願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

公園にて・・・

休みなんかあっと言う間ですね・・・。

ところで昨日ね、公園行ったんです、公園。近所の。

そこは普通のちんまりとした公園に比べたら少し大きくて、子供たちが遊ぶ遊具スペースの隣に、生垣を挟んでテーブルや椅子なんかがいくつか置かれたこじんまりとした広場みたいなのもあって、休日は家族連れがお弁当を広げていたり、平日はお年寄りがそこでダベっていたりカップ酒を飲んでいたりして和やかなんですが、大体平日の午後に多いパターンの光景として、大勢のママさんたちが子供を遊ばせながらそれぞれママ友同士集まってお茶している、というのがある。

で、昨日午後、私と息子が遊具スペースの端にある砂場コーナーへ行くと、既に遊んでいる子供が何人かいた。
午後は幼稚園や小学校上がりの子たちでごった返すから普段は避けているんだが、まあそれはいいんだが、その時その砂場で遊んでいる子供はどうみても幼稚園児未満。息子と同じくらいだった。
だけど、そばに保護者の姿はない。

しばらくすると、その子供が近くの水道に水を汲みに行って戻ってきた。
でも、その子は蛇口を開けることはできても締めることはできないらしく、水が出しっぱなし
おーい、勢いよく出てるよー(゜д゜:)
オーストラリアンに見つかったら射殺されるレベルで水が出ている。

仕方ないからさりげなく締めに行く。
近くにいる大人として最低限の義務だ。万が一たまたまそこにオーストラリア人が通りかかって、うっかりその子供が殺されでもしたらかなわない。

でも、その後それを繰り返すこと5回・・・。

つまり、その間、せいぜい15分くらいだったとは思うが、その子の親は一度もその子を見に来ていないということだ。
幼稚園児以下の子供を遊ばせる場合、親が近くで見ていることは最近では常識。
近くにずっと付いてなくても、常に目が届くところにいて様子を見ているか、定期的に声掛けするとかは百歩譲っても最低限だと思う。
これじゃ誘拐されても気づかないだろうな。

その時も隣のテーブル広場は楽しげにお茶しているママさん達で満員御礼状態だったから、その子の母親もお喋りに夢中だったに違いない。
隣と言っても、その間には間仕切りのように生垣や木があって、テーブル広場の椅子に座ってしまうと遊具スペース、特に砂場のような地面近くで遊ぶ様子をそこから見るのは物理的に不可能なんだよね。
そう思い、よほどその子に「お母さんはどこ?」と尋ねて水道の話を伝えに行こうか迷ったが、結局しなかった。
将来同じ幼稚園や小学校になって遺恨を残されてたら嫌だもんね。世の中ってどこで、そしてどこまで繋がってるかわからないから怖いよ。
チキンでごめんね、水・・・

まあそれから少ししたら幼稚園児の大群(同じく親は隣でお茶している放置子群団)がわらわらやってきて、息子のおもちゃを勝手に持って行こうとしたりと無法地帯の様相を呈し始めて、そこに大人が私一人という、村にただ一人の老保安官が血気盛んな若者に取り囲まれた西部劇状態みたいになったのでこりゃアカンとすたこら退却したんだけど。
水は相変わらず出しっぱなしだったけど、もう知らんわ・・・
“公園放置子”軍団には三十六計逃げるに如かずだと思う。

でも、お母さん方を心底非難する気にはなれない。
気の置けない仲間と他愛ない話をする行為って、もともと女という人種には物凄く大切な意義があるんだよねー。
特に子育て中、家事や仕事の合間の限られた、貴重な時間だと思う。ママ友との集いって。夢中になってしまうのは当然なんだよね。

まあ、だからって子供から目を離すのが許されるかというとそうではないわけで、後々の自分のために考える教訓としようと思った。

ちなみに私はいわゆるママ友というのが一人もいないので、ちょっと羨ましい気持ちにもなりつつ、ただああいう関係の全てが気の置けない、心を許せる親友ばかりなのかというとそんなことは絶対に有り得ない(会社やクラスなどの人間関係の在り様とあまり変わらず、気の合う人もいれば気に食わない人やあまり合わない人とも表面上は仲良しのように付き合わなければならない)こともうすうす知っているので、いずれ避けられない事態になるまではぼっち育児の自由を満喫しとこう・・・と思ったのでした。

広告を非表示にする