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願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

信仰は自由、だけど・・・

世間話 自分語り 真面目な話 哲学・思想

信仰の自由はわかるんだが、そもそも信仰ってなんだろう(゜д゜)・・・
と考えたときに出てきた答えは、私の中では「強化された信念」というものだった。
他人にはわからない、誰しもに共通でないという意味で信念だし、その対象が架空にでも対象として存在している分、ただ自分だけで思っている信念より強力だ。

私は、信仰は自由であり、宗教は尊重されるべきだと、・・・昔は思っていた。

しかし、最近は少しずつ考えが変わってきたと感じる。
何か特にきっかけがあったわけじゃないんだが、特定地域の某宗教関連のニュースが何十年も頻繁に流れる中で自然に深く考えるようになり、そして、最近では「宗教(上の教義)は尊重されるべき」という当たり前のはずの感覚に疑念を持つに到っている。
ちなみにこの “宗教への「尊重」”には、二種類の意味があると考えるべきだ。
一つは文字通り「誰もが平等に守られるべき権利としての尊重」、そしてもう一つがこれが重要で厄介なんだが「そのために他者へ配慮を要求する=他者の自由を制限する尊重」だ。
信仰は前者に、宗教は主に後者に属するような気がする。

 
さて、私が「宗教は尊重されるべき」という考えに疑念を抱くようになっている理由は大きく二つある。


一つめ。
宗教は様々であるはずなのに、実際は特定の大宗教(キリスト・仏教・イスラム・ヒンズー等)だけが尊重されている事実。
私がある日新しい信仰を宣言し新宗教を立ち上げたとして、その大宗教と同じように政治的に配慮されるだろうか。当然そんなことはない。

二つめ。
自身でその信仰・宗教を独自に選択したわけじゃない信者が膨大であること。
キリスト教家庭に生まれたら強制的にキリスト教徒になり、イスラム教の土地に生まれたら強制的にイスラム信徒になってしまう。これは「個人の宗教の自由」には全く反しているんじゃないか。
更に改宗が禁じられている宗教だった場合、それは個人の自由と尊厳を著しく奪う害でしかない。

宗教とは信仰のことであり、信仰とは個人の信念である。
これが私の考えだ。
信念というのは思いであり、心だ。
そして心は絶対に自由だと私は思っている。(これは私の信念)
心が自由であるためにはそのように育てられなければならない。
本来なら、子供は全て無宗教としてあらゆる宗教闘争から保護されるべきだ。成長して分別のつく年頃になってから、必要があれば自身の宗教を選択させるべきだ。

そういう世界になって初めて「何を信じるかは個人の自由」「個人の信仰・宗教は尊重されるべき」と言えるんじゃないか。

例えばよく自由の国アメリカと言われるが(最近はそうでもないか・・・)、誰しもに自由とチャンスが与えられているというくせに、キリスト教だけは半ば国教なんだからちゃんちゃらおかしい。
もっとも、問題度が較べものにならないのは改宗できない別の宗教の方だけど。


ちなみに、キリスト教や他の大概の宗教はこうして名前を出して批判を書くことができるが、できない宗教があるという時点でもうこの世界は自由なんかじゃないよね。
私は命が惜しいから、もしかしたら狙われる危険性を引き寄せてしまうかもしれない余計なことを書く気はさらさらない。
独身ならペンに命を賭ける道()も考えたかもしれないけど、子供もいて家庭もあるからね・・・腰抜けだけど仕方ないw

こわいこわい。

ほんと、言いたいことも言えないこんな世の中じゃ・・・って、ポイズンネタが笑えない、最近ですな・・・(゜д゜)




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