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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

夫のこと。2

日々徒然 真面目な話 ボーダー(境界性パーソナリティー障害) 自分語り

→1の続きです。
実は自分でもあまりに毎日一日中この記事にかかりきりすぎてて、既に飽きてきてもうイヤんなってきたので、さくさく書いて完結させてしまいたい(そしてもっと簡潔にまとめたい)ですw(´ρ`;) 長すぎですみません・・・

 ―――――――

何事もない平穏な時は、私たちはうまく行っていた(と思う。多分)。
夫は楽しいことが好きな、(これは良い意味で)単純な人だ。私も単純に深く考えずに楽しめる時だけ、私たちはうまくいった。

しかし、ひとたびすれ違いが起こると、その「喧嘩」の(私だけのorz)激しさは増していった。
どんなことであっても、夫は決して異論を言わず、納得し、同意し、反省するが、しかし全く変わらないんである。
怒らず、努めて穏やかに話をしたことも、それこそ何度もある。手を変え品を変え、アプローチを変え、私も私なりに夫と「話」ができるように努力はしてきたつもりなのだ。

しかし、ある時、私が穏やかに時間をかけて、でもしつこく話を掘り下げようとしていた時、夫が突然
「しようとしてるけどできないんだよ!」
と、突然子供のグズリのようにキレ、こっちは「は?(゜д゜)ポカン・・・」みたいな状態になった。
いや、キレたことはどうでもいいのだ(そもそも私がキレる人だ)。そうではなくて、夫がキレたのが全くの突然、会話の応酬で徐々にヒートアップしてとかではなく、更に「えっ、そこ?」という感じだったからだ。

えーと・・・それは喩えるなら、昔の人しかわからないと思うが、普段は無口で大人しい冬彦さん佐野史郎の)が「わああああああ!」と突然大声を上げてパニックを起こす・・・みたいなイメージ(あくまでイメージ)。

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なんというか、子供のグズリ方に限りなく近い。


大人として大人の話し合いをしているはずだったのに・・・どうして突然そうなんなきゃいけないの?みたいな。

話ができない。
議論にならない。

まあ、そう言っても、追い込まれ過ぎて冬彦さん状態になったのはこれまでに三~四回しかなく、(しかし私はその全部を追い込んでいたわけではない。一番最初は特に、傍からは夫が一人自分の中だけでオーバーヒートしていった結果こう出てきた、という感じだった)、基本的に夫はいつも黙り込み、私が一方的に言葉を吐き、夫はいつまでもいつまでも黙っている
この「自分からはいつまででも黙っている」という性質もクセモノというか異常なレベルで、一度どこまで黙っているのだろうと初めて私から一切言葉をかけなかったら、一週間も何も言葉をかけて来なかったことがあった。
それは息子を妊娠中だった時のこと、ある日の夜にカチンとしたことがあり、翌朝ちょっと怒っている素振りを見せこちらからは何も喋らないでいたら、なんとそのまま一週間(その間一切口をきいていないということ)。びっくりして「さすがにこれは・・・」と思い一週間目に手紙を書いて、夫が出張に行く時に渡し、メールが来て、会話が再開した。
その一週間、気になっていないならまだしも、始終こちらを見て私の顔色を(´・ω・`)←こんな顔をしてビクビクと窺っているのに、だ。
「ねえ、なんなの?」でも「怒ってるの?」でも「あのさ・・・」でも何でもいい、普通は配偶者が「何かいつもと違う」と疑問に感じたら、何らかの言葉は発するんじゃないか? 配偶者じゃなくてもそうかもしれないけど、特に一つ屋根の下に住んでいて、私は妊娠中で、もしかしたら何かあったのかもとか考えないだろうか・・・。私がおかしいのだろうか?

夫という人間が理解できない。その内面が見えない。
何を考えているのか分からないから、信頼を置いておけない。
一緒に暮らす時間が長くなっていくほど、その思いは強くなっていった。

そういう想いは少しずつ詰み重なり、私の心に滓(おり)のように溜まっていくのが自分でも分かった。溜まり続けていくのに、それをどうしたら止められるのか、全然思いつかない。
いっそのこと私の心を完全に切り替え、一切何も言わず、怒らず、この人を伸び伸びと好きにさせてやればいいのだろうか。そう思って試みたこともあるが、夫は息子の父親であって私のもう一人の息子ではない。夫は、息子の「年の離れた兄」ではない。そう強く思うことがすぐに増え、やめた。

「でも多分、私が悪いのだろう。」

滓が溜まっていくにつれて、心の奥底で、私はそうも思うようになっていった。
いつも大きな心と変わらない笑顔で夫を包み込み、ある意味手の平で転がし、好きに自由に泳がせ、動じず、アハアハ笑う天然ちゃんか、どっしり構えた肝っ玉母ちゃんなら、夫はもっと楽になれ、自然に成長していけたかもしれない。
いや、成長しなかったとしても、きっとそれでいいのだ。私が私の思う「成長」を求めることなんかしちゃいけないんだ、夫はきっとそういう天真爛漫な人なんだ。相手が私でなく、もっと鷹揚で器の大きな女性だったら、それで十分幸せに暮らしていけただろう・・・

何度も悲しくて、悔しくて、泣いた。
夫は変わらずいつも必ず本当に沈痛な表情をして、「ごめん・・・」という。自分でもどうしていいかわからないんだ、と言う。
でも、決して変わらない。そういう重い会話もその時だけのことで、また平穏な日常に戻ったら、続きの考えを話してくれることは決してない。
いわば、まるでそこだけが「切り離された時空」
そして全く同じことが何千回も繰り返される。

それを思った時の私の心情が文字で伝わるのかどうか・・・分からない。
そもそも他の誰かに伝えて分かってもらえる気がしない。

自分がどれほど想いを込めて伝えても、怒っても、泣いても、叫んでも、何も変わらない。変わらないだけじゃなく、それ以前に相手の心に「届いていない」という現実。それを何千回と突き付けられる。毎回。何年もその繰り返し。
その無力感と、絶望感。もがいてももがいても、先に広がっているのは果てしのない虚無。
まさに不毛としか言いようのない繰り返し。

喧嘩をする度に理解は深まると思っていた。
そんなことはなかった。

なのに、怒りはかろうじてまだわくのだ。ぶつけたい相手にぶつけても何も帰ってこない、いや、素通りしているだけなのに・・・

その絶望感と言ったら、もうねw

――――――

何がなんなのか分からないが、うまく言えないが、でもとにかく一生こんな状態は有り得ない。一緒に暮らしては行けない、この人と。こんな状態のまま家庭なんか作っていけない。
ある時、そう思い詰めた末にとうとう「離婚」という一つの選択肢を言葉にして口に出したら、そこからはもうそれが普通になっていった。

夫と私の関係は、私の求める夫婦ではない。
そりゃ夫婦の形は色々あるだろう。でも、私はお互いを信頼し、信用できる関係でいたいのだ。どちらかが辛い時にはもう一方が支え、助ける。異論があればそれを伝える。逃げずに。そうやって、夫婦二人で「家庭」という家を少しずつ作っていくのだと思っている。私はこれだけは譲ることができない。

今の私たちは私が大変でも、夫には頼れない。大事な時にこの人に頼れない、信用できない、そんな人と、結婚生活を続けていくことは無理だ。

そして、息子が0歳か1歳のとき、育児で疲れ切った私のたった一つの頼み(「何もしてくれなくていいから私が大変で疲れていることだけわかっていてくれ」)を聞いてくれなかった時、私の中の何かがプツリと切れた。
本当に本気で離婚しよう、それしかない。
最後通牒のつもりでそう告げた。(実は、この時に離婚をして出て行くつもりで真剣に荷物を整理しなくてはならないと思い立ち、その後断捨離的なものを考える方向になっていくのです)

さすがの夫もこの時には今までにないほど落ち込み、反省し、「変わってみせる」と言い切った。

でも、結局ダメだった\(^o^)/

問いただすと、「努力している」「ごめん」「でもできない」「頑張っている」と、謝ることと言い訳だけの繰り返し。
しつこく聞くと「だから〇〇(全然頼んでもいない違うこと)をやったりしてるじゃん!」とまた冬彦さん・・・子供のように逆ギレる。しかしそれは頼んでいないことだ。逆に余計なことだったりする。
夫は、私が心からお願いしたことをしてくれず、頼んでいないことを勝手にやって、それで私の要請に応えたと本気で思う人だった。

一言で言うと、(冬彦さんというより)完全なる子供そのもの。

怒られたらすぐ謝る。でも、同じことを繰り返す。自分を見つめて真摯に変えようという気がない。成長する意思が感じられない。

その時本心でそう思っていることは私にも分かっても、夫にはフィードバックが存在していないというか、じゃあ次はこれを気をつけよう、そのためには今度は具体的にこうしてみよう、という「自身による自身への働きかけ」というような意思が一切見られない。
もし心の奥底では「したくない」と思っているからできないのなら、それに自分で気付きさえして私に伝えてくれればいいのだが、自分に深く向き合って自分の内面を知ろうとしたことがないため、それも出来ないんである。
そして、何年も一緒にいながら妻の気持ちを本当に理解しようとしたこともなく(他ならぬ自分の気持ちすら理解しようとしていないのだから当たり前だが)、実際生活に現れる行動としては、自分がやりたいことだけはやり、それで「やった(やってあげた)」と主張する。

・・・この人は一体何なのだろう。
何者なんだろう。

貴志祐介の『黒い家』に、「心がない!」という台詞が出てくる。

夫に向き合った時、その優しく朗らかでふざけた性格の人物に抱くのにはあまりにそぐわない、真っ黒な絶望感と戦慄を覚えてただ立ち尽くすしかない、という心境になることが増えて行った。
それは、「何を考えているのか分からない」という生易しい気持ちなんかじゃ既になく、怒りや悲しみの感情段階を遥かに超えた、「心があるかどうかわからない」という疑念だった。
夫の姿をしているけれど、・・・

もしかしたらこの人はヒトではないのではないか
(゜д゜)


ヒトの心を持たない、ヒトではない別のなにかであるような・・・そんな考えすら湧くような、得体の知れないものに対する恐怖を抱くような、そんな対象にすらなりかけていた。


私はこの先、この人とどうやっていけばいいのか分からない。
どうすればいいのか、本当に分からなくなっていた。

黒い家 (角川ホラー文庫)

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――――――――


話は少し変わるが、我が家には「夫婦で相談する」ということがない。
そんなものは存在しない、と言った方がいいような雰囲気で、ない。
他の家庭で妻が「ちょっと夫と相談して・・・」「旦那がやめた方がいいって言うから・・・」などと言う感じのことがあったりするが。あれは本当に本当なのだろうか・・・。そんな夫がいるのだろうか。うちでは考えられない。

そんなに、世の旦那様方は物事をあれこれ考えて、妻のために助言や判断をしてくれるものなんだろうか。

うちでは私が全てを決定する。
私が考えて、悩んで、私が決断する。なんでも。夫の仕事の内容以外のこと、家庭のこと全ては。
夫に「相談」することは決してない。形式的に「こうしようと思うけど、どう思う?」と聞くことはあるが・・・。
なぜか。

夫に相談しても、何も答えてくれないからである。
うちの夫は何も決めてくれないのであるw

決めなきゃいけないことがある時、夫は決めない。夫が決めないので私が決めるしかない。
夫は物事を決断しない、と1でも書いた。

そして、その結果、現在何もかもがそういうことになった。
息子の幼稚園も、食事も、家具も、家電も、新聞も、帰省をどうするかも、旅行も、休日の予定も、家計も、貯金も、保険も、・・・本当に、「少しでも家庭に関わる物事の全て」を私が一人で決めている。

私が決めてしまうから決められないのではないか・・・と思い、「あなたが決めてね」と頼ったことも何度もある。

しかし、期限までに夫は決められなかった。というか、何も考えていなかった。・・・というより、忘れてた。
・・・そして私が決め、夫は「それでいいよ(´∀`)」と何も不満のない様子で言った。


最近、なぜかとても疲れる。

もしかしてその疲労感は、こういう風に家庭のことを全て決めているからじゃないだろうか、と思い始めた。

もしかしたら、疲れるのは当たり前じゃないか・・・?

決断するには考えなきゃいけない。悩まなきゃいけない。すべての事柄を決断するということは、頭の中が常に決断すべき事柄とその決断の判断材料になる考えと迷いが膨大に同時進行しているということだ。
私が「とことん自分勝手で、且つ、それを堂々と出して平気な人」なら良かったのだけど。何でも自分の好きなように決めればいいから。でも、普通の人がそうじゃないように、私だって違うのだ。決断は何でもそれなりにエネルギーを使う。なるべく良い方に、お金もかからないように、最大限効率の良いように、そしてみんなが心地よく感じられるように・・・それらを常に考慮しないではいられない。
夫婦の家庭なのに、何もかもを(本当に何もかも。夫が裁量する分野はありません)私一人で決断している。その大変さはきっと独身やシングル家庭の大変さとはまた別のものなのだ。

・・・通信回線はどうしよう、もうすぐウィルスソフトが切れるけど楽天で買おうか、1年版にするか3年版にするか、息子の幼稚園はここでいいだろうか、もうすぐ制服採寸だけど二着買っておくべきなのか、(※夫側の)姪っ子甥っ子たちのお年玉の額はどうしようか、ソファーを買うかどうか・買うとしたらサイズや色は、部屋の家具の配置、家電の買い替え、処分、保険の見直し、貯金の額の変更、ああそろそろ夫の歯ブラシが開いてきたから「買い置きあるんだから自分で取り換えてよ」ってまた言わないと・・・

疲れた。

もう疲れた!

自分でも、どうして毎日こんなに何もしていないのに疲れているのか、イライラしているのか、本当に分からなかった。育児疲れやホルモンバランスだと思っていたこともある。もちろんそれもあるだろうが、一番大きな原因は違った。

この半年で気付いたが、夫がいるとイライラするようになっていた。
夫が休みになるのが嬉しいのに、夫がいるとイライラするのだ。
気付きたくなくて見ないようにしていたのかもしれない。

夫が全ての原因だった。
そこにいるのに、目の前にいるのに、決して頼ることができない夫のせいだった。

精神的に何も頼れない。言わないと何もしようとしない(良かれと思って余計なことを黙ってやってくれることはある。こちらに聞きもせず)。
しかも、それ以前に何を言っても、聞いてくれない。
私が何を言っても、しても、夫の心に伝わらない。
夫は変わらない。
それは私が夫にとって大切な存在ではないからだ。
話を聞く価値もない存在だからだ。
そういう風に自然に暗示がかけられていく。

夫といることで、私は惨めな気持ちになる。
ただでさえ自己尊厳が低いのに、更に低くなっていく。
大切にされていない自分。そうされる価値のない自分。それは私が駄目な人間だからだ。私がもっと大きくならなければ。こんなに穏やかで優しい人である夫にこんなに不満を感じるのは、私がおかしいせいなのかもしれない・・・

そう思う自己嫌悪は、結局また一周してそれをもたらす原因となっている夫に更なる怒りとして向かう。
八方塞がり。でも塞いでいるのは透明な壁で、あると思っているのは自分だけのような・・・。
そんな状態に、言いようのない孤独と悲しみと空虚感を感じていた。
私は生への執着がとても強いのだが、このまま生きて行かなきゃならないなら死んでるのと同じようなものだから、なんかもう事故とか起こって死ぬのもいいかな(自殺をする勇気はないよ!)・・・という気持ちがぼんやりと頭に浮かぶようになった。


→3へ続く

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