願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

年をとって良かったとしみじみ感じる。

あ、健康とか体力という意味ではもちろん有難くはないんですけどね・・・!(´д`)
ちょっと変かもしれませんが、心理的な面では私は年をとって本当に良かったとしみじみ思う、という話です。

年が明けて四十になり名実ともに「おばちゃん」になったわけですがw(※四十歳の女性が皆「おばちゃん」だと言う意図はないですよ!こういう話の時は常にですが、あくまで私が自分についてそう思うという話なので誤解されませんよう・・・)、誰でも多少は嫌なんじゃないかと普通は思うんですが、私は年をとっていくごとに心がどんどん楽になってきたということもあって、嬉しく感じる気持ちの方がだいぶ強いのです。

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結論から先に言うと、中身に年齢が追い付いてきたからじゃないのか・・・と思っています。
「中身に追い付いてきた」と言っても一般的に「精神年齢が高い」というような意味合いではもちろんなく、何というか・・・逆に「もともと『若さ』がなかった」と言った方がしっくりきますw
もともと若さがないので、実年齢が若くなくなってきてようやく真の自分に近付いてきたというか・・・。

というのも、私はティーン時代から若い時も「自分が若い女性である」ということを何となく重荷に感じている人間でした。

「若い女性」の特権(と言いつつ実際は偏見という世間の印象の押し付け)であるオシャレも化粧も恋愛も、周りから浮かないように必死で最低限こなそうとしていた気がする。
ぺちゃくちゃ喋ることや食べ歩きは今でも大好きだけど、それは全年齢の女性に共通することで、若くなくても同じだよね・・・(笑)。
うまく言えないけど、自分が若い時、その「若い女性」というラベルが自分とずれているものであることを知っていた。
いつもどこか無理をしていたから、苦しかった。

甘い物も好きじゃないから焼き芋とかケーキとか貰うのもストレスだったw

自分が「若かった」時、無意識にではあったけど必死で「若い女性」を演じていたんだと思います。

(私は18歳で学生バイトからスナックの世界に入りましたが、それは私の中のそういうアンビバレンツ的な葛藤から敢えて自分と対極の世界に身を置かせたものじゃないかと思っています)

それが少しずつ年をとり、外見も年齢もだんだん若くなくなり、少しずつ「若い女性らしさ」を無理して演じる義務から解放されていった。
何より、運良く結婚でき(私は家族からも親しい友人たちからも結婚できる・すると思われていませんでしたw 大穴オッズです)、運良く子供も授かれたことが大きかったかもしれない。
まず「既婚者」になって男性の目を「女性として」意識する(ように振舞う)ことから解放された。そして「妊婦」になると「女性らしい体型や装いを維持する義務感」から解放され、また楽になった。「育児中のママ」になると「子供の安全や世話のしやすさが一番重要」を免罪符に更に大幅に楽になり、そして40歳になって「40歳の中年女性(専業主婦・子持ち)」という肩書を得た私は、また更に楽になった・・・というわけです。

・・・実は自分が四十になったらさすがに多少は何らかの感慨というかショック的なものを受けるかな?とドキドキしてもいたんですが、自分でも拍子抜けするほどそんなことはありませんでしたw 特にうちでは息子以外に特に「誕生日のお祝い」的なことをやらないので、尚の事いつもと変わらない日々の中の一日でしたね・・・。(夫が私の好きなクリスピークリームドーナツのオリジナルグレーズドをたくさん買ってきてくれたので美味しく頂いた!)
そもそも37歳くらいでアラフォーを名乗り始め、思えばその時から既に四十代の意識の準備は完全にできていました。

精神世界的な話(?)は置いといて、現実に「楽になった」と感じたのは、先日、スッピンで1500円の格安美容室へ自転車で行き、まさに髪を切ってもらっていた時。
その時不意に、私は「ああ、幸せだ・・・年をとって良かったなあ!」と心からしみじみ実感したんですな。

あー!私、無事おばちゃんになれたの?なってる?なったんだよね!
「若い女性の時代」はやっと終わったんだ!ばんざーい!
あーおばちゃんになれて良かった!楽だーーーー!!丶(´∀`)ノ

・・・多少おおげさですが、しかもなんでその時だったのかはよく分からないんですが(シャンプーなしの格安美容室とはいえショッピングセンターの中にあるので客層は様々)、まあこんな気持ちになったわけですよw

何というか、一人の女性としてでなく、「おばちゃんという種類」として見てもらえというか、扱ってもらえる、それが普通は嫌だと感じるんでしょうが(笑)、しかし昔から「普通」に憧れ、「普通過ぎて目に留まらずに」スルーされることを望み続けてきた私としては、その状態は最高に居心地が良いのです。

今若い人で、周囲の視線や関心に敏感すぎて辛い死にたいと感じている人がいたら、どうか待って欲しい。あなたが女性ならあと10年か20年の辛抱です、と言いたい。
「おばちゃん」になれば(なることを受け入れれば)一気に楽になる時が来ますと。
だから、それまで若いうちしかできないことを考えてやってみたらそれは実際にとてもいい財産になると思う。今の自分が、状況が、嫌で、生きているのが辛いなら、その「人生」はあと10年か20年で終わるから。その後は「おばちゃん」という生き物として「生まれ変わって」生きていけるから、と。
男性は・・・分からない。ごめん。「おじさん」て「おばちゃん」よりも好感度低いし(ひどい)。でも、いい感じのおじさんになればおばさんよりも高い信用度を勝ち取れる可能性は高い。平泉成とかあんな感じを目指そう(難易度高い)。

えーと何の話だったかな・・・。

そんなわけで、よく見かける言葉で、

「いつまでも女を忘れないでいたい。化粧もネイルも自分のために頑張ろう!」。

いいと思います。

「おしゃれに気を配り、流行もそこそこ追って、若くいたい、若作りはいやだけど、若くありたい!」。


いいと思います。

「あーあ・・・家事と仕事でいっぱいいっぱい、髪振り乱して自転車こいで・・・女として終わってるよね・・・だめだなー私。反省・・・」。

・・・うざいです(゜д゜)

何もしてなくてそのズボラさを反省するならいいけど、生活を一生懸命やっていてそれなのにわざと卑下するみたいな言い方は誘い受けぽくて嫌だわ。

何にせよ他人が「いつまでも若くありたい」「若くてきれいな女性でいたい」と願ったりそのために努力したりする分には何の違和感も抱かないんですが、不思議と私自身にはそういう願望は特にない。
「若さ」が人間にとってそんなに価値のあるものだと思っていないからだと思う。いや、価値はあると思うけど、一番とか、とてもそれほどのものじゃない。もっと大事なものはいくらでもある。
「こうありたい」と言うのなら、私はいつでも「自分の求める最良の人間でありたい」と思う。昔からそうだった。そしてそこには「いつまでも若い」や「いつまでも女を忘れない」というのは入っていない。

あ、もちろん若いならそれに越したことはないよ!体力とか健康とかの意味でも若々しいのは素晴らしいことです。いつまでも女を忘れず綺麗にしているのも(それが好きでそうしているなら)もちろんそれに越したことはないわけで、すごく素敵だと思います!(´∀`)
ここは大事なので改めて書いておきますね。

あくまで私にとっては、年をとるにつれて若さや女であることを保ったり磨こうとすることより、人間の中身とでもいうようなものを磨くことが重大な課題で、他のことを義務としてやる余裕がないんだろうな、という気がします。
例えば50歳で「あちゃー(ノд`)(私的に)」というような中身の人にはなりたくないよ・・・。
ネットを見てるだけでも反面教師はそこここに溢れてるし、自分が未熟な人間であることを知っているからこそ真剣にそう思う。恐ろしいです。
そういうことを想像したら、私には若さや女を保ったりしているような時間はないんだなーと考えました。多分そういうことなんだろうなーと。

・・・いや、今ふと思ったけど、普通はそこ両立するのか。
うん、そうだろう(゜д゜;)
(肉体含む)外見的な磨きも、内面的な成長も。
私は両立できないのでこうなったんでしょうきっとw

ここでも私が真ズボラであるという重要な要素は巧妙に伏せておきますね・・・(´く_`)

私にとって、もともと自分の外見を磨かなくてはいけないことは面倒なことでしかなく、苦痛であり、だからそれをしようとする時の心理的負担がすごいのです。
私が引きこもりなのもそれが理由の一つでした。外に出るためには最低限身なりをきちんとしなきゃいけないけどそれが面倒で仕方ない。でも開き直って何もしないで出る勇気はとてもない←しかしおばさんになってきたことでここの垣根が低くなってきたので楽になってきた(今ココ)。

年をとれば過ぎる時間のスピードは加速度的に速くなっていく。

死ぬまでに間に合えばいいけどなー私よ(色んなことが)。






↑うん・・・ほら、特に私の若い頃ってこんなんだったからさ・・・あちゃー(ノ∀`)だよホント・・・
(他の記事漁っててたまたま見つけたのでサルベージ)


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