願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

断捨離、はじめました。

冷やし中華・・・ えー、なんでもないw(´∀`)

きっかけは、こちらの本。

わたしのウチには、なんにもない。 「物を捨てたい病」を発症し、今現在に至ります

わたしのウチには、なんにもない。 「物を捨てたい病」を発症し、今現在に至ります

 

 

もともと、片付けたい片付けたいと思っていて、やはり物を捨てなきゃだめだと思ってネットで何となくそういう話題を探していたら、あるブログで出会った。
著者は偶然にも仙台在住の方で、東日本大震災も経験されている。そこでちょっと親近感。(私は昨年仙台から東京に越してきたばかり)

さて、まず、ネットでさらっと概要を見た時の衝撃が物凄かった。

本当に何にもない(゜д゜)

にわかには信じられない。
私のような汚部屋もとい魔窟出身者には、ここに人が住んで生活をしている、ということがまず信じられない。

で、本を中古で購入して確認。

なんか、すごく良かった。
雑な感想だけど。

というか、確かに極端ちゃ極端な人だから一見キワモノに見えてしまうかもしれないんだけど、しかし実はその片付け論の中身はとても正統派で、とても大切なことを教えてくれる指南書・啓発書だった。
私からすると、池田暁子『片付けられない女のためのこんどこそ!片づける技術』に匹敵するお役立ち指南書。
同じポイントを教えてくれている。
 

片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術

片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術

 

 

それは『自分の管理能力を超えた物は持たない』ということ。
やっぱり、我々片付けられない女にとっちゃこれが絶対基本条件だなーと思ったね。

ゆるりさんはそれを「何もないと掃除がすぐ終わる」と表現し、池田さんは「必要なときにアクセスできないんじゃ持ってないのと同じじゃん!」と言い切った。
ホント、私の心に特に強く響くところなんだ、ここ。

なぜなら私は探し物女だから。

人生において探し物にかけてきた時間の割合が半端ない。
探し物をして半日終わった・・・ということが冗談じゃなくてある。しかもよくある。
必要な時に出せなかったら持ってる意味ないんだよ、本当に。無駄に生きている・・・orz

そんな折ですね、たまたま息子に喘息が発覚しまして。

とにかく掃除をまめにできる部屋にしたい。と。

・・・覚悟を決めました。

必ずできる断捨離BASIC (マガジンハウスムック)

必ずできる断捨離BASIC (マガジンハウスムック)

 


こちらも購入。
じっくりと自分に向き合い、「必要なものは何だ?」と問いかける。そして言い聞かせる。

「盗まれても『盗まれたんなら仕方ないか』と諦められるものは処分してもいいもの」
「物に『一生モノ』はない」
「物を減らしていくと家の中がほどけていき、空気が流れだす」
「『使えるか』じゃなく『使うか』『使いたいか』」
「『まだ着られる』じゃなく『本当にそれを着たいか』」
「あいているスペースには別に物を置かなくてもいい」

「何もない空間は怖くない」
「物がないと不安なのは、心の問題。物では解決しない」

特に最後の二行はボーダーである私のような人間にとっては実に重要で、あらゆるものが「自分の心を埋める代償物」になっている場合が多い。
心が健康じゃない人は、その部分を埋めようとする。
人によってそれが人だったり異性だったり、肉体だったり食物だったり、そして物だったりするのだ。
物がたくさんあることは、不安を消してくれる(ように思える)。
本当はそれは幻想なんだけど。
「物」というのは実際にそこにある分、存在をたやすく信じられる。目に見える、触れる。そこに間違いなく「在る」。
内に強力な存在不安を抱えている人間であればあるほど、この罠に陥りやすい。
物がたくさんあると無条件でホッとするのだ。
そして「在る物がなくなること」も極端に恐れる。だから同じ物を何個も持っていたりするw

しかし、 基本的に『片付けられない=管理できない』 な性質であるわけで、実際は必要な時に見つけられなかったり、見つかっても使える状態じゃなくなっていたりするのだ。

これに懲りると、今度はまず「きちんと管理しよう」と考える。
そして、収納や整理整頓の本なんかを読み漁り、「片付けられないのは物の位置が決まってないからだ」と気付く。それは正しいんだが、結局行き着く思考は池田さんとまったく同じ、「きちんとした収納を用意して物の位置を決めれば片付くはず!」になる。
そして棚や箱、収納だけが増えていく・・・

その物(の存在と量)自体が自分の管理能力を超えている=まずいくらか手放さなきゃダメ とは、まず気が付かない。

ここが先天的片付け不能症患者の恐ろしいところである。


ゆるりさんの実家と同じとまではいかないが、うちも物の多い家だった。
今も多い。
両親はとにかく捨てられない人たちだ。
ただ、父は元国家公務員で規律の厳しいところにいたため、整頓だけはきちんとしている。母も、普通には綺麗好きな方なので、最低限の清潔や見栄えは保っている。しかし、物の多さは尋常じゃない。
特に父が。
父も母もおしゃれが好きなので服も靴もアホみたいある。
その点、うちは片方(夫)が無頓着で物持ちは私だけなので、しかも私は服は多いが靴は多くない。

更に父は本持ちでもあり、映画好きであり、趣味持ちであり、微妙なコレクター癖持ちでもある。ここは私も受け継いでいるんだが、私は飽きっぽいので逆に何とかなっている。父が一番始末が悪い。
服や靴に帽子、趣味の版画関係、仕事の本(軍事戦略関係)、趣味の本(漫画もある)、映画のパンフレット、ビデオテープ、切手、テレホンカード、山関係のもの(昔は山登りも趣味だった)、工具関係、ネジやらボタンやら・・・
はっきり言ってカオス(゜д゜)
でも、整然と整頓だけはされている。壁中にびっしり本棚、棚、棚、収納ボックス、ボックス、本、本、本・・・
しかしその中身はカオス(゜д゜)

ちなみにコレクター癖は私にもあって、消しゴム、切手、ミニチュアなどを私も集めている。幸い(?)どれも生温いレベルだがw


ところで、断捨離には批判も多いと聞き、その内容を想像して見てみたら大体その通りだった。
自分の頭で考えられない人がどんだけいるんだ。
某知恵袋なんか、「断捨離ってどこまでやればいいんですか?」と訊いている人がいてびっくりしたよね。

「ウエッジウッド、ヘレンド、ヴィトン、フォクシー・・・大量にあってどれも使ってないんですが高級品なので捨てたくありません。これも捨てなくてはいけないんでしょうか」

って・・・

いや、自分にとって必要かどうか考えることもできないのかw(゜д゜)

唖然と言うか、もはや釣りかと思ってしまうネー。


自分が捨てたくないと思うなら捨てなきゃいいだろう。ばかなのか。金持ちってばかなのか!(あ、ここはもちろん貧乏人の僻みです)
高い安いに関わらず、『自分が取っておく価値があると思うかどうか』だと思うんだが・・・。

つーか、そもそも断捨離が必要な人って「物が多くて、片付けたいのにうまく片付けられなくて、それがストレスになっている人」であって、そうじゃない人はやらなくていいと思うんだよね。別に。つか逆に必要ないでしょ。自分に合った収納・片付け術で楽しく暮らしていけばいいだけで。
断捨離が必要な人というのは、ほとんどの物について『取っておく価値があると自分が思うかどうか』自体が分からなくなっている人なのですよ。多分。(だから管理できなくなっているわけで)
断捨離というのはそういう人たちに「本当にそれ必要?」と問いかけ、自分自身と向き合うことを勧めるものだと私は理解したんだけれど。

大事か大事じゃないかを決めるのは自分自身であって、だからこそその作業は大変で、疲れるんだと思うよ。物を買う時にとことんつきつめて考えずに買っている私のような人って、そうやって一つ一つ向き合う作業が大変だもんよorz
捨てるのは、実は簡単なんだよね。
何が難しいかって言うと、何を捨てるか判断すること。これは要らない、と決断することだよ。

自分にとって大事か大事じゃないかを他人に訊いてどうするんだろう。
その頭の中が信じられないw
どこまで他人任せなんだと驚く。自分で決めなきゃいけないことだと思っていない。すごく怖い。
でも実はそういう人が今の日本には増えていて、だからおかしい人が増えているように感じられる。
おかしい人が増えているから、色んな基準をそういうおかしい人に合わせなくちゃいけなくなっていて、まともに生きている人たちがその割を喰っている。そういうことが、すごく増えている。そしてこれからもっと増えていくだろう。
例えば、電子レンジに猫を入れないで下さいという注意書きみたいなこと。身近なものだと道にある単なるガードレールだってそうだ。車を運転する人全員が歩行者を思いやり、安全運転を心がけるならカードレールなんかいらない。実際は少数のバカやキチガイがいて、酒を飲んだり薬をやったり、或いは素面でも狙って歩行者に突っ込んでいく。
少数のおかしい人のために、それに合わせて対策はとられる。
それにかかる費用は結局まともな人が損をする分に入っている。いわゆる「ゴネ得」とでも言うような。
「ゴネ得」は許しちゃアカンと思う。社会がダメになっていくよ。

まあ「ゴネ得」とは違うけど、自分の頭で考えず、その考えないことによって起こる不利益を他人に丸投げしようとする人、すごく多い。
最近、本当に多い。しかも本人に自覚が一切ない。びっくりする。そして暗い気持ちになる。偉い人たちにもそういう人、最近すごく多い。



ちなみにウエッジウッド、私はあまり好きじゃないので持ってない。
使わないのに家にあるままだったジノリとビレロイ&ボッホのカップ&ソーサーは売りました。型が古くて全く使わなくなったヴィトンのバッグ三個も。
家に残したブランド食器はロイコペのカップ&ソーサー二客、魚のプレート4枚だけに。どれもこれも頂き物だけど、厚みがあってシンプルなところが好きだ(´∀`)
いつかお金をためて自分で買いたいのはブルーオニオンのカップ。そりゃマイセンが夢だけど、フッチェンロイターやカールスバードでも充分にいい。

 

 

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