願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

"愛される努力" 系の啓蒙に感じる一抹の気持ち悪さ。

いつまでも愛される方法、モテる方法・・・こういう系のハウトゥーというか啓蒙系が流行りなのか最近色んな媒体で目にする機会が結構あって、自分にはほとんど関係ないんだけど、面白く興味深く読んでいる。
単純に面白い(←自分や身近にない世界の読み物という感じで楽しい)というだけでなく、なるほどと頷いたり、実際に参考にできる内容もたまにあったり、自分とは全く違う感覚・意識に触れて知見が広がるというメリットも少なくなくあったりする。

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それは自分的には『小悪魔ageha』というギャル雑誌(もともとはキャバ嬢雑誌だ)を結婚してもう中年になってから買い出して愛読していた感じに近い。

小悪魔agehaメモリアルBook (主婦の友ヒットシリーズ)

小悪魔agehaメモリアルBook (主婦の友ヒットシリーズ)

 

 

私はギャルであったこともヤンキーであったこともなく、どちらかと言えばこじらせメンヘラ中二系オタクだったため(福満しげゆきの「ヤンキーぶったオタク」という称号が私の若い頃にも当てはまる気がする)そっち系を目にすると転がり回って悶える反応を示してしまうが、痛いギャルや痛いヤンキー系のネタに接しても何とも思わない・・・そういう要素が自分の中に全くないからですね。
そんなわけで、ファッションもメイクも一切何一つ参考にしない(ならない)んだけど、たまたまコンビニで気まぐれな好奇心から手に取ったagehaは(特に初代編集長の中條寿子編集長の時代は)なぜかとても面白かった。姉妹誌の『姉ageha』も創刊からしばらくは買っていた。(今はどっちもしばらく買ってないし読んでもいません)
自分と一番遠い世界(私もスナックにいたから水商売という大きな括りでは近いのかもしれないけど、それ以外何も被るところはないよw)に住んでいる人たちの生態を興味深く楽しむような感じで。小さい写真にまでこちゃこちゃ文字が書きこまれていて、何度も読み返す読み応えがあった。特に、当時やっていた半身浴とかの時に読むのにちょうど良かったんだよね・・・。

と、本題からそれそうになるくらい長くなってしまったけど、私にとって「愛される努力」「モテる方法」を啓蒙している記事やメディア(ブログやサイト含む)を見る楽しみはそういう感覚に近い、という話でした。

で、基本的に楽しく読ませてもらっているんだけれど、ただし本質的には私はそれと相容れない価値観なので、一歩引いて見ている分には楽しいけれど、うっかりぐっと近付いてしまうと強烈な違和感にあてられるというか、タイトルにしたように一抹の気持ち悪さを感じてしまい離れる(そして遠巻きに眺める)・・・という感じなんですね。

ところで「モテる方法」に関しては、日参している人気ミニマリストブログさんも懐疑的な意見を述べられていて、とても納得・共感し、参考になりました。

金平糖 (id:minimum555) さんのこちらの記事です。

minimum555.hateblo.jp


「モテるかより自分に合う相手かどうか」、本当にその通りだと思います。

こちらのブログさんはミニマリスト(を目指す、とされていますが)ブログとして物を手放したりシンプルライフを目指す点で参考になるだけでなく、意識や考え方に一本の凛とした芯があり、様々な話題が興味深くためになります。文章もキレがあって読みやすく、写真も素敵!(そして不器用者には裁縫・仕立てがプロというところも惹かれる・・・(´д`∗) )
(言及・引用がもし不適切、もしくはご不快でしたらお知らせください!)

いっときの遊び相手ではない、恋愛を軸とした人生のパートナーを得るためには、自分に合う相手を見つける(そしてお互いに好きになる)のが一番大事なんであって、それは自分を偽っていたら不可能だと思う。

私の中に、「愛される努力」「モテる方法」というのは所詮偽りの自分を演じようとしているだけ、或いは演出するだけである、という感覚がどうしてもあるのだと思う。
何というか、昔から「彼好みの女を目指して頑張るゾ☆」というものに普遍的に感じてきた気持ち悪さと結局は同種のものだ。
私はどうしても、一生懸命演じて「本来の自分ではない別の自分」になってそれを好きになってもらえたとして、それで本当にいいの・・・?と考えてしまうのだ。
否、それでよしと思わない側の人間だからこそ気持ち悪く感じるのだろう。言い換えれば、そこをあまり重視しない人だけが「愛される努力」「モテる方法」という価値観をすんなり受け入れられるのかもしれない。

そういえば、「男をうまく転がしてあげるのが女の器量」というような考え方が昔から大嫌いだった。どこか相手の男性をバカにしているように感じられて(´д`) 
仮に、当の男性含め本当にそうするのがお互いにとって幸せであったとしても。なんかスッキリしない。どこか引っかかる。
単に私が現実主義者じゃないから、だろうか? 功利主義になりきれないというか・・・。個人一人一人違う「心」というようなものをなおざりにしているような気がしてしまう。
なんか物扱いというか。人間対人間なのに、ゲームの的対象な感じがして失礼というか・・・。
うーん、でも、「男と女は所詮分かりあえないのだから現実のお互いのメリットを重視して実際にそこに則して動く」という考え方は確かにわかるんだよね。確かに確かに。確かに正しい部分もある。
でも、それを全肯定して一から十までそれで済ませてしまう、みたいなのは私の感覚がどうしても拒むのです。

ネットサーフィン中に「特に美人ではない(本人曰く)のだけれどよくモテる」という人のモテ指南話を見つけてとても楽しく読ませてもらって、でも、そこに一抹感じたのは「この女性は、"モテるための努力をしてモテるいい女になっている女性" を好きになった彼氏(かなり魅力的な素敵男性っぽい)を持っているわけだけれど、それで本当に幸せなのだろうか?」という疑問だった。
「余計なお世話だ(゜д゜)」と言われるだろうことは承知しつつ、あくまで個人的且つ純粋な疑問としてね。

単に外見的な女性らしさを保つ努力、いつまでも綺麗であろうとする努力だけをとって見ても、それ自体は素晴らしいことだし、同じ女性としてだけでなく尊敬もするけれど、それをすることが好きで楽しくてできる人にしか結局は勧められないと思う。
常に女性らしい身だしなみやケアに気を遣い、女性らしい動作や言葉遣い、所作を心がけ、そうすればいつまでも彼氏や夫に愛されるよ、或いはモテモテになるよ!・・・というのは、もともとそういう努力が好きじゃない女性(例えば私。自分の外見のケアにはできるなら一ミリも労力をかけたくない。スキンケアとかお手入れとかの行為が単純に好きじゃない。こういうセルフメンテナンス系のケアってメイクと一緒で好きな女性と好きじゃない女性に完全に分かれると思う。もちろん好きじゃないのと一切やらないのとは同じじゃないよ)にとっては、「自分を偽って自分じゃない架空の誰かを頑張って演じる行為」なだけだと思ってまう。
更に、これは "男性に愛される努力をしよう" 系の啓蒙記事で見たのだけど、「内も外も女性としての魅力を保つ努力を忘れず、常に相手の男性を立てて持ち上げ、ニーズを察してそれをさりげなく提供し、心地良くしてあげる」・・・って、何というか、それ男性に都合の良い美人召使いじゃないか?(゜д゜)・・・もしくは女奴隷?
いやこれも、そういうことをする女性本人が楽しくてやっているならそれでいいんだけど。

ぶっちゃけ、女性の幸せで一番の勝ち組って、ありのままの自分を好きな人に愛してもらうことなんじゃないかと思うんだ。(女性に限った話じゃないけど)

本当の自分を抑えて一生懸命努力して、いい女として周りに見られてモテモテになって、その結果イケメンだったりハイスペ男子に好かれて愛されるのも幸せだと思うけど、そして本人がいいならもちろんそれでいいわけだけれど、本質が中二こじらせ底辺女の私にはどうしても、ブスでデブで汗臭くて卑屈で自虐でツンデレで、見た目には誰が見ても一瞬引くような女性がイケメンで中身も男前のハイスペ男子に惚れられる、というシチュの方が女として断然勝ち組に思えるのです。
・・・いやさすがにこれは極端すぎて現実にはほぼあり得ないと思うけどw(´∀`)

とにかく、外見や見てくれや仕草や行動、あらゆる面にまでそこまで気を遣って好かれた相手より、素の自分のままで好きになってくれた相手の方が遥かに安心できて信用できると思うのです。
・・・そう思うのはやはり私自身が女として低スペックだからこそだろうかw

私はどうしても、「女性側の "女性らしさ" を増す方向の努力」でもってラブラブ関係を保っている相手の彼氏や旦那って、その女性が何らかの理由でそれができなくなってしまった時に(病気ややむにやまれぬ事情で外見に気を使えなくなったり、老化で容姿が変化したりしたら)すぐ文句言いそう・・・というか、ぶっちゃけすぐ手の平を返すんじゃないか・・・というイメージが拭えない。
ほら色んな場所で見たり聞いたりするじゃないですか、「子供を生んでも綺麗にしていて欲しい。いくら産後は大変だと言っても幻滅」とか「髪振り乱して育児している妻の姿に萎え萎え☆」「女捨てたら終わりだよな」とか、軽々しく臆面もなく口に出してしまえるバカ旦那系の話。引きますよね。んなこと言われた日にはこっちが萎え萎えの萎え☆じゃ!アホ!(゜д゜)
・・・まあ実際にはまず何よりそんな男を選んでしまった自分の見る目のなさが萎え萎え☆(つд`)となると思いますがw

後は、結局そういう努力で手に入れた男性って、逆にそういう女性なら誰でも良かったんじゃないか?っていう根源的な疑問、これが一番大きい。
「相手にとって自分じゃなきゃいけなかった理由」への疑問ですね。
これってカップル二人の関係においてもっとも重要な土台だと思うんだけど、そういう「女性側の "女性らしさ" を増す方向の努力」で手に入れた相手の恋情って、「自分が自分だからこそ」という理由がかすみがちな気がしてしまうんだよね。

同じ努力をした、同じようなスペックの女性なら誰でも良いんじゃないか・・・?という感が拭えない。

これらはあくまで私の個人的な感覚です。
実際は全然間違ってるかもしれないし、そもそもそういう啓蒙記事自体ネタかどうかも分からないわけだしね・・・(特にネット上の記事はそれが現実の話なのか実は虚構なのか判断できない)。

どこか特定の記事やサイトに思ったということじゃなく、最近よく見かけるこういう系の啓蒙記事を見たり読んだりする中で私がぼんやり感じていたことを書いてみました。
「愛される努力」「モテる方法」、そしてそれを重視する価値観を批判するつもりは全くありません! もし不快に感じられた方がいたら申し訳ない(´д`;)ゞ
そもそも自分自身の人生においてどんな価値観を持つか、何を自分の信条とするかは個人の完全な自由であり、その全てが尊重されるべきものです。この記事は単に、ある価値観について私はちょっと違和感を感じるということを書いただけの記事であり、逆にこれを読んで違和感を感じる人もいて当然だと思います。

冒頭に書いた通り、なるほどと納得することも沢山あり、大抵いつも純粋に楽しく興味深く、時に感動しながら読ませてもらっています。
特に普通に一般の女性が書いているブログには自分にはできない努力が満載で尊敬するし、自分が男性になったかのようにドキドキしますw(´∀`)




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