願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「子供の人権を認めない」とはどういうことか~私が現在の息子と自分に対して向き合っていること。

息子に接していて、自分の息子への態度や対応に私自身が両親から受けてきたそれらの影響が悪く出ていること(世代連鎖)を日々感じずにはいられません。
もういつだったか忘れたけどそれに気付いた日からこれまで、再発見・再認識・改善への努力をする日々を送り続けています。

こちらは過去に書いた記事。 

manmaru14.hatenablog.jp

 

そして こちらは最近書いた記事です。

manmaru14.hatenablog.jp

 
・・・まあこういう話はこのブログではこの二つだけじゃなくたくさん書いてるんですが、分かりやすく二記事だけ取り上げましたw(´∀`)

下の記事では私の両親のことを「分かりにくい部分で子供を大切にできない」「子供を人間として認めない」と糾弾しています。
記事中で具体的な例も簡単にいくつか挙げていますが、要するに一般的にシンプルに言い換えるとやはり「子供の人権を認めない」ではないか・・・と思ってこのタイトル。
「人間として対等に価値のある存在」として扱っていない。

そして、それは、私が息子の親として未熟でダメな部分だと悩んでいることの中にも潜んでいたのです。
自分が自身の親にそうされて傷ついたことを、似たような形で息子にしてしまっている、ということにある時に気が付いたんですね。
真剣に悩み、現在も試行錯誤を続けながら改善の努力をしていますが、まだ完全にはなくならず、気付いては落ち込むの繰り返しです・・・。

こういう話になると「全てを連鎖のせいにするな(親のせいにして責任転嫁するな)」と思われる人もいるでしょう。それも確かに尤もだと思うんですよ。
ただ、その影響がとても大きいことは事実なんですよ・・・。
私の心の基礎の基盤、根幹が作られる過程で受けた影響(そしてそのせいでまともな基礎にならなかった)なので、私がちょっと決意したなまっちょろい意思の力なんかじゃとても打ち崩せないんです。

そういう時、私の心の中には三つの怒りがありますが、実はそれは自分の心の階層によって向ける相手が変化している(ように見える)だけのたった一つの怒りだと気付きます。

  • 表層・・・息子への怒り(怒りを感じるきっかけ。言うことを聞かない、泣き止まないなど)。
  • 中層・・・私自身への怒り(本当は何も悪くない息子へ怒りを感じてしまう自分自身への怒り)
  • 最下層・・・両親への怒り(私を同じように扱った両親と、自分を連鎖に繋いでいる原因を作った存在への怒り)


層をめくっていくと黒幕の正体(本当の怒りの原因)が現れるという感じ\(^o^)/

ファシズムと「子供のため」は違う


子供にも大人の自分と同じように心があり、個別の意思があり、そして思考にも身体的特徴にもそれぞれ固有の性質、つまり「個性」がある。それを大人が勝手に無視してふみにじることは人間として、親として、許されないと思うのです。

親という肩書を笠に着た暴力であり、ファシズムだ。

「とんでもない、子供の自由意思をどこまでも認めていたらわがままで手に負えない子供になる」と古い時代の人は言うかもしれない。
それは、まず前提の理解の仕方から間違っている。
「子供の自由意思を認める」というのは、それをすることを許すというわけじゃない。子供がそう感じること、そう考えること自体を認めるということだ。
ちょっと極端な例を出してみると、子供がご飯の時間なのに「お菓子を食べたい」と言ったら、お菓子を食べたいと思っている気持ちは分かってやる。それを否定しない。その後、もちろんお菓子をやるかどうかはその家庭の方針だ。うちは絶対にやらないけど・・・。

「飯の時間なのに何言ってんだ、アホか!」
ではなく、
「うん、お前がお菓子食べたいのはわかった。でもご飯だからダメ」
ということだ。

これ、言われた方からすればお菓子を食べられないのは同じなわけで大して変わらないと思うかもしれないが、実はこれを実際に言う親の意識が違うんである。
意識と言っても、どちらの場合も親は「子供の健康と発育のため」、お菓子をだめだと言っているんだけど。極端な例と書いたのはこのため。

どっちも「子供のため」には違いはないよね。

違うのは、前者は最終的に子供のためになる結果を求めるならその過程で何を言ってもいいと思っていること。
「アホか!」はいらないよねということ。
私の口癖なんだけどね・・・。

もちろん「何言ってんだ」の時点で相手の人格を否定しているからこそだめなんだけど・・・。

(※これはあくまで例なので、実際にこういう言い方が全部子供にとって有害とか人格否定だとかは思いません。個人や普段の状態やその時の雰囲気や流れによって言葉が実際に運ぶ内容や意味は違ってくると思う)

簡単に言うと「子供のため(と親が思っていること)」ならどういう手段を使ってもいい、と思っているのが親のファシズムです。それは親のエゴです。
そして私の両親はこういう人たちでした。
子供本人がその時どう感じているかといった子供自身の気持ちは考慮せず、尊重せず、無視して、自分たち親の考える「子供にとってためになること」を遂行する。
・・・

私ね、思うんですよ。

家庭とは子供にとって忍耐と我慢を覚える檻ではない。教習所でも、更生所でもない(゜д゜)と。

心の基盤を育む、温かい巣であるはずだ・・・
心と身体を休め、安心してそれらをさらけ出せる、安息の基地であるべきだ、と。


・・・とにかく、その「親の意識が違う」ということこそが、子供の人権を認める健全な家庭を志す上で一番大事なんじゃないかと私は思ったんですよね。

ところで、うちは「駄目なものは駄目である」という教育方針が割と強いんですが(↓記事参照)、

manmaru14.hatenablog.jp

 

最終的には「ならぬ」ものではあったとしても、息子がそれを望んだこと自体は受け止めて、考慮として留めておこうと。
聞き流すんじゃなくて、何と言うのか・・・心の中の「考慮しておく用タンス」みたいなタンスのようなものの引出しに、きちんと溜めておこうと思うのです。

いやそもそも親って親だから、子供が考えないところまで考えて子供を守るのが親だから、子供から見れば理不尽な規制や禁止が絶対あるのは仕方ないんですよ。
それは私自身も自分の親に対してもそう思っているのです。

ただ、考え方ですよね。親側の。受け止め方。

「子供だから何にもわかっていない。だからその訴えは聞くに値しない、耳に入れない」

じゃなくて、

「子供だから何にもわかっていない。でもそう思うのはこの子の今の気持ちであり、真実なんだ」

と考える。
前者の時の感情を更に掘り下げると「こっちの気持ちも知らないで子供は勝手なことを言いやがるプンプン」という怒りの感情となり、後者は「まだ分からないんだよな・・・でもそれは仕方ない」というポジティブな諦めとなる。
・・・感覚的にもうどっちが危険な親になりそうかわかるってもんですよね、これw

でも、ええ、親も人間だから、いつもいつもきちんと同じスタンスでそうできないとは思うんですよ。
親の論理や自分の感情で凶暴にガーッと言うことをきかせたりすることはあっても仕方ないと思うんですね。←本当はないのが理想だけど、私は人間にはダメなところがあることを前提にしています。

ただ、そういう時もすぐに後から
「今のは悪かった」
「子供の心を対等な人間のそれとして扱ってやれなかった」
と気付くこと、反省すること、そして子供が言葉で意思疎通ができる年齢なら
「ごめんね、さっきは〇〇したかったんだよね」
「お母さん急いでてイライラしてたから、怒って〇〇しちゃってごめんね」
などときちんと説明して素直に謝ること、が、少しずつ次の改善に繋がっていくんじゃないか・・・と思うのです。
もちろんこれはただ簡単に子供に謝ればいい、ということじゃなくて、そうきちんと口にして外から耳に入る言葉として聞くことで改めて気付いて確認するという感覚になることは私は多いんですね。

また、子供に素直に謝る、ということ自体も実はし慣れていないと結構ハードルが高い場合があります。
普段叱っているのに過ちを認めて謝ることは子供を迷わせることにならないかって思っちゃうんですよ。私はそうでした。
でも違うんですよね。
1~2歳なら確かにそういうところ微妙ですが、3歳後半になればそこら辺もちゃんと分かっていて、親の尊厳が損なわれるとか親の言葉の信憑性が薄まるとかのマイナスの影響よりも、息子が「お母さんがきちんと自分を尊重してくれた」と感じて自己肯定と親への信頼が強まるプラスの影響の方を私は感じています。

メンタルの治療の分野で「認知行動療法」というのがありますが、それと言うわけじゃないんですが、考え方(認知)を変えるには現在の自分が実際にどういう認知の仕方をしているか(行動)を客観的に認識することが重要だと私は考えます。
単に自分の長年の経験からなんですけどねw
向いている人もいれば合わない人もいると思うけれど、自分の頭の中だけで見ている物事は所詮マボロシです。
自分の認知フィルターがかかっているから、正しいその姿ではない。

特に私は認知に歪みがあるという問題を抱えているボーダーなので、物事を正しく改善していこうとする時にはどれだけ瞬間的な感情を遠ざけ冷静になれるか、客観的に見られるか、が何より重要です。

まず自分の行動を正しく知り、それを正していく。

そうすることによって認知(思考)も変わっていく、というやり方を今はしているところです。

・・・というか、私は昔から自分の内面に向かって考えて考えて考え続けてきて、ずーーーーっと考え続けてきて、「これ以上は考えても無駄だ」ってとこまで多分来たんですよね。←その考え続けてきた考えに価値があるのかどうかはスルーで!ww(´∀`)
で、そのおかげか何なのか、良いのか悪いのか、今は「今までこれだけずっと考えてきたんだから、もうこれからはなるべく余計なことを考えるのはやめよう」と思っている。

・・・ちなみに私と正反対なのが夫で、今までなんにも考えて来なかった。
この話は別に書いているところですが、夫は現在初めて自分について考え始めることをしようとしているので、これから少しキツくなるだろうと思います。(前段階の記事→夫のこと。

 

・・・うーん、すみません、ちょっととりとめもなくなってしまいましたが今回はひとまずこれで終わります。

尻切れ御免!(´д`)

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テディベアは欧米?では子供を表す直接的な暗喩。