる、薬を塗る、保湿をする、歯磨き・・・

寝かしつけだけは(息子が物心つくようになってからは夫が相手だと遊びたがってなかなか寝ないので)かなり長い間苦労したけれど、今は4歳になって昼寝さえしなければ布団に一人で置いていてもこてんと寝ているし、完全クリアといっていいと思う。
食事に関しては、非常時に求められるものは「調達能力」であって「料理の腕」ではないと私は思っているので何とかなる。それよりも大事なのは、「子供を連れて移動できる腕(手腕)」です(゜д゜)

それも長距離を(゜д゜)

現実に今住んでいる所が被災し住めなくなったり、私が死んだりしたら、夫はとりあえずまだ元気な義両親のいる自分の実家へ行かねばならないだろう。
そこまでは大抵飛行機の距離なので、小さな子供を連れての移動の困難さは通常でもつきまとうし、天災が重なれば想像もつかないことになる。

義実家まで辿り着けば何とかなる。義母や現役育児中の義姉達もいるから長期的に必要になる女手はそこまで行けば安心できる。問題は、そこまでの道中を夫一人に託さなければならないこと。
オムツも替えられない、下痢や吐いた時の始末も分からない、何を食べられるのか、口にしても大丈夫かも分からない・・・では、息子は生きて行けない。

・・・これらが私の頭に常にありました。
4年経った今ではそういう緊急避難の切迫感はかなり薄らいできたような気が自分の中でしていますが、当時はもう本当に心がずっと警戒態勢で「今そこにある危機」状態だったわけで、なので具体的に目標として念頭に置いたのは、上記の「長時間・長距離の避難」をこなせる状態に夫をなるべく早くすることでした。
そりゃ鬼気迫るスパルタにもなるっつーね・・・(´ρ`)

で、結果的にそれらがこなせるようになるということは、日常においても何ら問題なく息子の面倒を見られるということと同義なんですよね。ちょっと考えればそれは当然なんですが。

よって我が家では、食事さえ用意できていれば、夫は私が一切いなくても息子と生活ができるようになったわけです(´∀`)
2年前くらいから既にそうなっていたと言っていいと思う。



・・・と、長々偉そうに書いて「ケッ、要するに夫を躾けたアテクシ偉い!かよハイハイ(゚ д゚)、ペッ」という感じもなきにしもあらずかもしれないんですが、決してそういうわけではなくてですね、当時私の精神がそこまで追い込まれていて、そうするしか当時の私にとってなかった、という話だと受け止めて頂ければこれ幸い・・・という話です。

つーか、この話にはいいことばかりじゃなく弊害も色々あってですね・・・。

・・・息子にとって母親の存在はすっかり希薄になってしまった(´;ω;`) とか、夫との産後クライシスが悪化(´д`;) とか・・・

本来発生しなかったかもしれないデメリットという大きな副作用もあったわけで、そしてそれはもう取り返しがつかないというか、拭い去れないんですよ(つд`)w

まあ・・・それでもいい(´ー`) しょーがない。
物事にはメリットもデメリットもある。効能があれば相応のリスクもあるわけでね・・・。
なので私のやり方はオススメはしません!(゜д゜)(キリッ・・・まあ好んでそうしたいと思う人はいないと思いますケド(´ー`)w

とにかく私としてはここまで家族が、息子が、無事に生きて来れて本当に良かった、と、そう思っている・・・という話でありました(´ー`∗)デハマタ




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 昨年のGW。



 

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