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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

たった一つの「死」

※感情的な記事です。

 

「死」はただ一つであり、たった一つの「死」しかない、ということを折りに触れて思い出すようにしている。
それは大抵、心を締めつけられる悲惨な死の話題に触れた時。

私は愚鈍な大衆の一人だが、「このこと」に限ってはその他大勢の大衆と全く異なる感覚を持っている。
それは即ち、「センセーショナルな映像や画像といった媒体によって、その問題を深刻なものと改めて認識する」という大衆の性質だ。私にこれがないとは言わないが、かなり薄いのは確か。
衝撃を受けるくらいの悲しみと絶望の感情が、私の心には常に、初めてそれを感じた人と同じくらいの重さで「ある」。

幼児の遺体を日常的に目にすることのない平和な先進国庶民にとって、それは衝撃的な悲惨な光景。

冷たい水にさらされ、波になぶられるまま浜辺に打ち上げられた幼い男の子の遺体がニュースになった。
シリアから家族で避難しトルコを目指していた難民の子供だったそうだ。

不本意でも、これを打ちながら涙が流れるのを止められない。
自分に子供がいるから更に強化されているけれど、私は子供や動物の理不尽な死や苦痛がとても辛い(自分のこと以上に辛く感じる)。
何故なのかはここでは書かないが、気が狂いそうになって実生活が停滞するので見ない、聞かない、触れないようにしている。
しかし、実際は「考えないようにしている」というのが正しい。
何故なら、見なくても、聞かなくても、その手の話題に触れなくても、今の「この世界の現状」を少しでも知っていれば、そのような子供たちが無数に実在しているなんて容易に分かることだからだ。
たった今、私がこれを書いている、あなたがこれを読んでくれている、この瞬間にも、世界のどこかに間違いなく目の前で親を殺され泣いている女の子がいて、地雷や爆弾の爆発に巻き込まれ手足が千切れ血まみれになっている男の子がいて、不衛生な病院で満足な治療をうけられず涙を流すことしかできない母親の腕の中で息を引き取ろうとしている痩せこけた赤ん坊がいるのだ。現実に。
理不尽に傷つけられ、命を危険に晒している数えきれないくらいの子供が。赤ん坊が。

身勝手な、大人という生き物のせいで。

私は、この日本で生きていくにはある意味不幸にも、そういうことが常に頭を離れないで日々日常を生きています。
もしかしたら病気なのかもしれない。
日常では常に気を逸らしていて、ふと我に返ってそういう子供たちのことを思い出し、身体が震えて涙が止まらなくなるという発作が起きる。
私を一番苦しめるのは、自分には何もできない、という絶望的な不幸。

そして絶望的に強力な自己嫌悪。

「ただ思うだけで世界は変えられる」というのは、嘘だ。
私のような愚鈍な大衆の一人がただ頭に思ったところで、その一人が精神的に悲しみと絶望の泥沼に沈み不幸になることしかない。

でも、一人じゃなく多くの大衆が思えば、世界は変わる。必ず変わる。

センセーショナルな画像は、記事は、だからそのために、そういう大衆の心を動かすのには必要だと思う。

・・・でも、「だが、死はただ一つだ」と私はここで書いておきたい。
死は、どんな死に方であっても、「死」はたった一つ、一種類の死しかない。

亡骸の惨さは、大衆の心を喚起させるにはいい。
でも、そのセンセーショナルさには真実を見誤らせる危険が付いて回る。

真実とは、死が辛いのじゃないということ。
亡骸は、辛くない。
彼はもう生きてはいないのだから。
彼の亡骸に衝撃を受けて激しい悲しみを覚えたのなら、どうかそこで止まらずに彼の命があったことを思い出して欲しい。
彼は、死んで亡骸になってからじゃない、息を引き取る前までが辛かったのだ、と私はここに書いておきたい。

冷たい海に漂い、打ち上げられたのは彼ではない。「彼」など入っていない、ただの空っぽの器だ。
骸になった彼はむしろもう辛くはない。どんなに波に洗われようと、もう冷たいとは感じない。

彼が辛いのは、骸になった今じゃない。
生きていた頃だ。
彼に、男の子に、明々とした命があった時だ。
私たち大人は、忘れてはいけない。

あの男の子は、まさに息を引き取る、それまでの、その寸前こそが辛かったのだ(想像するに)という大切な「事実」に、思いを馳せなくてはならない。

長い間命の危険に耐えて暮らした祖国から遂に家族と共に脱出し、過酷な旅へ。
以前と変わらず安心して寝られず、食べられず、暑くて寒く、ただ目的地を目指して昼も夜も進んだ。歩いた。小さな体で。これは現実だ。
汚いボートにぎゅうぎゅうに載せられ、そしてボートは転覆し、男の子も家族も冷たい水に投げ出された。

必死にもがいただろう、叫んだだろう。

「ママ!パパ!助けて!苦しいよ!・・・」

誰も助けられなかった。
肺に水が入り、彼の小さな身体は簡単に死に打ち負ける。
沈んでゆく、意識と小さな小さな身体。
別の国に生まれていれば、変わらない明日があったはずの身体。

まま、ぱぱ・・・たすけて・・・くるしいよ・・・

それがきっと彼の最後の思いだったろう。
でも最後の呼吸は止まり、心臓も止まった。世界は終わる。
男の子の人生という、唯一無二の世界
二度とこの世には現れない命。



・・・こんなことを、許せますか(゜д゜)



人間として、親として、大人として、許しておけますか。

私は許せません。
私は許せません。

私は許せません。

生きたかっただろう。
苦しかっただろう。
ただ、温かく慎ましい家で、家族と暮らしたかっただけだろうに。

どうしてこの愚かな世界は、罪のない無力な子供を守れないんでしょうか。

どうしてなの?どうして?
どうしてなの?ねえ(゜д゜)

無力な子供も守れない、こんな世界、こんな糞みたいなウンコ世界、何の価値があるのよ?ウンコでしょ?全ての人類は、大人は、滅びればいいんじゃないの?(゜д゜)

・・・と、世界系ラノベの主人公のような青臭い疑問形がね、それでもそれは劫火のような勢いで私の中を焼き尽くして頭を吹っ飛ばして外に飛び出して行く勢いで燃え盛ってるんですよ。

だから、たった一枚、衝撃的な写真を見ただけで、その時初めて衝撃を受けたような反応をする愚鈍な大衆を、私は憎む。

それしかできないからです・・・。
私はただ、自分と同じ愚鈍な大衆を、同族嫌悪という事実も飲みこんで憎むんです・・・


今も、世界中で数えきれない多くの子供が苦しみ、死の淵で涙を流している。
理不尽に殺され続けている。
栄養も治療も受けられず死に続けている。
身近な者の愛情を受けられず、殺されかけようとしている。

その死は、誰もが経験するたった一種類の死だ。

けれど、大人のせいで死にゆく子供たちのそれは、生き切った幸福な命の対価ではない。



 

manmaru14.hatenablog.jp

 

 

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