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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

一部のファン心理は「他人軸」の一種~NHK『グレートトラバース~百名山一筆書き踏破』(総集編)を観て

『グレートトラバース~百名山一筆書き踏破』という番組がNHKでやっていました。プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、登山家で作家の深田久弥が選んだ「日本百名山」を公共の乗り物を使わず自分の足だけで一筆書きで踏破する、という企画番組です。
喩えにして分かる人がいるか分かりませんが、同じNHKで昔やっていた『街道てくてく旅』の超々ハード版といった感じのもの。

この番組は昨年放送されたもので、私は今回、総集編でまとめて観たわけです。

田中陽希さんについては以前、コスタリカでの800kmサバイバルレース(これ凄かった・・・。私なら誇張抜きで死ぬと思う)を追った番組を観た時に日本チームのメンバーとして出ていたのを覚えていたので、わくわくと楽しみにしていたんですが、我が家はちょうど(家計逼迫のため)新聞を止めてしまったため放送予定がさっぱり分からず、息子の幼稚園準備などにかまけているうちに本放送をほとんど見逃すという失態をやらかしました。

ちなみに現在はその続編として『グレートトラバース2~二百名山一筆書き踏破』を放送中です。
月一の放送なので放送予定が気になる人はNHK公式(NHKオンライン(トップ→BS→ドキュメンタリー・教養))やグレートトラバース応援事務局運営サイト(Great Traverse - 日本2百名山 ひと筆書き←こっちの方がオススメ)でチェックしてみてください(´∀`)

 

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富士山は0合目から7時間弱で登頂。コースタイムの約半分だったらしい・・・

 

さて、この番組の見所としては、

  • どんな山でもほとんどコースタイムの半分くらいで登ってしまう陽希さんの超人ぶり
  • 基本短パンというところがプロっぽい(蚊?虫?そんな細かいところ気にしてたらプロレースなんかできないよ、自分のベストコンディションが大事、って感じ)
  • なのに素朴でおちゃらけた素人っぽさ
  • 山頂で大量に待ち受けているファン

・・・こんなところでしょうか。
基本的に、日本では珍しいプロのレーサーであるというだけで、彼は素人さんなわけですよ。普通の青年というか、人の好い、アウトドアスポーツが好きな素朴でシャイなやんちゃ坊主、という感じの人なわけです(´∀`)

今回この総集編を観て私が特に印象的だったのは、旅が進むにつれ彼とこの企画について知る人が増えて(天下のNHKだからまあ当たり前なんだけど)、山頂で彼を待ち受けるファンもちらほら出てきたのが首都圏に入ると一気に増えて、陽希さんがそのことに対して抵抗を感じるようになっていったところ。

ファンとのやり取りは、番組が始まった頃は観てるこっちも楽しくて微笑ましいんですよ。
「会うために登ってきました」って、差し入れを渡して嬉しそうなファンの人と、純粋に感謝し喜ぶ陽希さんの姿はほっこり。彼の好きな、でも持ち歩けないスナック菓子やアイスなんかをわざわざ渡すために山頂まで持って登ってくるファンにはこっちも癒されます(´∀`)

でも、・・・まあ予想がつくと思いますが、それがだんだん過剰になっていくんですよね(´д`)

いえファン一人一人の心情はそんなに変わらないと思うんですよ。最初の頃待っていた一人だけのファンと、大挙して押し寄せるようになったファンと、基本的には。
「応援したい、しかも行ける距離の山だしせっかくだから会いに行ってみたい(゚ ∀゚*)」って、人として自然な気持ちだと思います。

でも「数」は「力」
しかも「統制のとれていない数」は「一種の暴力」となり得てしまう。

山頂で待っているファンがあまりに増えすぎて、一人一人にサイン書いたり写真を撮ったりするだけで貴重な時間が奪われることが多くなっていきました。
体調が悪い時や、行程が遅れていてどんどん先へ進まなきゃならない時でも、「応援しています!(´∀`)」「会えるのをずっと待ってました!(´∀`)」と寄って来られたら無下にできないわけですよ(´・ω・`)

ある時その "過渡" が起こりまして・・・、首都圏の山だったからなんでしょうが、これまた大量にファンが来てたんですよね。
たまたま陽希自身(サラッと呼び捨て)、待ち受けるファンのその熱量に違和感というか、「うーん・・・オレただの人なのにこんなに信奉されても・・・(´・ω・`)ちょっとどうしたらいいんだろう」というようなとまどいを感じ始めていた時期で、タイミングが悪かったというか。

大量のファンが持ち込んだ大量の差し入れ(保存の利かなそうな食べ物やかさばるスナック菓子など)が置いて行かれ、時間もないのに荷物に入りきらないから一人で食べるしかなくて、無表情・無言でひたすら口に詰め込んでいく陽希さんの姿・・・(´・ω・`)(あれ本当に食べ切れたんだろうか。スタッフが美味しく頂いてもいいと思うよさすがに、って量だったYO)
その後も、別の山を登山中に擦れ違った下山客に「上でたくさん待ってますよ、みんな遅いな遅いな言ってますよ(´∀`)」みたいに言われて「そうですか・・・(エエー・・・遅いって言われても・・・)(´・ω・`)」とどんどん微妙な心理状態になっていくわけです。

いえ、そういう風に言った人も伝えた人も悪気はないと思うんですよ、もちろん。
ただ、陽希は一般人なんですよね(´д`)(またサラッと呼び捨て)
でも、ファンというか一部の視聴者は、彼をもう有名人・タレント扱いしてしまっているわけです。無意識な心理として。
「遅いな遅いなって待ってますよ」というのはもちろん本当に「遅いなー」と文句を言いたいわけじゃなくて、それだけ期待していることの比喩だと思うんですよね。陽希さん自身もそれは口に出していて、私なんかが分析するまでもなくそれ以上によく分かっているわけです。
この時の「遅いなー」は「沢山の人があなたを好きであなたに会うために首を長くしてますよ」という意味なだけであって、敬意と愛情のこもった表現なわけです。
・・・しかし、前提としてそれが自然に成り立つのは、「言われる側が有名人としての自覚がある場合」に限られているんですよね。

例えば大物芸能人なんかなら「そっかーありがとう、悪いね」などと言いつつ「そんなに皆オレに会いたいのかーチッ仕方ねえな~フンフン♪(´∀`)」と内心鼻歌で自分の人気に満足こそすれ、何とも感じないと思うんですよ。自分を好きなファンの取る言動として当たり前なことだから。
でも、一般人が見知らぬ人に言われたら微妙な気持ちになるというか、ぶっちゃけ時と場合によっては結構カチンとくると思うんですよね。
「別にあなた方と約束してるわけじゃないし!こっちは考えてやってるんだし!」って。なりませんか。なりますよ私なら(゜д゜)

・・・特に企画自体がかなりハードで、移動も全部徒歩で百名山一筆書きを自分の足で踏破することが目的であって、陽希さんもプロとしてそれを絶対にクリアするという思いで入念に準備をし、最適最良のスケジュールで予定を組んでいるわけです。
その他のことを考慮に入れる悠長な余裕はないはずなんですよね。
つまり、ぶっちゃけファンや視聴者との交流はそもそも予定に入っていないわけですよ。そっちに必要以上にかまっていたらとても "制限期間" 内(雪が降って登れなくなるまで)にゴールできないわけですよ。
視聴者との交流は『家族に乾杯!』にまかせとけよっつー話ですよ(´・ω・`)

NHKのナレーションでは「期待にどう応えたら良いか分からないとまどい」みたいなソフトな言い換えがされていましたが、あれはかなり精神的にキテるよね、そしてそれは当然だよね・・・と、昨今のメディアの「何でもかんでも臭い物には蓋、事なかれ主義、美談主義」という悪臭を仄かに嗅ぎつつ、でも陽希さんは最大限ネガティブ(きっと)な感情を抑えて好意を純粋に受け止めようとしていて、とても好感を持ちましたよ・・・(´;ω;`)(いやイライラを出していても好感を持ったと思うけどね!)

本当に、色んな意味で凄い人だなーと感嘆しました。


で、ここからが本題なんですが(久々に前置き長!Σ(゜д゜;))。
そういったファンとのやりとりのあれこれ光景が「印象に残った」と書いたのは、「あらあらドキドキ・・・I∀・;)コソーリ」という下世話な傍観感によるものではなくて(基本下世話なのでそういうワクテカは結構あったりする駄目人間です☆)、「写真を撮ったり、サインを欲しがったり、差し入れをしたり、こういう形の "ファン心理" というのは一体何なのだろう」と疑問を感じたからです。
それは、陽希さんが一般人だったから。
この企画をしたのがもともと有名人や芸能人(例えばジモンとか・・・?)なら何も思わなかったと思う。

何と言うか、本当に純粋に応援したい、その姿を見たい、と思うだけならこっそり陰から見て応援すればいいわけですよ。
声をかける必要もなければ、一緒に写真を撮ったりサインを貰ったりする必要性は全くないわけです。
もちろん他に誰もいなかったり、様子を見て余裕がありそうだったら声をかけたり色々交流するのは基本的にいいと思うんですが、純粋な交流以外の、「記念」を残そうとする、というような「欲」については、これは一体何なのだろう?と考えてしまったわけです。

それは私自身の中にも顕著に覚えのある感情で、だからこそ考えてしまったんですね。

例えば芸能人に会った、一緒に写真を撮る、サインをもらう、というのは、純粋にその人が好きでその証が欲しいこともあれば、「その時の自分以外」の誰か(つまり未来の自分も含まれる)に「この芸能人と確かに会った」ことを証明したい(再確認したい)という意図もあるわけです。
一般人の陽希さんを番組の企画で知り「応援したい」という気持ちからファンになり、ああもし会えたらいいなと思い、日を合わせて同じ山に登る。ここまでは良いわけです。
「ファンです、頑張ってください」と声をかける。これも別に良いと思う。
しかし、一緒に写真を撮る、サインをもらう・・・これは純粋な「応援」とはもはや関係ないよね、と。それらは「応援している陽希さんのための行動」ではなく、「自分自身のためにやっている、自分自身の『欲』のための行動」だよね・・・と。

と言ってここではそれを批判したいわけじゃなくて(だって自分もその気持ち分かるし(´д`;)!)、「その行動は一体何なのか」と考えてみたわけです。

で、思考の過程は省くとして、結局それは「他人を自分の価値を飾るためのアクセサリーにしている」ことなんじゃないか、という結論に辿り着きました。
いわゆる「他人軸」の、これも一種なんじゃないかと。

自分の価値を作るだけなら、「こっそりその姿を見て応援した」でいいし、その場に一緒にいなくても「陽希さんに憧れて同じ山に登った」でも十分なわけです。それはそれで大したことだよね。
もちろん上で書いたように純粋に声をかけたっていい。

でも、写真を撮ったりサインをもらったり・・・といった、 「誰が見ても分かる『記念品』」 を作ってしまうのは、「こんな凄いことをしている陽希さんに会って一緒に写真に写っている自分」を「(未来の自分含む)他の誰か」に見せたい、証明したいから、だと思ったんですよね。
「こんな凄いことをしている陽希さん」を、自分自身の価値のアクセサリーにしたい。もちろん意識下で、です。

言うまでもないことだけど、「こんな凄いことをしている〇〇さん、に会った記念品」は「自分自身の価値」には一切関係ないですよね。
凄いのは〇〇さんであり、その人に会った記念品を持つあなた自身ではない。

あなたの価値は、〇〇さんに会いたいと思って実際に行動したその行動自体に既にある。
陽希さんに会いたいと思って山を登ったこと、移動中ならその場所へ行ったこと、喜ばれる何かをしてあげたこと。


・・・とまあ、こんなことを思ったんですよね、という話でした(´ー`)

というのも、上で書いたように他ならぬ私自身が凄い他人の姿を見てそれに感動したり感銘を受けたりすることがよくある人間で、ミーハーな気持ちもかなりよく湧く方ということがあるわけで。しかしそのことで自分自身が何か成し得ているわけでは決してない、ということをつくづく肝に命じようと痛切に感じました。
投影というのか、自分を重ねて応援したり感覚を共有するような気持ちになったりするのは悪いことではないんだけれど、「あなたの人生はそこにはないよ」と。

「ここ、今座ってテレビを観ている自宅の居間にあるんだよ(゜д゜)」

と・・・。自分についてそう強く思いましたね・・・はい。

他人の成果はその他人だけのもので、それを見ている自分には一切関係がない。

陽希さんが頑張っている、心の中で応援し、自分も自分のことを頑張る、でいいじゃないかなーと。
ちょっと山登りしたくはなりましたけどね・・・(´∀`)(力量を無視した一番危険なミーハー思考)


※ちなみに、今確認してみたら事務局HPに「お知らせ」として

山中での無理な滞在によるリスク軽減のために、サインや写真撮影は控えさせていただきます。ご承知ください。

自分の食糧は自分で確保していますので、差し入れは不要です。何卒ご理解ください。

 との文言がきちんと掲載されていました。一ファンとしてホッε=(´∀`)

www.greattraverse.com



 

日本百名山 (新潮文庫)

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 ・・・あ、最後に別にNHKの回し者じゃないということの証として一応こっちの過去記事も貼っておきますねw( ´_ゝ`) 

manmaru14.hatenablog.jp

 

 

 

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