願わくばまんまるく、徒然。

願わくば道端の石のように穏やかに、永遠の傍観者に。

「ちょっと待って」が無効な世界のキツさ

ボーダーで「自己の個」が確立していない私にとって、自分の幸福は自分が決めるものではなく、与えられる環境によるので、ゆえに今の日々は私にとって、あくまで主観として、地獄のようです(゜д゜)
自由がない、というただその一点において。

小さい子供を育てているこの数年の生活がそれ以外の生活に比べて何が決定的に「無い」かというと、タイトルに書いたように「ちょっと待って」
言い換えると、時間や自分の行動を自分の自由にする権利なんですが。

齢2歳の息子に基本「ちょっと待って」は効かない。というか、そもそもその言葉に意味がない。

「ちょっと待って」という言葉はこれが口癖の人間にもそうでない人間であっても対人ツールとして非常に便利なもので、「主に他者からの要求に対してひとまずのワンクッションのような役割を果たす弱い結界」だと思う。あくまで “ひとまずの” ワンクッションだから、相手の要求を受け入れるにしろ断るにしろ返答はいずれしなきゃいけない。
アクションは返すことが前提の防御バリアだからこそ “弱い” と書いたわけですが、更に “弱い” からこそ 普段誰もがほとんど意識することがないんじゃないかと思うんだけれども、しかしその現実的な作用と効果は弱いなんてもんじゃない。

これは実はとても重要な、人間社会において強力な必要不可欠ツールだと思う。

人間て「生まれついての奴隷」じゃない(当然。)から、「自分の意思を強制的に断絶されること」は古今東西誰にとってもその精神に普遍的な大きなストレスをもたらす。
とても大事に扱われていた奴隷にも関わらず長生きできなかったというのを読んだ。その理由をその「怖い絵」という本で著者の中野京子さんが上記ではないかとほぼ断じていて、感銘を受け、そして子供を産んでから頻繁に脳内に甦る・・・。ってなんかここ激しく日本語が不自由なんですが(゜д゜;
)考えるな感じてください。

 

怖い絵

怖い絵

 


“ 奴隷” には「ちょっと待って」というツールがない。
主人の要求には即座にアクションを返さなきゃいけないし、そもそも “奴隷” には拒否の選択自体がない。自分の意思が “あっちゃいけない” のが “奴隷” だ 。


「ちょっと待って」は、身分はもちろん立場も対等な相手にしか通じない。「ちょっと待って」が通じる世界というのは健全な社会だ。
更に根源的前提を言うと、相手に、こちらの言葉はもちろん状況や心情を理解し得る知性がある」という基本的条件が絶対的に要る。
人は皆平等という建前、少なくとも平等な人間的な権利を主張してよいとされている現代のこの世界では、だいたいの場合重要なのは後者だ。


そして、御存知の通り、子供にはそれがないわけですww(´ρ`)

なんだか長々と書き連ねてしまいました。子供には「ちょっと待って」が通じない。
そしてそれは、「母親」である前にどうあがいたって「人間」である私にとって、かなりの精神負荷なわけです・・・。

「ちょっと待って」が許されない職場もあるでしょう。プライベートでもそういう状況になることははそりゃ誰しも普通にあるでしょう。
育児が特殊なのは、24時間365日そうだ、ということですわ。
あ、ちなみにもちろんここ、「誰かに子供を見ていて貰える環境の人」には一切当てはまりません。私が著名人やママタレントの「育児の大変さ」を頭っから完全にスルーしてるのはそれ。人を雇える金がある立場の人間の苦労話なんて鼻ホジ以外の何物でもないね(゜д゜)
 万一の時であっても預けられる相手も場所もない、心と健康を助けてくれる金というツールも持たない貧乏転勤族舐めんなと。

うちの場合、夫がすごくよく助けてくれる。
夫がいてくれる時は私も多少は自分の意思を遂行できる。
ただ、夫の職場は限りなくブラックに近いダークグレーで(これでもかなり改善されてこうなった。以前は何十年間も完全に真っ黒)息子が起きている時間に帰宅することはもちろんないし、休日も仕事の電話やら宿題やらが当然あったりするし、9割は私が一人で息子に向き合っている。

あ・・・そもそもここで書いている「自分の意思」というのは「あ、トイレに行きたい」とか「あ、お腹すいたから何か食べよう」とか「あー疲れたからちょっと立ち止まりたい・・・」とか、その程度のレベルのことです。
普通は言葉として頭にはっきり浮かぶまでもなく行動している、そんな無意識なレベルの意志行動です。
育児していると、そんなレベルの、普段別段意識なんてせずに行っている行動のほとんどが規制されてしまう。
そしてそれが24時間365日続く。

そのストレスってもう相当なんだよね。
私はもうなんかはっきりと、人間は奴隷にはなれないんだと思い知った。それがたとえ世界一大切な自分の子供のためであっても。

これに関して、ちょっと話が飛ぶけど、私が出産後強く思ったのは、「子供を生んだら自動的に母親という超人に変身するわけじゃない」ということだった。いや子供を生んだら自動的に「母親」にはなるんだけれども、その母親ってのは「人間とは別の、強靭な肉体と心を持った新種の生物」ではない、ということです。
子供を生んだ瞬間に超人に変化するわけじゃない。
あくまで人間という器のまま、母親という超人的能力を要求される任務に就くわけよ。
・・・
何その鬼畜システムwwwww(゜д゜;)
いやそもそもシステムとして成り立ってないwwww(´∀`)


そんなん無理に決まってんだろおぉぉぉぉぉぉ!( ゜Д゜ )


何日もまともに、へたすりゃまったく寝られなかったりするんですよ。いやこれ、赤ちゃんいると当たり前みたいに日本では認識されているけど、実は大変なことですよ。
「何日寝ないでいられるか?」ってギネスでだって禁止されてんですよ(多分)。死にますから。

うち、息子が夜泣き体質で、人生で最も大事なものは睡眠という私に神様が与えた最高の試練的組み合わせ母子なんですが、生後5か月から11か月まで半年近くにわたって一夜も休まず夜泣きが続いた。
あの期間が私にとって一番ヤバい時期だったと思う。
毎夜発狂して絶叫やら号泣やらしたし(心配したお隣さんに「奥さんは大丈夫か」と夫が訊かれるまでいった。本当に申し訳なかったorz)、泣き出した息子を反射的にあわやぶん投げるとこまで行った。ノイローゼだよねもう。

真夜中、一番眠りが深い時に起こされて体を起こし完全に一旦覚醒する、というのは、想像以上に本当に辛い・・・orz

実際にやってみれば三日くらいでそれが分かると思う。
夫にもよく言っていた。多分10日もすれば頭がおかしくなるよ、日中はまったく体動かせなくなるしと。
実際は一晩に何回もだし、10日どころか150日以上連続だったわけですが・・・。

その時に、つくづく思い知ったのが、「母親は超人ではない」ということでした。
母親の誰もが子供のために超人になりたいと思い、実際にその任務に命を削って就いているわけですが、どんなに願ったって祈ったって人間は超人にはなれない。

余談ですが、そもそもこのシステムは真面目におかしいんじゃないのか?と思っていた私。
この世で母親が我が子を育てるために苦労をするのは当然だし、その過程で命を落とすことだってある。でも、人間の(というか現代の日本の)育児における母親だけが背負うこういった過酷さはそういうのとは別物である気がする。

重要なのは、これは人手があれば完全にクリアされる問題だということだ。

育児の苦労が特殊な苦労なのは、限界まで追い込まれる人がいる反面、一切なんの苦労もないという人がいるものだということ。極端な言い方をすると、ぶっちゃけゼロか無限か なんだよね。
その違いは人手ただこの一点だけ。拍子抜けするけど、本当にただそれだけ。ほんの少し誰かの手が借りられたら、無限の苦労からゼロに変わる。そんな不思議な仕事が育児・・・(´∀`)
私の夜泣きの例で言えば、日中誰かが家事をやってくれたり、息子の相手をしていてくれれば私はその間眠ることができるわけだから、夜中起きる苦労は遥かに軽減された。
ついでに誰かが食事を作ってくれたりすれば、楽に栄養もとれたしな(放射能の不安があったため出産直後から私が全て自炊していた)。
これはもちろんすなわち「金がある家しか子供をもてない」という現代日本の糞欠陥に繋がっているんだけれども、本来、人類の育児がそういうものだからだという説をどこかで見て、激しく溜飲が下がった。

そもそもヒトという生物の育児は母親一人では不可能なんだってさ!ww(´∀`)

そういう生物なんだって、ヒト。
共同体で、みんなが手を貸して育てるというのがそもそもヒトという生物の本来の繁殖システムなんだって。
そりゃ、母親一人の密室育児が鬼畜システムなわけだよ・・・(゜д゜)本来成立しないものなんだから。歪んでるのさ・・・。





        ――――――――――――――――



・・・なんだかまとまらなくなってきたのでここでひとまず書き逃げます。
結局は愚痴以外の何物でもなく、すまんこってす(´д`)
でもこうやって “万人の目に触れる可能性のある場所” で人目を意識しながら文字として吐き出すことが私にとって時に必要なことなんですね。それによって、冷静に、客観的になれるということが確かにあるんですね。

つくづく、なんて器の小さい未熟な人間なんだろうと自分が嫌になります。
毎日思い続けていることですが。

ダメな母親だと思います。
しかもボーダーだし、特にダメぽww


でも、とりえず、今日も子供と一緒に頑張って乗り切るぞ!と・・・(´д`∗)
毎日、“ただ今日その一日” を乗りきろうず。

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