読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「笑わないでいられる人」への羨望と信頼と畏れと恐れ

最近こんな記事を書きました。 

manmaru14.hatenablog.jp

 この中で、笑わないでいられる人が羨ましい、という気持ちを書いたんですが、不必要に笑わないことにどうして憧れるのか、そういう人の何が私を惹きつけ、また同時に恐れさせるのか・・・について今回は書いてみます。

 

ちょっとよく分からない場合は「不必要に笑顔を作らないこと=愛想笑いをしないこと」と単純に置き換えて全く問題ないです。(同じことなんだけど、私の中ではなぜかなんとなくニュアンスが違うような気がして敢えてそう書いていない)

結論を先に言うと、「不必要に笑顔を作らない人」は私にとっては「不必要に自分を守ろうとしない人」だから。
そう感じるから、です。

上で挙げた過去記事でも書いたけど、自分が笑顔を作ることへの嫌悪として「笑顔で防御を張っている気がする」んですね。私は。
不必要な笑顔はまず他人からの攻撃を受けやすくしないための防御(私はあなたを嫌っていませんよというアピール)、そして何事もシリアスに受け止めませんよという自分の態度への保険的防衛を兼ねています。

それらは何の為かと言うと、全部「自分を守るため」です。

  • 自分を相手に嫌わせない(「私はあなたを嫌っていませんよ、だからあなたも私を嫌わないでね」)
  • もし嫌ったら相手の方に非があるように周囲に思わせられる(「(私)さんはいつもニコニコしていて感じがいいのだから(私)さんが悪いことをしたとは思えない、だからそんな(私)さんを嫌っている(相手)さんがおかしいのだろう」)
  • 自分の落ち度になるかもしれない要素(「あの人はいつも怒っている、不機嫌そうにしている、嫌な感じ」という負の印象や「(私)さんのことがなんとなく恐くて言えなかった(できなかった等こちらのデメリット)」となりかねない原因)を晒さない
  • 主によく知らない相手を近付かせないバリケードとしての笑顔(「笑っている」=「困っていない」ので助け等は要りませんというアピール)


これらは色んな意味で自分の保身、自分の精神状態の快適さだけを考慮した防衛行為です。
ぶっちゃけ、嘘の仮面で他者を欺いているってことです(゜д゜)
・・・というのは言い過ぎだろうか。いえ、これはあくまで私自身についてそう思ってしまう、というだけの表現であり、その意味で言い過ぎではない。

けれど、客観的な視点で見るとプラスの側面も見えてくる。
「不必要に笑顔を作って」自己防衛することは、「他者との無駄な争いを事前に回避する」ことを最優先に置いた自己防衛である、とも言えると思うのです。
少なくとも、嘘をつこうが欺こうが、相手を攻撃したい意図はそこにない。
争いたい意図もない。
・・・というか、むしろ争いになる可能性の芽を最初から、芽も出ないうちから全部潰しておきたいからこそそうなっているわけですね。

で、そんな風に擁護してみると、私は多少人間の器が小さすぎる小物というだけでそこまで自己嫌悪に陥る必要はないかもしれない気はしてくる。・・・が、だからといって私がそんな自分を「人間としてみみっちい、矮小だ」と感じずにはいられないのを止めることはできないわけで。
こんな自分でよし、そんな自分が大好きだ、誇りに思う、とは到底思えないわけです。

そこで「不必要に笑わないでいられる人」へ感じるのが、

  • 人間的な器の大きさ
  • 自分を守ることに執着せず、常に一定の「素の自分」を誰に対しても晒しておける強さ
  • 自分を偽ろうとしない姿がもたらす信頼感
  • 揺るぎない自己への自信に感じる畏れ
  • そして、自己保身のないスタンスはこちらの「互いにあるはずの自己保身を媒介とした交渉術、駆け引き」という作戦が使えない恐れ
  • もっと言えば、嫌われることを恐れていない相手から繰り出される私への攻撃への恐怖・・・


・・・こんなところでしょうか。な、わけですね。

どーでもいいんですが、ここまで書いていて我ながら改めて

「 ・・・(´・ω・`) 」

という心持ちになってしまいました。(自分という人間の小ささに)

そんなわけで小ネタのはずがメンタル的にどっと疲れてしまったので今回はこのへんでw(´∀`)ノ

 

 

f:id:manmaru14:20130922164245j:plain

癒される仏性の笑顔・・・
ピエロの笑顔に感じる怖さと何が違うんだろうか。



広告を非表示にする