読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「嘘をついてはいけない」をどう教えるか考えてみた話

育児 自分語り 世間話 真面目な話

 人並みに嘘をついてはいけないと教えられて来た。自分でもなるべく嘘をつかないを信条としている。
と言っても私も凡人でありともするとややそれ以下なので、子供の頃から嘘をついたことは幾度もある。
でも、多少の不利益を被るくらいのデメリットなら正直でいた方がいいと思っていて、そうしている。

f:id:manmaru14:20130414142308j:plain

 

「嘘をついてはいけない」と聞いて誰もが思い浮かべる教訓話といえばイソップ童話の『狼と羊飼い』ですね。改めてググってみるとタイトルが色々あるようです。一般的にはオオカミ少年と言うのが一番ピンときますね(´ρ`)
今更説明も要らないと思いますが、一応確認してみると、

慌てる村人の様子を見るのが楽しくて実際は狼が来ていないのに「狼が来たぞー」と何度も嘘をついた羊飼いの少年を村人が信じなくなったところに本当に狼が現れたのだが、少年がそれを言っても誰も信じようとせず結局村は狼に襲われてしまい羊も全部食べられてしまった

・・・というような話だったかと。
で、この話の教訓は、嘘をつくと結局は自分が損をする、だと思う。

私が日常嘘をつかないようにしているのも同じ理由なんですが、私の場合はもっとこう・・・根が深いというか、暗い・・・と思う。
簡単に言うと「いつか来るか分からない一生に一度的な本当にここぞという一世一代の大場面での大嘘を通すため」
"オオカミ少年がついた第一回目の嘘" の準備を盛大に、そして常時念入りにしているんだね。要するに。

うん、なかなかに暗いよね。orz
い、いいんだもん!暗くたっていーんだもん!べ、別に落ち込んでなんかないんだからねっ!ウワアアン(めんどくさいのでAA略

・・・最近たまに入ってくる更年期のおかしなテンションは置いといて先を進めると、 "嘘を通すため" と言うと人聞きが悪くても、 "何かあった時に自分の証言の信用価値を高めるため" と言えば腑に落ちやすいかもしれない。
信用は積み重ねでしか得られない。
そして、「信用に足らない」ことを証明するのは一度の不信な出来事で充分だけれど、「信用に足る」ことを証明するのは難しい。やったことを証明するのは簡単だが、やらなかったことを証明するのは難しいアリバイの法則と似ている。

ところで、倫理観というものは時代や場所によって変わるものだ。

ちょっとあまりに雑な設定でアレですが、本当のことを言えば確実に殺されることが分かっているという場合、親が子供に「嘘をつけ」と命じることは是か否か、倫理的にはどちらだと感じますか。
どうも私は自分が普通の人と違ってかなり考え過ぎることを常に意識し過ぎているので、こういう話を分かりやすくしようと思う時はどうしてもこういう極端な例が真っ先に出てくるっぽいorz
倫理的には「嘘をつけ」と教える親は間違っているけれど、しかし子供の命を願う親の倫理としては生きるために「嘘をつけ」と命じるのは正しいですよね。
こんな暴力的な設定においてすら既に「人間の倫理」と「親の倫理」は違うということが簡単に分かる。
もちろん、嘘の中身にもよりますが・・・。
極端な例を出してしまったけど、実際は例えば緊急避難の適用とかの話になって純粋な倫理問題には当てはまらなかったり、すぐ上にも書いたように「嘘をつけ」の、じゃあその嘘はどんな嘘なのかという内容が大きな倫理問題(例えば自分のした行為なのに他人になすりつける等)だったりとかもするので、現実的には問題にできない状況なんですが、こういうのが今回のテーマですよ、という雰囲気で一つ・・・。

「我が子に佳き人間になって欲しいと願う親のとるべき行動」
と、
「我が子の幸せを願って親がとりたい行動」
は時として一致しない、ということがある、ということですね。
日々成長していく小さな子供を間近で見ている親として、最近特に強く考えることの一つです。

ユルい言い方をしてみると、「人間は色んな苦労を経験した方が良い」と思っていたとしても、自分の子供に色んな苦労を味あわせたい親がいるかというと、それは違うんだよね・・・という。
難しいですよね。
二世が駄目と一般的に世間でもよく言われているということが、その証。・・・実際は駄目じゃない凄い二世もたくさんいるんだけれど、駄目二世の印象があまりにも強いんだと思う。

・・・と、こんなようなことを日々考えているわけですが、実際子供にいつか「なぜ嘘をついてはいけないの?」と訊かれたとき、私は果たして何と答えたものか・・・。

(´∀`)「自分が損するからだよ」

真っ正直にそう言ってもいいのかもしれない。
うん、親は夢を与える役割ではなく現実を生き抜く強さと技術を教える役割だ。そう強く考えるならそれでもいいと思う。
でも、いや、確かに私も「親は夢を与える役割である」と思っているわけじゃないけれども、夢を壊す役だとも思っていない。
そういえば、小学生の時に体調が悪くて体育を休んだ時があって、保健室にいくほどでもないので教室で一人で休んでいたことがあって、家に帰ってからそれを何の気なく母親に話したら「もしその後誰かの物がなくなったとかの騒ぎが起きたらあんたが疑われるんだから、そういう時に一人で教室に残ってちゃ駄目。保健室に行かないんなら一緒に見学してなさい!」と怒られた(´д`)
日頃信頼しているクラスメイトや先生を信用するな、と言っているように聞こえるこの母の言い分はしかし正しいし、私も息子に同じことを教えるつもりだが。

40年近く生きてきてこういう倫理とかモラル、安倍さん好みで言うと道徳か(道徳を重視すること自体はいいことだと思う)・・・などの「心の自律」みたいなものについて思うことは、「なぜそうしてはいけないか」または「なぜそうしなければならないのか」は、結局のところ「誰かに説明されたから腑に落ちる」というようなものではないんじゃないか・・・ということだ。
私の個人的な感覚なんだけど、嘘をついたり騙したり、卑怯なことをするとただ「自分が気持ち悪い」という理由が強い気がするんだよね。
それは咎められたらバツが悪い、警察沙汰になるかもしれない、という恐れからのものではなくて(私は不安神経症的にビビリなのでそういう気持ちももちろんあるんだけれども・・・)、言うなれば、「魂が汚れる」ような気になるんだと思う。
なんだか詩的表現にしか聞こえないが・・・実際そうとしか言い表せないないこの心持ち・・・ハテ?(´・ω・`)なんだろう。
たとえ誰も傷つかない、そして私はちょっこっと得をする、というような状況であっても・・・なんか気持ち悪い・・・ハテ?(´・ω・`)これはなんなのか。

昔の言葉で言うと、それは「お天道様が見ている」という感覚なんだろう。

たとえ誰にも知られていなくても、お天道様の下を大手を振って歩けないような行動はとりたくないなーと思ってるんだなー。きっと。
誰にも気付かれなくても、誰にも認められなくても、月だけが見ている(BLなんかでネタ的に使われる朝チュン表現)お天道様がきっと見ている。
私が死んだ後、万が一お天道様、つまり神様みたいなひとの前に立たされて、色んな悪いことが丸見えになった時、でも私はこういう卑怯なことはしませんでした、と何かは言えるような・・・そんな何かを守りたいと思ってしまうというか・・・(゜д゜)

で、なんとなく、結局のところそういうもんなんじゃないか・・・と思うわけです。最近。

「自分に恥じる」って言う、あれなんだよね。私にとって。自分自身に対して恥ずかしくないか、気持ち悪くないか、そこに尽きるんじゃないか、結局、と。
最近はそう考える気持ちが強いです。

だから、自分に対して何をやったって恥ずかしくない人に倫理を教える方法は私は分からない。
思いつくとすれば、誰かに何かをしてあげて感謝された時の喜び、誰かに何かをしてもらって感謝する感情、そういうものを感じるところから、つまり基本の対人情操教育から始めることしかない。

人間は人間と接することでしか人間にはなれない。

小さい子供の成長発育に関わり、自分自身が対等な大人の人間との関わりから隔絶され、そういう状況を理解し乗り越える助けになるような文章や考え方を探して読んだり触れたりしながら何とか精神を保ちながら過ごしてきたここ数年、特にそう感じるようになりました。

・・・そうすると、我が子が嘘をつくような人間になって欲しくないと願う私が息子になすべきことは、必ずしも「嘘をついてはいけない」という言葉を言い聞かせることじゃない、という結論に達しました(゜д゜)

「嘘をついてはいけない」とまず教えるよりも、親として、その前段階、健やかな心の基盤を作ってやることが何より重要なんじゃないか。
そうすれば、息子はいずれ自分でその本当の理由に辿り着くだろう。
誰かに嘘をつき、騙し、自分が得をすることは、自分の心を汚してしまうことだと、感じるに違いない。

・・・仮にその結果、彼が自分であること・人間であることを取って、親の感情からすればそれに反するような行動に及んだとしても、私はそれを佳しと思ってやらなければならないんだろう。
例えば、誰かを庇って命を失ったりしたような時だ。
親であれば、誰かを踏み台にしてでも我が子には生きていて欲しい。そう我が子にも厳命したい。
けれど、命を賭しても守りたかったのは他人の命だけでなく、彼の中の矜持であり、魂なのだと思ってやらなければならないだろう。きっと。


親はきっと、子供が大事であればあるほど、最初から多くを持っていた方がいいと思うし、それが知識なら教えてやりたいと思うし、技術なら多くを身に着けさせたいと願ってしまうものだ。自分のこれまでの人生で得た財産とスキルの何もかもを全て与えたい。できるだけ早いうちに。大事だから。大切だから。人生を成功の道を歩いて行って欲しいから。愛ゆえに、それが普通なのだろう。
でも、本当はそれはできないことだ。
他ならぬ親の自分たちがそうだったように、一つ一つ自分で身に着けていくしか自分の人生のスキルアップはできない。
全ての基盤となる心を、その土台を、しっかり作ってやることだけだ。愛情を持って接して、人間として扱うこと。それらに尽きるんじゃないか・・・と、しみじみ考えている。
・・・



まあ、考えるだけなら誰でもできるって話なんですけどね

\(^o^)/www


理想は遠いなあ・・・orz

相変わらず風呂敷の畳めない感じの話ですまんこってす(´ρ`)


広告を非表示にする