願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

凡人だけどヘンリー・ダーガーと児ポ法改正について考えてみた。

戦闘美少女の精神分析』(著者:斎藤環という本を昨年美術館のショップで見つけて買ってとても面白く読んだんだけど、最近「すごく待つ」婦人科に健診で行った際にふと思い出してお供にしたのをきっかけに、また読み返している。
頭の良い人が平易な表現を使って書いてくれる文章はとても分かりやすく、スーッとこちらの脳ミソに入ってくるので読んでいて気持ちがいい、ということを強く感じる本だ。
内容にも同意できるから、うっかり自分の考えを客観的に見ているような感覚に陥りそうになる。こういう「とても分かりやすく書かれた、且つたまたま自分と同じ感覚」の文章を読むときに、私が「気をつけなくては」と思うことの一つ。

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

 

 

ところで、この本の中に、ヘンリー・ダーガーというアウトサイダー・アーティストの話が出てくる。

世に出すことを目的とせず、生涯「あくまで自分自身のためだけに」たった一つの物語「非現実の王国」(※)を創作し続けた画家であり作家である人物。
年老いて亡くなる直前に、彼の部屋からその膨大な量の「作品」が発見されてわかった。

物語の主人公は、7人の、10歳にも満たない幼い少女たち "ヴィヴィアン・ガールズ"。
実際にその物語を読んでいない私がものすごく雑に説明すると、彼女たちが「子供奴隷」の存在する架空の世界で、子供を奴隷とし支配し玩具のように殺戮・蹂躙、無体の限りを尽くす大人たちの軍隊と戦う、というお話。
絵や文章、コラージュ、様々な技法を用いて創作されていて、特に子供たちが痛めつけられたり虐殺されたりする場面の凄惨な光景の描写が多い。命乞いも虚しく首を切られたり、内臓が出ていたり、血の惨劇。スプラッタ。
しかも、ヴィヴィアン・ガールズは大変可愛らしく、その裸体には小さな男性器もついていたりもする。・・・

これが例えばもし日本で、幼児誘拐かなんかをやらかして捕まった30代無職男の家を家宅捜索して出てきたものだったりなんかしたら恐らく、
('A`)ウヘァ
の一言です。

性倒錯のペドフィリア。最低!
・・・そんな風に散々叩かれたり、反対に熱狂的信者や擁護が出てきてこんにちはだったり、好奇のゴシップとしてもテレビや雑誌をしばらく賑わすんじゃないか。

でも、別にこのヘンリー・ダーガーさんは、最低ではない。
最低呼ばわりされるのは、社会的には倒錯とされる性嗜好だったとしてもそれを現実に行動に移して犠牲者を出した場合だけです。
ダーガーさんは、心理的、あるいは社会的に多少未成熟な部分がある人だったようで(幼少期の親との関係、十代のときに入れられた施設等の影響が暗示されている)、それがもたらした「子供の無邪気な残酷さ」とでもいうような部分と自身の(人間誰にも備わっている)「性的欲望」を、精神的に「絶対的孤独」という環境の中で創作欲求に変換して昇華させていた、極端に内向的で人見知りな、でも毎日仕事に通う真面目な、そして熱心なカトリック教徒である、一人の善良な男性だった。

・・・と、孤独なアウトサイダー作家ヘンリー・ダーガーという人の単なる紹介で終わってもいいんですが、ここからはその話から私が考えたことです。

いわゆる児ポ法児童ポルノ法=「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」)について。

私の中ではこの改正案について七割は何となく賛成、残りの三割はまだ決めかねている。(現行児ポ法は普通に支持)
その三割を強く補強するのが、上記のヘンリー・ダーガーのような人の話なのです。

児ポ法改正案では「創作行為そのもの」も(遅かれ早かれ)制限されると私は思ったんですが、どうでしょう。認識は合ってるでしょうか。

この改正案によって「単純所持」が禁じられると欲求の「代替捌け口」としてかろうじて鬼畜衝動を抑えているような人間にとって改悪になるのはもちろんのこと、「創作行為そのもの」も禁じられると、上記のダーガーのように、「自分の中にある "何だかよくわからないが強い衝動のようなもの" を創作という手段で発散させたらたまたま幼児虐待・殺戮残酷作品の呈をしていた」というような場合だったとしても、それが問答無用に罪とされてしまう。
(そもそも「芸術」と「ワイセツ」の線引きも曖昧なものだ)

・・・まあ、"結局" は精神病院のような専門施設で「治療」するのが一番だとは思うが(超暴力的省略による "結局" だが・・・)、本人自身も傍目からも問題なく満足できるような形で「回復・または更生」すればそりゃいいが、そんなに簡単なものかな・・・と思う。
そもそも「性的嗜好」「異常性欲」は変えられない・治らないと聞く。何の専門家でもないただの一庶民だが私もその説を支持している。
異常性欲者は批判の対象になりやすい。確かに、ロリコンペドフィリアなど実際にその対象者に危害が及んだら取り返しのつかない被害を与えるのだからその批判はある程度は仕方ない。
だが、異常性欲者がまだ誰も現実に被害者を出していなかったら。
そして、本人自身、異常性欲者であることとその衝動に苦しんでいるとしたら。
どうだろう。

最近よく聞く、「自己責任論」という言葉。この考え方を支持する人、反発する人、スタンスはそれぞれだけど、少なくとも人は、生まれてくる時に自身の形質や性質といったスペックを選べるわけじゃない。
「こういう性的嗜好の人になりたい」と望んで生まれてくるわけじゃない。
だとしたら。
反社会的・反人道的な性的衝動を抱えた人が、その衝動を抑えきれず現実に被害者を出してしまったらまた別だけれど、そうじゃないなら、そしてそのことで自身苦しんでいたとしたら、それはもうちょっと何とか救済の、何か複数の柔軟な対応や手立てが用意されるべきだと思うんだよね。
そして即ちそれは不幸な未来の被害者を減らすことに確実に繋がると思うんだが。

ちなみに、「(もともとある)衝動を抑えるもの」としてじゃなく、「(もともとなかった)衝動を引き起こすきっかけとなるもの」「(もともと小さかった)衝動を強く増幅させるもの」として捉えて、児ポ法の規制対象は設定されているのだろう。
その方針には賛同できる。(→何でもかんでも秘すれば花。)だから賛成七割と書いたわけです。

ただ、私がよく分からないのは、性・暴力表現の規制では日本の何倍も厳しいと言われているアメリカで実際に性・暴力的な犯罪が減っているのか、ということ。
実際に減っているなら有効なんだろうが、大して減っていないか判断のつかないレベルなら、その規制物を「代替物」として自身の衝動を妄想の内に繋ぎ止める "命綱" にしている人々――自分の中の衝動を現実にしてしまわないよう必死に努めている善良な人々――を更に追い込んで、現実の「不幸な加害者」にしてしまう効力の方が大きいんじゃないか・・・。
そんな風にも危惧する。

年端もいかない青少年に与える影響は大きいと思うけど、どこまでを青少年とするのかとか・・・(´ρ`)

人は人によってみんな中身が全然違うし、もう、身分証きちっと確認してその人の人と身なり、職業や年齢住所なんかをきっちり把握して公的な許可制にしたらいいんじゃないのかね。もう。児童ポルノは。
・・・って、

ついになんか変なこと言い出したw(゜д゜)

うん・・・ただただ厳しく規制したって、「実際に不幸な被害に遭う子供がいなくなる」という「根本的な解決」・「最終的な目的」には結びつかないんじゃないか、ということが言いたかっただけの話なんですけどね。

しかし難しいですね、凡人(あるいはそれ以下)がこういう話を論じようとするのは。この記事に限った話じゃないですが・・・。気付かずに誤解を招くような書き方になってしまっているかもしれないし、かと言ってそれを避けようとすると冗長で読み難い文章になってしまうし。
私は、思考量は多くてもアウトプット能力がない方の人です。
要するにそれを世間では「頭が良くない」と言うんだと思っています。
私は頭が良くないのにこういう話をしたい人なので、自分でも厄介だなーと思います(T_T)



それでも書くんだけどね!てへぺろ!w\(^o^)/




 (※)正式な題:『非現実の王国、あるいはいわゆる非現実の王国におけるヴィヴィアン・ガールズの物語、あるいは子供奴隷の反乱に起因するグラムディコ対アビエニアン戦争』

ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)

ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)

 
ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

 


おまけ:
この(ヘンリー・ダーガー氏の)物語を私は読んでいないわけですが、その「凄惨な虐殺場面の状景」をもし実際に読んだとしても、何となくきっと『家畜人ヤプー』(著者:沼正三)が私にとってそうだったように、まるで説明書か初期形態の(読者側の共感的現実から切り離された表現手法の)グリム童話を読んでいる感覚で淡々と読めそうな予感が何となくします。・・・何となくですがw(´ρ`)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 

 

 

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