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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「インターポット」を始めて一カ月で止めた話

日々徒然 自分語り

正確に言うと、「ハピタス」というポイントサイトでポイント欲しさに@Niftyの「ココログ広場」というソーシャルネットワークに登録し、「アバター広場」やら箱庭育成ゲーム「インターポット」やらを楽しんでいたんですが、残念ながら一カ月で退会した、というどーでもいい話ですw(´ρ`)

 

もともとうちのプロバイダーはNiftyなので、
「ああこりゃちょうどいいな」
「なんか庭作りゲームとか久々にやってみるのもいいしな」(←もともと育成系が結構好き)
「まあポイント目当ての登録だから嫌になったらすぐ止めればいいしな」
と、軽く始めました。
よくある、アバターを作って、ビンゴゲームや神経衰弱なんかのゲームでアイテムをゲットしてアバターの着せ替えをしたり、自分の部屋を飾ったり、庭の木を育てながら自分好みの庭を作っていく、というソーシャルゲームです。
ソーシャルなのでもちろん交流もできますし、それによってまたポイント的なものも貯まります。ちなみにぼっちでも全然進めますし、いわゆる「いいね」や「ポチ」のような通りすがり的必要最低限の交流ができれば更にスムーズに収穫量などが上がります。

やめておいてなんですが、正直結構面白いので、こういうの好きな人にはオススメしときます!(´∀`)

年単位でやっておられる方がかなり多いんですが(その人の庭に行くと表示されている誰でも見られる「樹齢=リアル日数」で分かる)、その理由が分かります。飽きない工夫がされています。
メインの「インターポット」は自分の庭にある「コノキ」という一本の木を育てて行くのがゲームの主題なのですが、リアル日数が樹齢なので、さくさく進めたい人には最初はイライラするかもしれません。手入れをどんなに頑張っても収穫には一週間かかります。
スタートダッシュの効かない最初のそのイライラさえ乗り越えられれば、無課金で長く充分楽しめます。良心的だと思う。半面、課金にも課金の価値があるので、バランスはいいと思います。


じゃあなぜ止めたのよ?(゜д゜)





「坊やだからさ」・・・



・・・いえ、もとい。
熱くなりすぎたからですorz もといじゃないw


私はゲームというものにあまり興味がないんですが、「興味を持たないようにしている」という内実が半分くらいあります。
私はもともと射幸心が強く、さらに負けず嫌いで衝動性感情型の人間なので、ギャンブルはもろん「ゲーム」的なものは「やり始めたらおしまい」というところがあるのです。
ギャンブルなら自分が気持ち良く勝って終われるまで、ゲームなら自分の求めるところまで(ゲームによって違ってくる)、それまでは他のリアル・非リアル問わずあらゆることが手に付かず、どこまでもどこまでも際限なくやり続けてしまうのです。自分にも甘いしね。廃人になれる素質を下地として持っているのです。
もともと賭け事が好きな性質もあって、ただ、過去自分的に痛い目にも遭っているので今はギャンブルは一切しませんし、特にしたいとも思いませんし、たとえ遊び程度に馬券を買ったり時間潰しにパチンコをしたとしても、決めた金額でキッチリ諦められる自制心はあります。
ただ、明らかにお金がその主目的であるギャンブルと違って「その場で減っていくお金」という「はっきり目に見える犠牲」がない「単なるゲーム」は、浪費している貴重な時間や、そのために犠牲になっている他のものに意識が向きにくいと思うんですよ。
特にソーシャル系のゲームって、「ポチ」や「いいね」なんかを返す行動が「仕事」や「義務」になりがちで、しかもそれが地味に時間のかかる作業だったりするじゃないですか。
昔「まちつく」をやっていた時、サーバーが重かったり携帯の電波が弱かったりしてページ読み込みに時間がかかり、出かけなきゃいけないのに全員にそういう「ポチ的なもの」を返すだけに物凄く時間がかかり、しょっちゅう一人でキレたりしていました。
本来そのゲームの楽しみの一つであるはずなのに、量が増えると質的変化を起こしてしまうという・・・まさに物理とか化学で聞くあの理論ですw(´ρ`)

ちょっとした息抜きのつもりでゲームを開いて完全にマイペースに自由に遊ぶにはそういう「無駄な」時間が結構多く取られ、また、ゲーム内ゲームであるビンゴや神経衰弱がなかなかうまく行かず(どちらもジョーカー的キャラが出たらそこで終了になるためもともとクリア確率は低い。それが長く楽しめる要素にもなっているとは思う)それで異常にイライラして、無意味にストレスを溜める。
これは私に強くある傾向なのですが、「楽しむ筈のゲームで、熱くなるあまり必要以上にストレスを溜めてしまう」というところがあって、それが昔から常に「ゲームを続けるのに困難な障壁」になってるんですよね・・・。

そこが度を越して脳内の何かがキレるとタガが外れ、簡単に課金に手を出してしまうんですが、それで少し前、あるソーシャルカードゲームで

一カ月に5万円、二ヶ月で計10万近い大金をガチャ課金につぎ込む

という糞阿呆なことをやらかしました(゜д゜)
(←独身時代に貯めていた私個人の貯金から出しました。一気にすっからかんになったよ!ソッコー辞めたけどさすがに自分のダメっぷりに泣いたよ!www糞阿呆野郎だよ!\(^o^)/)

そんなわけで、二度とユメウツツのウタカタ(=ゲームをやめたら手元に何も残らない)なんかに課金はせぬと誓っているのです。当たり前だ(゜д゜)

なので、時々100円200円課金すれば多少は軽減される不満やイライラが解消されず、かと言って「マイペースにのんびり」と頭では思うものの実際はとてもそうはできず、一日中パソコンつけっぱなしの画面開きっぱなし、しょっちゅう確認してちょこちょこ触っているため、当然家事や息子の相手は普段以上に疎かになるというね・・・(そもそも普段から疎かなので、それ以上だと大変なことになるよ!)

始めて一カ月で3回の収穫を終え、マメなアクセスと世話のおかげで(何せ就寝中以外は常駐ログインだから当たり前っちゃ当たり前)無課金ビギナーの割にはかなりいい感じで行っていたのですが、そして自分の庭で走り回る自分そっくりに作ったアバターを見て心癒されたりも実はしていたんですがw、「今の状態が続くようじゃダメだなーさすがに何とかしないと・・・」と危機感を感じていた中、神経衰弱の失敗で何度目かの奇声を発してしまったその瞬間、その怒りの勢いでさっくり退会・データ削除しました。

・・・何日か、魂が抜けたように呆けた感じで過ごしました(゜д゜)
どんだけハマってたんだ自分ww
ここ何日かでようやく現世復帰リハビリが済んだような実感です。

さようなら、ひとときの癒し。
さようなら、久々に楽しめて長くのんびりやっていけるかもしれないと思ったゲーム・・・

私の性格ではそんなことはやっぱり無理だったよ!
\(^o^)/


ちなみに、「ココログ広場」は退会しても再登録が可能なので(ただし元のデータは削除されるので全く最初から)、ついつい開いて再登録してしまわないようブックマーク自体も削除しましたw

・・・あーもうね・・・私にとってゲーム、というか娯楽全般て本当に "オールオアナッシング" なんだなーと思い知ったというか、私という人間がいかに自分に弱く、快楽や欲望と上手に付き合えないダメ人間であるかということを改めて痛感しましたorz
いい歳して「ほどほどに楽しむ」ということが全く出来ず、現実の自分のやるべきこと(家事や育児やリアルプライベート等、現実の自分の人生で重きを置かなければいけないこと)とのバランスを一切取れなくなり、ハマり度合いを自分で制御できないので、「しない」環境を強制的に作るしかないんですね。
普通のゲームなら処分、プログラム削除。ソーシャルゲームなら退会・アカウント削除。
そこまでしないと自分を取り戻せないんですねー。
寂しいし悲しいけど、止めるとホッとするんですよ。「ああ、もうやらなくていいんだ」って。
実は飽きっぽいので放っといてもいつかは飽きてやらなくなるんですが、それまで(特に初期)にかかる "被害" が甚大なことが多いので、早く止めるに越したことはないです。

私にとって「ゲーム」とは、良い悪い関係なく、「何も残らないもの」、「ただただひたすら空虚なもの」という認識です。
それにつぎこんだお金も、時間も、労力も、現実世界では何の意味も影響も持たない。積み重ならない。
そのゲームを止めてしまえば、一切が消える。何と無駄で無意味で、だからこそ楽しい刹那的な娯楽であることか・・・。

私が考える「ゲーム」の価値とは、ただ「楽しい」ということだけです。逆説的に言えば、一切が現実には無駄で無意味であるからこそ、そのゲーム内での「楽しさ」は無限なんじゃないか。
「ゲームをする価値」とはその一点に尽きるんじゃないか。

上の方で賭け事と同じ括りで語ってますが、賭け事の価値は「お金」と「楽しさ」の二つあります。前者の「お金」は限りなく現実とリンクしている。
けれど、ゲームは違う。ゲームに存在する価値、そしてその存在理由は「楽しい」だけ。
100パーセント娯楽であり、娯楽でしかない。そして娯楽でしかないからこそ、娯楽としては究極になり得る。

だからこそ、「100パーセント楽しく」なければ、自分にとってそれをやる必要性が一切なくなるものなわけです。

この「ココログ広場」も、じゃあもし実際私なりにマイペースに何年も続けられたとして、「それで結局何になるの?」と自問したことでスッキリ心が離れられました。
何年も続ければコツコツ貯めた経験値で部屋は広くなり、色んなアイテムを様々駆使して自分好みの部屋になっていく。庭のコノキは大きくなり、収穫量も増え、それによって引ける「くじ」の賞品も良くなり、レベルも上がり、庭も広くできるし、色んなアイテムでやはり好きなように庭を作り上げられる。
季節に応じて様々な限定アイテムを部屋や庭に飾り、一年毎に再登場するアイテムのレベルアップを図る楽しみもある(これはいい手法だと思う)。

・・・でも、それで結局自分にとって何があるの?

ゲームを開いている間ずっと100パーセント「楽しい」しかなくて、ゲーム内にいる時間を「100パーセント楽しめている」なら別です。
何年捧げようが、「その時間を過ごしたこと」そのものに価値があるのだから。
でも、自分の性格上、バランスを保ちながら遊び続けられたとしても、ある程度はイライラしたりやきもきしたり、結構な感情エネルギーとそれなりの時間的労力を使うと思うんだよね。
それで何年も自分の日課の趣味のように親しんできたものが、例えばもし、ある時突然終了のお知らせが出たとしたら。

何が残るの?

私は「まちつく」が提供会社の経営悪化(実際は分からないけど)でユーザーに惜しまれながらもゲーム自体が終了したとき、ソーシャルゲームは特に、終わってしまったら本当に何も残らないんだなーと思い知った。自分で画像保存して作った町の画像を残せた人もいるだろうけど、それでも私の感覚としてはやっぱりちょっと違う。それは単に思い出の写真というようなものだ。
そのゲームで知り合った人との交流が残るというようなことはあるだろうし、それは素晴らしいことだと思う。でも、それはゲーム本来の遊び方からすれば「素敵なオマケ」であり、あくまで幸運な副産物でしかない。
ゲームに注いだ金や労力や情熱は、そのゲームが終了するのと同時にこっちも一切が宙に掻き消えてしまう。ゲームと一緒に「逝ってしまう」のだ。

ゲームに限らず、ネットってものすごく不確実というか、実体がないというか、存在の確証がない。保証がない。保障もない。長年やっていたブログが突然のサービス終了で全部消えた経験もあって、どうしても私は「ネット上のサービスはみんなウタカタ、ユメマボロシ」という思いが強く、消えません。

民間の経営企業が提供しているソーシャルサービスである以上、「ココログ広場」もそうならないという保証はどこにもないわけです。

あ、上で書いたように私は「ゲーム」にはそのゲームの内容の娯楽の価値しか見ておらず、他人との交流や繋がりをその目的には一切入れていません。そもそも「他人と繋がるためにゲームを楽しんでいる」「ソーシャルゲームの楽しみは他人との交流にある」という人とは感覚や価値観が根本から異なってますので、どうぞ気にしないでください(´ρ`)
また、最後に、これは書くまでもない当たり前の話ですが、ゲームに課金をするのは個人の自由です。
身の丈にあった課金をして趣味として楽しんでいる人や、或いはあまりに裕福すぎて金の使い道に困って自殺するイキオイな人の大口課金は全く否定しません。
私は歯止めが利かず結果的に楽しめなくなるという損な性格なので、趣味の娯楽として上手に楽しんでいる人が羨ましく、また同じ人間として心から憧れ尊敬します。


また風呂敷が変な畳み方になりましたが、そんな感じの話でした(´ρ`) 無理矢理終わる感半端ないですねw すみません。
500文字程度のつぶやき小ネタで終えるつもりが、どうしてもいつも結局長々となってしまう。
こういうところが私があまり頻繁にブログ更新できない理由です。結構な文字数の下書きが常に50くらい溜まっています。

まあどーでもいいネタばかりなんですけどね・・・(´ρ`)



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