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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

息子のごはん 3~放射能の話

manmaru14.hatenablog.jp

↑これは八ケ月前の記事です。

その後幼稚園に入り、他のお母さん方がどうしているか知れるだろうか・・・と思ってたんだけど、ぶっちゃけほとんど気にしてない、という感じだった。
たぶん気にしてる人は気にしてると思う雰囲気はあるんだけど(一日目からがっつり水筒持参とか←園では水筒は各自自由持参)、私がたまたま接するお母さんはなんにも気にしてない人が多くて、少し驚いた。

 

幼稚園で借りている近所の農園でじゃがいも堀りをしたときは、掘ったじゃがいも(たくさんもらえる)を息子自身に食べさせるかどうか迷っていたが、いつも会うお母さんは何にも気にしていないようで「料理したものやそれを食べてるところを写真に撮って記念にするよー(´∀`)」と言っていたので内心ものすごく驚いた。「それいいねー(´∀`)」って普通に同調しておいたけどさ・・・。

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※画像は参考です


そのお母さんは特に全般的に気にしていない方で、「水筒もね、気にしている人は持って行くんだけどね、別にねー。うちは全然だからー」と笑っていた。

幼稚園のスタンスは、「基本的に園では放射能対策はほとんどしていないけれど、気にするご家庭は対策を取っていいですよ」という感じ。割と柔軟。
上で書いたじゃがいも堀りも、もし放射能が心配で参加自体させたくないなら休んでも欠席扱いにはしないし、プールも心配で入らせたくないなら見学でもいいですよ、という備考がそれぞれのプリントの末尾に添えられていたように。


ちなみにうちはそれら全部出席
水筒も暑くなってみんなが持参するようになってからだし、じゃがいももかなり迷ったけど、結局ちゃんと料理して息子にも食べさせた。
だって、
「〇〇がとったじゃがいもいつつくるの?(´∀`)」
「これ〇〇がとったじゃがいも?(´∀`)」
とニコニコしながら待っていたんだもの・・・
実は行く前は息子の分だけ別に買ったじゃがいもで作ろうと決めていたんだけど、実際ニコニコと持ち帰ってきて
「たくさんほった!(´∀`)」
と自慢げに言われると、
(´・ω・`)・・・(これお前は食べられないんだよなんて言えないよ・・・ちくしょう)
という気持ちになってしまったし、せっかく自分で掘ったものを口にしていないって後で分かったらどんな気持ちになるだろうと葛藤し、結局は「普段そこそこ気をつけているのだから万一があったとしても大丈夫だろう」という危険な "だろう思考" を発動して食べさせてしまいました(´∀`)テヘ☆

というか、実際、どこももう農産物からはほっとんど検出されてないわけじゃないですか。キノコや山菜くらいなもんでしょう。
東京はもちろん千葉も埼玉も茨城も栃木も群馬も、もちろん福島も、宮城も。
確かに、行政のデータを信じるのかとか、そもそも抜き出し検査なので「米一粒4万ベクレル(※後述)的なことはどうなのかとか、まだ危険!という立場に立てばそりゃ異論は山ほどあると思う。
でも、もう大丈夫!派は実際何にも気にしていなく、多分上のお母さんは産地なんか一切気にしていないと思うんですよね・・・。

私はどうかと言うと、結局私はこういうことの専門家じゃないし、専門的知識がないから、わからない、というところに立ち戻る。

そして、かと言って専門家の中だって意見は分かれている、という現実にまたぶつかる。

これはこの4年間、何度も繰り返したループ。

結局、今の人類には判断することができない問題だという結論になる。

それなら、神の視点からは「賭け」でしかないけれど、折り合いをつけるしかないんですよね・・・。これも何度も繰り返したループだけどさ。
私の中にも「本当はもうそんなに気にしなくていいんだろうな」という楽観的な気持ちと「たとえ息子に直接影響はなくても、遺伝子の傷は何代か後で必ず出てくる」という絶望的な恐怖が同時に存在していて、もんもんとします。同じように子供のいる人でこういうことを話せる人は近くにいないし。

まあただ専門知識がない私でも、人類は放射能共存することはできない、とははっきり思いますよね。

暑さ寒さ、有毒ガス、塵や埃、それらを感知する能力は人間にはあって、だからそれらと共存することはできる。感知したら避けるなり逃げるなり、対策をとればいいのだから。
でも、人間には放射能を感知する能力はない。そんな器官もない。
それは、今この場所に命を脅かすほどの放射能があるかどうか一切知ることができないということ。危険かどうかわからない。

間違いなく危険なのに。

感知できないということは、その要素とは共存できないということです。人類は最初から放射能共存して生きることが前提になっていない、ということだ。

食べ物に毒が入っていたら、腐っていたら、私たちは味や匂いの異変として気付くことができる(無味無臭の毒もあるけど)。
でも、もしたまたま致死量の放射性物質が大量に入っていても、私たちはそのことに気付くことはできない。その能力が人間には備わっていないのだからね・・・


※「米一粒4万ベクレル」・・・放射能に汚染された稲があり、その稲から取れた米を検査する時、放射能汚染物質はその稲の米粒全体に均等に分散しているんじゃなく、ある一粒の米だけに高い濃度で存在し、他の米粒には一切汚染がない、というようなケースがあるという話。
米袋を検査して放射性物質が検出されてその値が4万ベクレルだった場合、袋の中のたった一つの米粒だけが4万ベクレルに汚染されていて他の無数の米粒は0ベクレルということが有り得る。
つまり、抜き取り検査をして大丈夫でもその他の個体にたった一つ高濃度の汚染個体がある可能性は捨てきれない・・・と言うこともできる。


 

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