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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

非差別主義者の憂鬱~残念!それ宗教でした!☆(´∀`)~と、ささやかな疑問

 普段差別について意識することの少ない日本に日本人として住んでいるとあまり切迫性も説得力もないかもしれないが、私は非差別主義者だ。
そんな言葉が一般的なのかどうかは知らないが・・・(´ρ`)


あらゆる差別を忌み嫌い、差別で傷つく人をなくしたいと思っている。
ちなみに私の言う差別とは、「本人の努力や選択でどうにもならない状態」を「蔑視し蔑んだり攻撃したりする」「醜く卑劣な行為」のことを言う。


ロケットニュースでこんな記事を読んだ。

rocketnews24.com


有 り 得 な い (゜д゜)

これ、訴えて賠償とか請求できないの?(゜д゜)オーストラリアにはそーゆーのないの?

人種差別は私の最も憎んでいる差別。
いや、アホじゃないかと思うんだよねー私。
同じヒトという種族で、どうして優劣があるなどと思えるのか・・・理解できない。そう思えるなんて完全に脳の異常でしょ(゜д゜)
私は人種差別なんて思考は病気か脳の障害だとひそかに思っている。それくらい意味が分からない。

肌の色や人種でヒトの中で優劣があると単に信じているだけなら、それはただの「宗教」だと思う。例えば「白人サイコー☆教」みたいな☆(´ρ`)
でも、それはあくまで個人の信念に基づく「宗教」であって科学や真実ではないと自覚して欲しい。なら許す。信念は自由だから、そこはもう仕方ない。
バカだなーと思うしかない。

黒人は白人より劣っている、とその人が「ただ信じている」だけなら、それは誰にも批判できない。

でも私はそれらを憎むけどね!(´ρ`)憎むのも自由だし
実際はただの宗教だなんて自覚していないから、上で紹介した記事で「黒人は醜い」なんて公で本人に向かって(しかも小さな子供に!これ虐待傷害事件だろクソが!)言ってしまえるんだよね。
誰か教えてやってよ。私が言ってやるよ。
それ単にアンタの教義ですから!残念!と(゜д゜)
単にアンタの宗教、つまり妄想性強化型信念というものなだけですから。アンタが脳内で妄想するのは自由だけど、現実にアンタ以外の他人に押し付けないでくれる?(゜д゜)
「黒人醜い教」ってまさかオーストラリアの国教じゃないよね? 頭大丈夫かと。

さて、そんな私が憂鬱になるのは、こういう差別ニュースを見聞きした時だけじゃない。
世の中には差別が悪いことだと認識していない人がこの日本にも結構いる、ということを実感した時です。

ぶっちゃけ、差別自体は永遠になくならないと思う。
なぜなら上で書いたことと矛盾するようだけど、ヒトは差別する生き物だから。

こっちに詳しく書いた。

manmaru14.hatenablog.jp

 

ヒトという生き物は、この地球上で最も巨大でハイスペックな脳を所持するために、同時に余計な思考というお荷物も一緒に背負わされることになったわけですね。

それは同じヒトという種族間で傷つけ合い、攻撃し合うという意味不明な不毛な自殺行為(種の存命にとって)の基盤となるものです。

ただ、ヒトは同時にその愚かさに気付ける脳の優秀さも持っているわけです。

だから、正直、こう言っていいんじゃないかと思う。

差別主義者は「ヒト未満のヒト」である、と・・・(´ー`)

ヒトなんだけれど、そう、ヒトの本能である差別欲求に従っている間違いようのないヒトなんだけれど、「差別は脳の醜い衝動である」と気付き、それを是正しようと努力できる "次の段階の脳" には達していない。残念ながら。

いわばまだ次の形態に進化できていない、「旧ヒト」。
もしかしたら「進化していない」のではなくて、理性を司る大脳新皮質が「退化している」だけなのかもしれないが・・・。
どちらにせよ両者は見た目では区別がつかないけれど、実は厳然と別の種族なのだ。

私はそんな風に思うことにした。
旧ヒト。まだ古い脳のままのヒトたち。可哀相に・・・。

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ところで、ただ一つ疑問なのは、私が差別を憎む土台に一つあるのが過去に自分もイジメという差別を受けた経験であり、自分の経験だけが土台ではないがそれがベースになっているだろう、ということだ。
では、差別を受けた経験のない者が語る差別批判の芯はなんだろう。

私に生まれつき病気がなく、見た目にも劣るところがなかったとして、つまり他人から謂れのない攻撃を受ける要素がなかったとして、今のような強い非差別主義を抱いただろうか。

息子にはそういうものはない(私は息子が生まれた時に外見のそういうものを真っ先に探した。自分がそれで大きなハンデを負ってきたから)。日本人なので日本で生きて行く分には外見で差別されることはそうないだろう。
だから私は小さいうちから息子に言い聞かせている。

同じ年頃の小さな子供が集まる場所へ行くと、顔など見えるところに目立つ痣などがある子供に出会うことがある。
一年くらい前だが息子がそんな子供を見つけて「汚れてるよ」と口に出したことがあった(遠くにいたので本人たちには聞こえていない。もし聞こえていたらどんな風に謝ればいいのか今も考えている)。息子には黒い痣が汚れに見えたのだろう。
もちろん意地悪な気持ちは全くない。痣という病気があることも3歳になったばかりの息子が知るはずもない。
見えたものを自分の感覚で口に出しただけだ。汚れているから拭いてあげたいと思ったかもしれない。

だけど、それを言われた方は傷つくのだ。
(その子供自身は小さくてまだわからないかもしれないが、その親は自分の子を思って傷つくだろう)

言った方に悪意がなくても、言われた方は傷つく。
差別の意思はなくても、無自覚な差別が育つ土壌になり得てしまうのだ。

「そうだね、でもあれはご病気なんだよ。黒く見えるけど、汚れているわけじゃないの。ちゃんときれいなんだよ。ご病気で、いたいいたいなの。だから、もう汚れているって言わないでね。言われたらとても悲しいんだよ。ご病気だからね」
私は息子にこんな風に言ったと思う。

正直、その時の息子にちゃんと伝わったかは分からない。
ただ、小さいから、分からないから、ではなく、私はどんなことでも大切なことは小さくても、分からなくても、繰り返し教え続けなければいけないと思っている。
特にそのような外見で違いが見て分かるような病気や障害については、なるべく早く正しい認識を与えてやらなければいけないと考える。

  • どんな外見も本人のせいではない(そして大抵は誰のせいでもない)こと
  • それが不便なものであれば本人も辛いと思っているだろうこと
  • それを言われたら悲しいということ
  • 傷つくということ
  • 人を見た目で判断してはいけないこと
  • 思ったことを浅はかに口にしてはいけないこと

これらを息子には教えたい。
息子は色が白いので、「もし(息子)も『わー色が真っ白!紙みたい!気持ち悪い』とか言われたらどう思う?いやだよね」と言ったりする。(息子は悲しい顔になり「やだ」と言う)
見た目を安易に指摘する、そこに悪意はなくても、人は言葉で傷つく。傷つく必要なんてないのだと言い聞かせても、どうしたって人は傷ついてしまうのだ。
思うのは自由でも、言ってはいけないこと、言葉を慎重に選んで言わねばならないこと、が絶対にある。
その理性の基盤にあるのは全て、相手を思いやる気持ちだ。

それを理解できる人間になって欲しい。それが親としての私の願いなのです。


 

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