読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

ボーダーとわたし 2

ちなみにボーダーについて書いた日記は右にあるカテゴリー【ボーダー】にまとまっています。
「2」としつつ特に続きというわけじゃないので、今後もタイトルはそのへん適当にみといてください(´ω`)ゞ
私はまだ医師からはっきりした診断を受けておらず(ボーダーを診られる医療機関にまだ行っていないだけです・・・)正しくは「ボーダーの疑いがある」「偽ボーダー」とでもいう状態なんですが、色んなネット上の説明や分類、書籍等を参考にしてみるに確実にボーダーである、ほぼ間違いないだろういう揺るぎない確信を自身抱いているので、それに基づいて色々書いています。夜露死苦



ボーダー(境界性パーソナリティー障害)であることによって私自身困っていることはそりゃもー山ほどあるわけですが、その中の一つに「 “決意” に何ら意味がない」ということがある。

簡単な話、自分が決めたことをまったくできないということ。

いや・・・お前それ単に自分の性格じゃね?(゜д゜;)

と、私もずっと思っていました。
確かに私は飽きっぽく、持続力がなく、努力や我慢ができないダメ人間で、それはボーダーのせいじゃないもともとの性格もあると思うw
なんですが、全てが自分のダメダメな性格から起因するものと考えるとどうしてもおかしいというか、自分でも理解できないことがあるんですよ。

人って、生きている中で、日々の生活の中で、結構無意識に色々なことを決意するじゃないですか。自分自身に対して。
例えばダイエット、例えば勉強、例えば日々の些細な習慣。
夜〇時以降は食べないぞーとか、一日何分机に向かうぞーとか、もう少し早く起きるぞーとか、歯磨きをもっときっちりすんぜーとか、なるべく階段を使うようにしよーとか、食事の時は野菜から食べよーとか、しばらくコーヒーを止めてノンカフェインティーにしてみよっかな~とか、テレビを見ないようにしよーとか、こまめに背筋を伸ばそーとか、・・・ってあんまり無意識すぎていざ挙げようとしたらピンとくる喩えが全然出て来なくて焦ったんですが、まあほら、色々あるじゃないですか!(福満しげゆき的説得の仕方)
で、些細な習慣から大きな目標まで、とにかくなんでもいいんですが、それをやる(やり続ける)理由がとにかく “自分が決めたから・自分自身のため”である場合、私は決してそれができないんです。

えー・・・どういうことかと言うと、他の誰かのため賃金の発生する仕事のため、とかならできるんです。
例えば「もう少し早起きしよう」という決意が、「仕事に遅れないため・出勤時間に余裕を持つため」とかであるなら努力出来るんだけど、「早朝の清々しい空気をゆっくり味わってみたい」とか、自分が心地よく過ごすためだけなら眠気に勝とうと全く思わない、という・・・。

というか「続けられない」というよりもむしろ、決意というか意志が自然に浮かんでもそれをする気は最初からゼロという・・・。

ダイエットも、仕事に支障が出るとか、私が痩せないと家族が死ぬと脅されるとか、「自分のためじゃない」なら頑張れると思うんだけど、「自分のため」だから頑張れない。というか、頑張る気がはなから起きない。
むしろ絶対にやりたくない。
要するに、

私は自分のため(だけ)には何もしたくない。
努力や労力を一切、絶対に自分のため(だけ)に払いたくない

んです。

おかしくないですかこれ(´д`;)
普通、自分のためならやるけどそれ以外のためにはやる気が起きない、とかじゃないですか?

私の場合、単にしたくねーというより、もはや生理的嫌悪感すら湧くレベルで全私が拒否するんです。
泣き叫びたくなるくらい嫌で嫌でたまらない、辛くて惨めな気持ちで一杯になるんですよ・・・。
誰かのため・仕事のためだとサボれないじゃないですか。自分のためのことなんかサボり放題できる。世界で一番手を抜いて良いこと、それが自分のためだけのこと!
私にとって、世界で最も金も労力も手間も省いて良い存在、それが自分なんです。


これは恐らく、私がボーダーである故に自分に価値がないからではないか・・・と思っている。
ボーダーは自己が確立できていなくて、それは他者の評価に頼らないと自分の存在価値や幸福を自分自身の中だけで決められないということなんですが、自分の価値についてもそうなわけです。

自分という人間が(他の全ての人間と全く等しく)存在しているだけで価値があるのだとは全然信じられない。そんなこと思ったこともない。

余談ですが私は自分の誕生日をなんとも思ってなくて、祝って欲しいとも思わない。むしろ面倒くさい。
祝ってくれるその気持ち自体はものっそ嬉しいし有難いんだけどな!
子供の頃は誕生日パーティー中はなぜか悲しい気持ちになって、でも嬉しそうに振舞わなくちゃいけないのは分かっていたから、大人になってそういうものから解放されて良かったです。
そんなことはいいんですが。

まあ要するに、自分という存在は大切だよ、価値があるんだよ、と全く思っていない、そういう風に親に育てられてこなかったからですね

だからこそボーダーになった(なってしまった)んだと思うわけですよね・・・。

自分が自分であるだけで愛され、また大切にされる価値のある存在だと教えられなかったというか、そんな風に育ててもらってない。
そんなことはないのだ、自分は価値があるのだ、そしてだからこそ他の人も同じように価値があるのだ、と、自分と向き合い続けながら大人になったことでそれらを頭では理解できるようになっても、子供の頃に造り上げられた心は簡単には矯正できない。

ボーダーが対人関係で問題を抱えやすいのも、基本的にそこが大きな原因だと思う。
つまり、そもそも一般的には【自分を大切にする】という感覚が先にあって、それから【自分と同じように相手も一人の価値ある存在であり、だから自分と等しく大切にされる権利がある】という認識がすんなりできるようになるんだと思う。多分これは間違いない。

で、自分が尊重されるように他人も尊重されなければならない、と自然に思えるようになるわけですな。

しかし、思うにボーダーというのは不幸にもその大切な感覚的基盤ができていないので、自分を大切にできないだけでなく、だからこそ他人のことも大切にできないんじゃないか。
いや、本当は大切に思っていてもそれを適切に表すことができない・正しく伝えることができないというべきだろうか・・・。

そして、伝わらなければその気持ちを理解することは誰にもできない。
だから対人関係で問題を抱えやすい。

ボーダーは自分が正しく表現できないゆえに相手に理解してもらえないということがとても多いんじゃないかと想像してるんですが、更にそれをまるっと相手のせいにしてしまう傾向がとても強いんじゃないか。
ボーダーの心は異常にとても脆く、異常に傷つきやすい。私自身がそうであるだけでなく、ボーダーの症例を見るに強くそう感じる。実際それは異常なんだけどw
そして更に厄介なことに、その傷ついたことの原因は相手が悪いんではなくて自分自身のせい・もしくは不可抗力・もしくはたまたま、だということをなかなか認められない。
自分以外の誰かのせいにしないと自分を保っていられないんだよね。
じゃないと、粉々に壊れてしまうほど傷つくということを本人自身知っている(或いは信じている)から。

何をそんな大袈裟な・・・と思うでしょうか。うん、それが正常な心理だw
実際、健全な心理の人からするとボーダーの反応は実に大袈裟に見えるんじゃないか・・・と思うんだがw(´ω`)
だけど、ボーダーにとってそれはそのまんまの反応なんだよねー。別に演技してるとかじゃ全然なくって。いや私演技性パーソナリティー障害や自己愛性パーソナリティー障害とかについては全く分からないんだけど。
少なくとも境界性については、そうなんだと思うんだよね。
それくらい心のキャパがちっちゃいというか・・・

確固とした揺るぎない自分自身という強固な、そして自分にとっての最大の味方を持たない境界性パーソナリティー障害の人間は、他者の価値観や判断が全て。
だから赤の他人の他愛のない一言で心が崩壊するほど傷つき、何気ない動作に自分への侮蔑や敵意を感じ、100回良くしてもらっても1回の拒絶で全てを拒絶されたと信じ、悲しみ恨む。
・・・って、ボーダーって最悪だなオイ。
絶対近付きたくないよね!


orz・・・



と、何かととにかく嫌われがちなボーダーですが、いえ、嫌われるのもご尤もなんですが、どのボーダーもなりたくてボーダーになったわけではないのだ、ということだけはどうか一つ・・・orzorz

つかもう本当に、可哀相なヤツなんですよ!ボーダーって(´д`)
余裕がなくて、いつでも怯えてて、いっぱいいっぱい。
ほら、犬や猫でも弱いヤツほどすぐ攻撃したり威嚇したりしまくるじゃないですか・・・。あれと全く同じなんですよ。
うちの実家にも猫が三匹いるんですが、一匹いるんですよ。一番古株で身体も大きいのに、常にシャーとかやってピリピリしてるのが。
自分を見ているようでね・・・生温かい優しい目で見てしまいますよね・・・。

ボーダーは一言で言うと手負いの獣だと思う。

まーそんなわけで、自分の決めることに何の価値もないので、私は何もできないダメ人間なわけなんだけれどもwwwwww(´ρ`)



――――と、ここまでが実は前置きだったんですが。覚えていますか・・・今回のテーマを。
・・・ええ、わざわざスクロールする手間をかけさせるほどの話じゃないんで、喜んでもう一度書かせていただきます。

自分の“決意” に何ら意味がなく、自分が決めたことをまったくできないということで私自身困っている、という話でした。

で、ここからが本題なんですが、私がそれで一体何が困るのかというと、私自身はそれをしたいと本当は望んでいるってことです。

え・・・?
意味がわからねえ・・・

それってどゆこと?

と思って下さった方に説明します。
そもそも何かを「決意する」ということは、「そうしたいからそれを心に思う」わけですね。
私は、自分が「したい」と望んでそれが心に浮かぶのに、(多分)ボーダーの精神構造のシステムによって同時にそれを「したくない」と感じてしまう。

何が苦しいかって、どちらも本心というところ。

実はですね、他のことであっても【全く正反対の意見がどちらも自分の本心(=どちらを選んでも結果的に「私全体」としては満たされない)】というような状態が私は物凄く多く、多いというより常にそうであると言ってしまってもいいくらいで、過剰な自己ダブルバインドとでもいうようなものを常に抱えて生きているんですが・・・これが何なのか全然分からない。
はっきりといつ頃からかも分からないんだけど、少なくとも成人してからじゃないかなーと思うんですが。
多重人格とかではなく、離人症でももちろんなく、「わたし」という自意識を完全に保持したまま、その中に「相反する両極端の意思」が同時に、しかも大抵の場合全く同じ重さ(しかもかなり重い)で存在する、ということがよくあるのです。
ただし、それは普通の人であってもそういう心理になることはあると思うんですよ。例えば友達と集まって遊ぶ約束があって、それは楽しみだし当然行きたいんだけど、でも何となく疲れるから行きたくないなーとか。
でも、私の場合、それが日常から人生の一大局面まであらゆる事柄に及んでいるのと、その一つ一つの心に占める深刻度がとても重い、というのが違うんだと感じる。普通の、健常な心の人と。

うまく言えないんですが、私は何となくこう感じている、というような表現で言うと、魂と器が合っていないというようなズレ感覚です。
器には脳も含まれているので、

[【私】という肉体と(脳がもたらす)精神] 

[【わたし】という個別の魂] 
が合っていない

というのが自分の感覚としては一番しっくりくるんですが、精神と魂は本来一緒にして考えるのが自然なはずなので(というか私自身にとっても、どちらも自分が【感じる】という一つの現象に集束するのでその意味では全く同一という・・・)、うまく伝えられないというか、自分のこの心理状態がどういうことであるのか私自身にも理解できていないので、そしてだからこそ、辛い、ということになるわけです。


分かったような分からないような気になる文章ですね・・・。


つかさっぱりわかんNeeeeeeeeeee!!( ゜Д゜ )



うん・・・自分でも何が何なんだかよく分からなくなってきたよ・・・なので今回はひとまずこれで。(逃げる)

また今後もちょこちょこ書いていきます(´ω`)ゞ

 

 

福満しげゆきの妻本。好き(´∀`)
つかこの人の心理描写が激しく自分と似通っててもう読んでて全て「わかるわかる全部わかる」状態になるんですが、著者は女にこんなこと思われるのはさぞ不本意で嫌なことでしょうw
ただ細かい点で一つだけ違うのは、彼は「世の中コネ」らしいですが私は「カネ(金)」だと思うってところです。世の中コネがなくても金さえありゃ何でもできるってこった!

 

・・・つか 「小規模」は完結したの?連載再開予定はないの?教えてエロい人。

 

広告を非表示にする