願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

父親のクズは父親だけの責任か

残念なことに、クズのキチガイ犯罪ニュースはなくなりません。
クズ父親が四人の子供を焼き殺した大量殺人事件が起こりましたね。

私ね、思うんですよ。
クズには助力が必要だって、ね。
(『人生の楽園』調で)

どういうことか。
私の実両親を引き合いに出しながら書いていきます。

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パンジーの花言葉は「私を思って」。

 

クズは一日にしてならず


結論を先に言うと、このクズ父親ってもともと普段から相当クズだったと思うんですよ。社会的にはどうかわからないですよ?人間の資質として、です。
今回はキレて火をつけたわけですけど、普段そこそこまともでそこそこ温厚な人間であれば、たまたまカチンとキレたところでいきなり家に火をつける、そこまではしないわけです。
普段そこそこキレる側の私だってしません(゜д゜)

よーするに、周囲の人間が、有体に言ってしまえば妻が、それを許してきたってことなんですよね。
許していたわけではないのかもしれないけれど、子供が四人も殺された今となってはそういう逃げはもう利かない。
結局、対等な家庭共同運営パートナーとしてきちんと諌めることも、(我が家のように)戦って改めさせることも、(我が家のように)精神科に強制的に蹴り出すことも、離婚することもしなかった。

キチガイ夫のキチガイは一切改まらず、それでここまできた結果、ついに今回四人の子供がその犠牲になってしまった。

妻を責めるわけじゃないんですよ。
ただ、当の子供たちにとっては母親も責められるべき対象なのは間違いないと思うのです。私は。

子供にとっては両方の親は等しくその責任を負う


父親がクズだった、でもその子供たちにとって悪いのは父親だけなのか、ということです。

違います。

そのクズ父親から守ってくれなければ、母親にも等しい責任があるのです。母親も悪い、なのです。
誤解なきよう、これは「あくまで当の子供にとって」です。我々外野には全く関係ありません。妻は被害者です。

でも、子供にとっては違う。

ここから少し私の実両親の話を。
うちも父親が結構な妄想性かんしゃく型の偏屈オヤジで、何で怒鳴られるか予想がつかず恐ろしい存在でした。短気で気分屋。カッとなると問題無用、子供の話なんて一切聞かず容赦なく暴力をふるう。
反面、行動的で明るく、子供たちともよく遊んでくれる楽しい父親の面もあったんですが、基本的に子供や家族には支配的で、自分の意のままにならないものを受け入れる優しさや大らかさというものは完璧に欠けていました。
感情的で気分屋なので、楽しく遊んでいる時も何がきっかけで怒り出すか分からず、私たち姉妹はいつもビクビクしていました。

この事件の父親とちょっと似ている・・・とまではさすがに思わなかったんですが、妹と話していたら「やだーうちの父さんみたいじゃんw」と開口一番言っていたのでやっぱり似ている感じらしいですw

大人になってしばらくは「うちは父親が問題だった」と考えていたんですが、一時期受けていたカウンセリングの中でカウンセラーにふと「お父さんはよく見えるけれど(私の話などから)、お母さんがまったく見えてこない」と言われたことをきっかけに、本当の問題に気付き始めました。
うちの実家は、父親が問題の本質なんじゃなく、実は子供にとって親としての実体のない母親がその核だった、ということです。
実体がないというのは言い過ぎだと思うんですが、なんというか、親というより子供のような母親でした。
これまでも何度となく紹介していますが、私の実母は明るく陽気で楽しい人ですが、何も考えず悩みもなく蝶よ花よと育てられたわがまま放題の末っ子で、たまたま容姿も良かったため「世界は自分の為に回っている」とナチュラルに認識している女性でした。他人に心があるとも思っていなかったふしすらあります。(50歳を超えた頃から少しずつそうではないと気付き始めたようですが・・・)

母はそういう、苦労という苦労をしないで生きてきた人だったためか、私たち子供が成長して抱えていく悩みやトラブルは徹底して見ないふりをする人でした。

私が決死の思いでいじめられているから学校に行きたくないと訴えた時も軽く流され、腕を切って傷を作っていても見ないふり。
気付いても眉をしかめて「そういうのやめなさいよ」と言うだけだったと思います。
面倒な、いやな、楽しくない、自分も辛い思いをする、ようなことには一切関わりたくない主義だったんですね。実の子供のことであっても。

子供だったんです。
「親」ではなかった。
私は母親に、「こういう時はこうしなさいね」等の人生のアドバイス的なものを一度も受けた記憶がありません。
それくらい彼女には人に示せるほどの「中身」がなかったのです。
苦労をことごとく避けてきたんだから当然なんですが。
人生で学んできたこと、積み重ねた人間的重み、そんなものは全く彼女にはなかった。むしろそんなような感じのことを考えたこともなかったと私は断言できる。

で、そんな母親であるので父を諌めたりどうのこうの・・・というのは有り得なかった。
うちでは父が絶対で、全て父が決めていました。母は自分で考えるのがいやな人なので、そもそもそれを歓迎していました。
母は面倒なことを全部父に任せていたのです。
働かなかったという意味ではなく、自分では考えないけれど言われたことだけはきちんとする、という人でした。
ルーティーンワークが苦にならないというのも母の特徴です(私は発狂するくらい嫌い)。考えることが苦手というか、もともとそういう機能がないのでできない、とあっけらかんと笑いながら公言してしまえるような感じの人です。

要するに私の心の問題の原因は、表向きは「強権的な父」のように見えて、実はその陰に隠れた「母親の不在」という問題に根を下ろしたものだったわけです。
実体は「母親」が存在していないことによる機能不全家庭、だったんですね。

私が息子に全力の愛情を注げないのも、母にされてきたことだからです。

いざとなったら息子のためにもちろん死ねる覚悟はあるけど、「いざ」までは出し惜しんでしまうのです。
常に全力疾走では愛せない。
疲れてしまうから。
私だって寝たいから。限界だから。イライラしてしまう。

今は私だけ部屋を別にして寝ている。
息子のちょっとした寝息の乱れで起きてしまう。(夫のいびきでも起きてしまうよ!怒)
寝返りを打つシーツの音で眠れず、キレてしまう。

もともとロングスリーパーだからこの四年間でボロボロになっている。
もういいでしょ、解放して!って叫んでしまう。お願い、一人で寝させて!

ハア・・・ハア・・・!

・・・えーと、なんでしたっけね・・・。

我に返ってですね(´ρ`;) 話をこの事件に戻します。

まとめ:全ての大人の責務


この鬼畜子殺し父親の妻がどういった人であるのか、分かりません。
先に書きましたが、私にはこの父親の妻を責める気持ちは全くないし、そんな権利は私にはない。
ただ、誰かが殺された子供の気持ちに立ってやらなければ、あまりにも報われないだろう・・・と思ったのです。
殺された子供たちにとって、自分たちを殺したのは父親であり、守ってくれなかったのは母親。それは事実なのです。

このことを我々全ての大人は認識して、このような惨い事件が今後起こらないためにはどうしたらいいのか、何が必要なのか、そしてそのために部外者である我々には何ができるのか、こんな事件が起きる一秒前に助けの手を差し出せた可能性はなかったのか、考えなければいけない。
分からなくても、答えが出なくても、考え続けなければいけない。

それが、今回命を失った子供たちや今生きている全ての子供のために、大人が果たさなければいけない責務だと思うのです。

そう思うのです。